【2011年06月09日】
97円の醤油とは?
先日、近所のスーパーで目にしたのは、1リットル97円の醤油、目を疑いました。
輸送コストや容器代を考えても、通常の醤油の原料原価より安いのではないかと思うのですが・・・。
どのようにすればこのような低価格な醤油が作れるのか、原材料を見てみました。
主原料は脱脂大豆、その他沢山の添加物とアミノ酸で作られていました。
恐らくは脱脂大豆を科学的に分解し、アミノ酸で味をつけた醤油もどきなのでしょう。(ちなみに脱脂大豆とは大型機械でノルマルヘキサン(ベンジンの主成分)という有機溶媒を使い油分をとりだす抽出法で製油した、大豆油の絞り粕です)
もともとこの「アミノ醤油」は、戦後の物不足の時に開発された、ごく短時間で製造できる代用品ですが、最近はこのような醤油は見かけなくなったので、都内で見たのは驚きでした。
以前住んだことのある長野県のある地方で、このアミノ醤油が大きなボトルで販売されていて、まだ地方では残っているのだなあ、と思っていましたが、東京で売っていると言うことは、またまた復活してきたと言うことでしょうか?
デフレや不況でとにかく低価格なものばかりが望まれています。そのため、昔から伝統的に培われてきた良質な物が失われ、粗悪なもどき品が台頭してきます。
目先の損得のため、少しでも安いもののため、本物の味が失われ、伝統的な技術や製法が失われることは取り返しのつかない損失になるだけでなく、人間の身体にも保障の無い実験を繰り返しているような物です。
安いものを買うことは、社会的に弱い立場の生産者の生活を犠牲にしていると言うことは度々お話させて頂いていますが、子供たちの将来や身体をも犠牲にしているとも言えます。97円の代償はどのくらい高くつくことでしょう。
醤油を例にしてみれば、本来私たちの食卓に上るまで2年はかかるものです。合理性や経済性とは程遠いものですが、この豊かさは何よりも価値の高いものだと思います。
福猫屋でご紹介している井上醤油は、100年以上も前の江戸時代から続く蔵付き酵母が生み出す天然の醤油です。この時間こそが大切なものなのです。それに決して高い醤油ではありません。むしろこの品質では安すぎる位です。
安いものを求めることは大きな損失と代償を伴うということは、今回の原発事故で日本人みなが経験してしまったことです。その教訓は日常のいたるところで生かしていかなくてはならないと思います。

奥出雲 古式醸造醤油
http://www.fukuneko-ya.org/NF/inoueshouyu.html
Posted by fukunekoya at 23:45
【2011年05月29日】
フェアトレード商品の品質
さて、前回フェアトレード商品の品質に対して対価を払うべきと書きましたが、その続きです。
フェアトレード商品は高いのに品質が低い、ともっぱら言われてきました。
事実、過去において手工芸品でそのような商品をよく見ることはありました。
フェアトレードが西洋のキリスト教圏で始まり、チャリティーがその精神の基本であったため、商品の品質が前提でなく、支援が前提であったためです。言い換えれば、支援なので商品は何でも良かったのです。しかしながら当然それは長続きしません。現実として初期のフェアトレード商品の取引量は年々下がり続けていました。
さらに問題なのが生産者に対する購入者の見方が変わってしまうことです。
第一次産品で言えば、一定の価格を保障して貰えたり、定量の買取が保障されたりすることで、生産者の向上心が無くなり、品質の低下に繋がります。
手工芸品などで言えば、品質よりチャリティーが優位に立つため、これも支援慣れとなることになり向上心が薄れます。
ではフェアトレードは間違いなのか?
ここで大切なのが、フェアトレードが支援が第一義の目的でなく、品質向上が第一義となるべきであったと言うことです。
品質向上の為に必要なことは生産者がよい製品を作ることが出来る環境です。
子どもを学校に通わせること、女性が社会に出られること、生産者自身が教育を受けられることなど、その環境づくりをすることが品質の良い製品を作る条件になると言うことです。
もちろん最初はある程度の支援、投資が必要になりますが、その環境づくりにお金を使えるように、生産者は努力をし、良い品質の商品を作らなくてはなりません。良い製品に対して適正な価格を支払えるシステムと価値観を構築していくことが大切です。
そうする事によりフェアトレード商品は品質が高く、買う人もそれに見合った金額であると納得がいくのです。
事実、福猫屋で人気のあるフェアトレード商品として、パレスチナオリーブオイルや石けん、チョコレートなどがあります。これらの商品は、フェアトレードであるからという事でなく、その品質で購入されていると思います。なぜならリピート率が非常に高いということと、実際価格としても一般商品よりは高いのですが、グレードからすると安いという納得感があるからです。
そして持続可能な生産手法、有機農業であったり、伝統的な技法であったりとすることで、社会的にその価値を見直され、必要とされるようになってきていると感じます。
しかしながら、現実としてまだ品質と価格が伴わないものも多くあります。
たとえば、大手カジュアルブランドの衣料品とフェアトレードの衣料品で同じアイテムを作ったとすると、カジュアルブランドの製品はデザイン品質とも高く、かつ価格も安い。反対にフェアトレードの衣料品はデザインも悪く品質も低いのに価格は高いと言うことになります。
だれもフェアトレードの物は買いませんよね。
事業規模の違いがあるので当然ですが、ではどうするか。まずは同じものは作らないという事です。手仕事や伝統的な手法など異なる価値を活かす事です。
NGOは支援のプロですが、アパレルの専門家ではありません。洋服一つ作ったことの無い学問肌の人間に、衣料品の企画販売マーケティングが出来るはずがありません。(これは批判ではなく分野が違うと言うことです)
ですので、いまだに職業訓練の製品を高値で売っていたりするのです。職業訓練はプロジェクトで出来た資金で運営し、製品は熟練専業者の工房で作るのが当たり前、と考えるのが一般の私たちの価値観だと思うのですが、NGOの方には、残念ながら結構そのあたりが分からない場合があるです。
最近やっとデザイナーと提携する団体も出てきましたが、現状ではまだ、良くてもパタンナーを抱えている程度というのが、いまの日本のフェアトレード団体の現状です。
その理由として日本のNGOが、フェアトレードという概念を最初から持っていなかった場合が多いからです。それは様々な人道支援などから始まり、支援として現地製品の販売をはじめた団体が殆どなのですが、その活動をフェアトレードという分野に移行させるという意識が無かったからです。
フェアトレードという言葉が独り歩きし始め、その言葉に便乗してきたような状況であることは否めません。事実、自分たちの販売活動はフェアトレードではないといっていた団体が、今ではフェアトレードという文字を頭につけている事もあるのです。
餅は餅屋というよい言葉が日本にはあります。プロジェクトの立案と商品の企画は別の専門部門で協働していくべきであると思うのです。そうならなければ、いつまでたっても価値ある製品として市場に出て行くことは出来ません。
日本のフェアトレードをどう変えていけるのか。
それは生産者の自立よりNGOの自立を求めることかもしれませんね?!
Posted by fukunekoya at 22:49
フェアトレード 批判
5月はフェアトレード月間でした。
ということでフェアトレードについて少々。
最近ではスーパーやデパートでもフェアトレード認証マークのついた商品を良く見ます。
十数年前では考えられない事でした。
フェアトレード商品の取引量が増えると言う点では歓迎すべきことでしょう。
しかしながらこの事は不思議でもあるのです。以前、企業の方々はフェアトレードについて批判的でした。一番の理由としては、「フェアトレード」を認めるとすると、自社商品が「アンフェア」ということとなりマイナス評価を得ることになるからです。
ところが近年、認証マークが出来たことで、いきなり大手企業がフェアトレード商品を出し始めたのですが、フェアトレード商品を出すことは、同じ会社の他の商品はフェアトレードではない、つまりは生産者の負担の元に生産されている商品と肯定することに変わりはありません。
なぜ自社製品を否定するようなことが出来るのか、不思議で仕方が無いのです。
フェアトレード商品を販売するのはプラスイメージを顧客に与えると言うことでしょうが、それはフェアトレードを顧客が付加価値として認識することが出来ても、フェアトレードその物に対して充分な認識を持つことは無いと、企業は判断しているからでしょう。
フェアトレードマークには区別できるというメリットもありますが、コストがかかる事や、顧客がフェアトレードの意義を理解できなくても付加価値として販売しやすいというデメリットもあります。
最近では、古くから活動しているNGOのフェアトレード商品であっても、認証が無いのでフェアトレードの根拠が無い、というお客様もいらっしゃる位です(通常NGOは認証を取ることはありません)。
これでは認証の意味が本末転倒していると思うのです。
認証マーク付きとマーク無しの商品を同じ会社が同じ棚に並べることは、やはり不可思議な現象としか思われません。この点で認証のあり方をもう一度検討して頂けると嬉しいのですが・・・。
さて、フェアトレードに対する批判の具体的な理由である、フェアトレードの概念にある一般流通の否定は正しい面もあります。
よく書かれている事に、「中間搾取を無くす」と言う言葉がありますが、これは流通における中間業者があたかも不当に生産者を搾取しているかのような印象を与えます。
そういった場合もあるでしょうが、必ずしもそうではないことも多いと思います。組合などではない小規模農家では中間業者が無くては商品を流通に乗せることも出来ませんし、中間業者そのものも弱小である場合が多いのです。
中間コストの削減は、NGOや政治より企業が頑張っています。
価格決定権を持つのは最終段階の多国籍企業ですが、その価格を決定させるのは消費者でもあるという事実は否めません。最終価格を安くと望めばその分が生産者にしわ寄せとなるだけなのです。
そして、もう一つの批判理由である、競争原理の欠如による品質の低下ということも正しい面があります。欧米の基本的な立場はチャリティーであり、そのことに基づく価格保障や買い取り保障は生産者の意欲を低下させ、支援慣れと言うデメリットに繋がります。
本来、対等な立場であれば、努力と品質を伴わない商品に高値はつけるべきではありません。品質が悪ければ価格を落とし、努力により生産された品質の高い商品については正当な価格を支払うという競争原理こそがフェアトレードであると思うのです。
つまりは投機や多国籍企業の、力による不当な価格設定ではなく、品質に基づいた正当な価格設定が求められているだけだと思うのです。
上記の点から考えても、一般的なフェアトレードの概念である、支援による生産者保護は初期段階であり、安定してきてからが本来のフェアトレードになると言えます。
フェアトレードは最終手段ではありません。最終的にはフェアトレードという言葉そのものがなくなることが大切では無いでしょうか。
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Posted by fukunekoya at 17:19