ストリートチルドレンを考える会
…子どもたちの未来のために……
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ニュースレターVuela
2008年07月17日

2008年7月発行のニュースレターより

ひろみのメキシコシティ便り
その10 数々の出会い、みえた希望
※昨年6月からNGO「プロ・ニーニョス」でボランティアとして働く会メンバーの連載です。
共同代表・松本 裕美

 2003年から2008年にかけての「プロ・ニーニョス」内データによると、この数年間に人生の選択をした(デイセンターを卒業していった)子どもたちの行く場所に変化がみられます。家族の元に返る子どもが多かった以前に比べ、その割合は減少し、薬物依存克服施設や定住施設に入る子どもの割合が増えてきています。その背景にあるものは何か− 薬物が身近にあり容易に使用できること、使用薬物の種類の複雑化、貧困、ネットワークがなく社会サービス情報や周囲の協力を得られないこと、シングルマザーであることによりあまりにも多くのことを背負わなければならず子どもの問題に関心を寄せる余裕がないこと、親自身が路上で育った第2・3世代で子どもを養育することを学べていないこと などが、今のところ実際に原因としてあげられています。メキシコでは子どもを持つ女性の6人に1人がシングルマザーです(2003年政府機関の統計データ)。そしてこの割合は、年々増加の一途をたどっています。路上生活をしている少年・青年たちの多くもそうであるように、何人もの女性との間に子どもをもうけている男性が多いという現実。貧しければ貧しいほど、また企業や公的機関に勤めていないといった仕事環境により、保険・社会福祉サービスを利用できない人たちが多いという問題もあります。
 さて、5月号で記載したように、私は今調査チームで働いています。担当地域を歩き回り、路上生活をしている少年・少女や仕事をしている青少年を把握し、コンタクトをとっています。
 ある市場を歩いているときに偶然にも再会した少年がいます。昨年の8月から11月にかけてデイセンターに通ってきていた少年です。再会と言ってもいろいろで、悲しい再会もあります。デイセンターに来ていたけれど、途中から来るのをやめ引き続き路上生活をしている少年と出会った場合、やせこけ、薬物の影響でろくにしゃべることもできなくなっていたり、そして私たちのことを誰だかもう認識できないほど脳、精神障害をきたしていたり。定住施設に入っていたはずなのにまた路上生活に戻っていたり。しかし、この少年との出会いは、とてもうれしい再会になりました。彼はその市場で彼のおばさんが経営する食堂を手伝い、おばさんたち、いとこたち、そして彼の兄とともに働いていました。
 目が合った瞬間、お互いに笑顔がこぼれました。驚きの再会、そしてうれしい再会。彼は薬物依存症でもありましたが、結局どこの施設にも入らずに薬物をたったということです。つい先日「ボクがそうだったように、いま路上にいる子どもたち、施設に通ってきている子どもたちに自分の経験を話すことで、何か力になれたらって思う」と言ってこれまでの人生について話をしてくれたので、その一部を少し紹介したいと思います。
 彼が2歳のときに、彼の母親は子ども2人(彼とそのひとつ上の兄)を残して家を出ました。彼の父親はアルコール依存症で暴力を振るいました。母親が家出をしたのはその暴力から逃れるためだったのかもしれません。残された兄弟は父親からの暴力を引き続きうけ、かつ「お前なんか存在しなければよい」と言葉の暴力も受けてきたといいます。8歳になった時、彼は決心し家を出ました。彼が住んでいた地域の仲間たちの多くは皆、接着剤を吸っていたため、彼も自然にそれを吸うようになっていきました。その後路上を転々とし、メキシコシティにたどり着きました。たまたま「プロ・ニーニョス」のデイセンターに通ってきていた少年と知り合いになったことがきっかけで、その少年を毎朝迎えに行っていたエデュケイターに誘われ、デイセンターに来るようになりました。デイセンターではしょっちゅう周囲の子どもたちとケンカをしていた少年。ただ、いつまでもこの生活を続けていたくないと思うようになり決意し、メキシコシティに住むおばさんのところで一緒に生活していくことが決まりました。
 このおばさんの家には、20名近くの家族が暮らしています。おばさん自身の子どもも学校には行っていませんが、みんな仲がよく、そしてはきはきと店を手伝っています。彼は、時々店番を任されるほどしっかり働いています。こうして一歩一歩前に進んでいるんだと言い、またこうも言いました。「今は安心して眠れる場所がある。安心して使えるバストイレがある。安心して使えるお金がある。やっと安心できる生活を手に入れたんだ」。そう言って笑顔を見せました。自分の子どもと同じように甥たちの面倒をみるおばさん、いつも一緒にいる兄やいとこたち、家族の応援する力が彼の前進の多大な力になっているのだと感じました。自分がお世話になったエデュケイターたちに自分が立ち直ったことを伝えたい、感謝を言いたい、15歳のその少年は凛々しく成長した表情を見せました。
 4月から始まった、路上で働くまたは生活する青少年・少女・おとなたちとのコンタクト。信頼関係が築けていることを感じます。路上生活のおとなたちからは多くの情報をもらい、また時に彼らから自分たちのグループにいる子どもを助けてくれないかと依頼を受けたり、また彼ら自身の子ども・兄弟についての相談を受けたりすることがあります。アルコール依存症で路上生活を続けていた仲間の中の何人かは家に戻っていった、とうれしい知らせを聞くこともあります。少年・少女たちの中には、出会った当初は路上生活から抜け出すことに興味を持っていないと言っていた面々もいましたが、関わっていくうち、知り合い、絆が深まっていくうちに、考えが変わってきている様子が伺えます。「路上生活から抜け出したいんだ。そのために頑張って働いてお金をためているんだ」と話すようになった子たちがいます。また、最近始まった聞き取りインタビューにより、これまでに知り合った路上生活を続けている多くの青年たちが、路上生活から抜け出したいと考えているということがわかりました。


最終章


 7月。メキシコでの私のボランティア活動は、残すところあとわずかになりました。あっという間の1年間。ここで出会った仲間と共に、路上で生活する青少年たち、家族との間に問題を抱えている子どもたち、薬物依存の問題を抱える青少年・少女たちと向かい合い、働いてきました。
 腹が立つこと、悔しいと思ったこと、悲しいこと、うれしいこと、感動したこと、大喜びしたこと、そしてお腹を抱えて笑ったことが幾度あったことだろうか。
 路上チームでは、日々メキシコシティ内を歩き回り路上暮らしの子どもを探し、アクティビティ、遊びや本の読み聞かせ、おしゃべりを通して子どもと信頼関係を築きデイセンターへ招待すること。また、毎朝ねぐらに通い子どもを起こしてデイセンターまで付き添うことをします。約束をしても来ない子どももいます。なかには薬物を使用したいために、お金を稼ぎたいために、眠気のために、恋人と一緒にいたいために、気分がのらないために、施設に行くことを望まない子もいます。そこを粘り強くあの手この手で関わっていきます。
 デイセンターでは、日常生活活動=生きる術を子どもたちがいかに学びとっていけるか、自分自身・そして周りの人を尊重することや道徳を身につけられるように関わると同時に、自身の人生について考えていけるように寄り添っていきます。また成長の過程を見守ると共に、各人が持つ多くの才能を引き出せるようなアクティビティを行います。
 人生の選択チームでは、子どもに寄り添い、彼にとって最良の道に進めるように最大限の応援をします。またセンターから卒業していった後も定期的に訪れ、応援し続けます。センターから巣立っていく子どもたちを見送るときの喜び、また路上生活に戻ってきてしまった子どもと出会った時の落胆する気持ち、成長した子どもたちが施設を訪れてきて再会したときの喜び、といろいろ感じながら働いています。
 一時助っ人としてアクティビティをしに行っていた一時定住施設では、子どもたちが安心して生活し、成長していけるように充分な数のスタッフが配置され、心理療法が継続的に行われていました。出生証明書を持たないために学校に行くことができない子どもには施設内で授業を行い、また彼らが美術を通して創造性を育み、感性を磨くことができるように毎日継続して美術のアクティビティが組まれていました。この美術の部屋は他の部屋とは別世界のようで魔法の部屋、秘密基地とでもいえるような異空間でした。4歳から15歳という幼い子どもたちがとっても素敵な作品を作り出していました。それぞれの施設で、あらゆるスタッフにより、異なった取り組みがされているのを知ることができたという点で、とても良い経験になりました。
 終盤4月から6月末にかけて働いた調査チームでは、路上生活をしている青少年・少女たち、路上で仕事をしている若者・子どもたち、その地域で働いている人々や住人と出会い、話を聞いてまわりました。もちろん、なかには路上暮らしの子どものことなんか一切考えたくない、ただ怠けているだけのやつらだ、彼らのために働く施設なんて意味がない、といって我々を煙たがる人々もいました。しかし大半の人々は、自身のヒストリーや考えを語ってくれました。インタビューをする前に訪問を繰り返して話をし、信頼関係が築けていたということはもちろん大きな助けになったのですが、この2ヶ月弱で本当に多くの人々に出会い、多くのことを知ることができました。
 出会った人たちの多くは、以前アルコール依存症や、薬物依存症だったという人たちです。路上暮らしの子を自分の子どものように育てあげた人々、何十年という時の流れの中で世相が変わっていく様を見てきた人々、「今は路上暮らしをしているけれど、いつかはこの人生から抜け出したい、抜け出すんだ」と話してくれた人々、少年少女たち、彼らを応援する人、自分の人生と真剣に向き合っている人たち・・・彼らの言葉、考え、夢を聞かせてもらったことは、私のこれからの人生の宝になることでしょう。一人ひとりそれぞれ違うけれど、みんな希望をもって生きている。その希望の光が彼ら自身とその周りにいる人々にも波及していっているように感じました。
 以前アルコール依存症で路上生活をしていたが立ち直り、今は青空駐車場の管理とお菓子売りをしている女性。彼女の娘の名前が私の名前と同じということで、我々のことを良く覚えていてくれました。自分自身のためにと言ってインタビューに協力してくれました。時々以前の仲間が「薬物を売らないか?」と誘惑に来たり、お金をせびりに来るという。「話を聞いたり、食べ物をあげることはするが、それ以上のことはしない。以前はごみのように周囲の人たちから扱われ、見られていた。だから彼らの気持ちもわかる」と言う。今は自分のために生きるのだと、はきはきとした口調で彼女は話してくれました。
 以前は薬物依存やアルコール依存の問題を抱え、路上生活をしていたが、今は立ち直り、糸で編んだブレスレットをつくり売る仕事をしている青年、大道芸と靴磨きを生計を立てている青年、熱帯魚店で働いている青年らとも出会いました。彼らは「路上暮らしの子どもやそのリスクがある子ども、自分が昔悩んでいたように薬物やアルコール依存で悩んでいる人々の力になれるのなら、喜んで協力したい」と言ってインタビューに協力してくれました。こんなにも多くの若者・大人たちが薬物依存の問題を抱えている国ではあるけれど、そこから立ち直った人々もたくさんいる。
 路上暮らしを続けている若者たちのほとんどが、いつか今の生活を変えたいと言いました。なかには、今となってはなぜ路上生活を続けているのかわからない、という青年もいました。彼らはこれまで定住施設や依存症リハビリ施設に入ったことがあるが、そこで虐待があったり、いじめがあったりといった理由で、薬物欲しさから、または自由に生きたいという理由から、施設を出て路上生活を続けている。しかし人生を変えたいとは思っている。「自分の話を聞いてくれる人、自分を理解してくれる人に出会えた時、うれしいと感じる」と言った青年がいました。人生の大半を路上で過ごしてきているけれども、こうやって施設のスタッフに出会い話をすることはうれしいことなんだ、と話す青年たちが多くいました。
 「プロ・ニーニョス」は今年11月から新たな取り組みとして、定住施設を開設する予定です。この施設は、以前デイセンターに通ってきていた青年たちで、施設の対象年齢から既に外れている若者たちにも回復する機会を作ろう、という趣旨で始まります。
 インタビューの最終日、とても感動的な出会いがありました。最初、すでにコンタクトのある青年を探しに行きました。しかし青年は出かけたばかりで不在でした。けれどそこにいた中年の男性が彼のことをよく知る人物だったので、まずはその男性と話をしました。彼は数日前からその青年を彼の息子として自宅で面倒を見るようになった、と話してくれました。すでに亡くなっている青年の両親とも知り合いだった男性は、彼のことをよく知っている人物でもあります。この朗報を聞き、うれしい思いでその青年を探しに向かいました。
 初めて出会った頃、この青年はひとりで空き地に住んでいました。マットレスの骨組みを丸めながら「今からこれを売りに行く」とだけ話し、その場を去っていった。とても口数の少ない少年でした。少年院から出てきたばかりだと言って、特に遊びたがるわけでもなく、自分から話すことはほとんどなかった青年。週に1、2度のペースで彼に会いに行きました。ただ話をしに。少しずつ少しずつ。そしていつの日か、彼の幼い頃からの知り合いで路上生活をしている青年と女性から、彼の家族について話を聞くようになりました。彼の父親は路上生活をしていたが、その後路上で殺された。この少年はほとんどの人生を路上で過ごしてきているということを、その仲間から聞きました。
 このインタビュー最終日に会った彼は、これまでとはまったく違い、我々に気がつくと満面の笑みを浮かべて彼のほうから寄ってきて挨拶をしてくれました。そして快くインタビューに答えてくれました。彼の面倒をみるおじさんのことを「パパ」と話の中で呼び、また、「今は眠る場所があるし、ご飯がある、映画(テレビ)をみられる、家族がいる(血はつながっていなくても)。信頼できる人がいる」と話してくれました。今まで見たこともない彼の安心した表情、満足した表情を最後に見ることができました。将来について、「これからは、勉強したいんだ」と、前を見据えてしっかりとした口調で私たちに言いました。
 またその後、施設への帰り道、建設現場の前を通りかかった際に、以前インタビューに答えてくれた青年にばったり会いました。彼はアルコール及び薬物依存症で路上暮らしをしていました。しかし今それらを絶って、建設現場で働き始めています。約1週間前のインタビュー当時「人生を変えたい」と言った言葉の通り、彼は新たな人生を歩き始めました。
 調査・インタビューという仕事を通してではありますが、後半の2ヶ月はこの1年間の中でもっとも地域に密着して、あらゆる世代の人々と話をし、彼らの考えを知るとともに、それぞれの考えを共有することもできた、とても貴重な時間になりました。あと残りわずかですが、子どもたちと向き合いながら、また地域の人たちの協力も得ながら、働いていこうと思っています。
 私のメキシコからのコラムはこれで終了させていただきます。この場を提供してくれた会のメンバーおよび根気強く読んでくださった会員の皆さまに感謝します。
(まつもと ひろみ・ 看護師)

Posted by at 14:59

2008年06月16日

2008年6月発行のニュースレターより

学習会・子どもは未来の開拓者
〜キューバの子どもたち〜 に参加して
運営委員リーダー・小口由貴

 工藤律子さんよる「キューバの子どもたち」をテーマにした学習会に参加した。これは、キューバとの交流活動を進めている「キューバ連帯の会」という市民団体が、今月14日がキューバ革命の英雄で革命家のチェ・ゲバラの生誕80年であることを記念して、開いたものだ。当日は、キューバ大使館の方を含め、20代から60代前後まで、幅広い年齢層の方々が35名ほど集まった。
 会では、工藤さんから、キューバ政府や国民全体が子どもを大切にする姿勢など、いろいろな角度からの報告を聞き、これからの日本の子ども=未来のパイオニアを、どのように育てていくべきなのか、考えさせられた。
 工藤さんのお話やパワーポイントで投影された篠田さんのすてきな写真を通して知ったキューバの子どもたちは、とても生き生きしているような感じがした。数字を気にしすぎて疲れきっている教師や子どもが多いように感じる日本と比較すると、ちょっとうらやましくも思った。
 工藤さんの書籍「子どもは未来の開拓者〜ストリートチルドレンのいない国キューバ」やニュースレターに掲載された去年のキューバツアー参加者の感想文を読まれた方はすでにご存知だと思うが、キューバではすべての子どもに対して教育が保障され、しかも保育園から大学まで、無料で通うことができる。そのほかに、小学校高学年から中学生には、彼ら独自の「パイオニア組織」を通して、「社会参加」の機会も与えられるそうだ。
 子どもは学校へ行って各教科の勉強をすることはもちろん、様々な社会の活動に参加することによって、労働することの大切さや、自分も社会や国に貢献できるということを学んでいるという。子どものうちからこのような「社会参加」の機会があると、おとなになったときに、より一層、社会の一員として適応しやすく、そうした機会があることはとても良いことだと思った。
 また、お話の中で工藤さんは、近年は経済のグローバル化が進むなか、ひとが持っているものを自分も持っていなくてはいけないと思い込まされ、周囲との比較にばかり神経を使い、物質的な豊かさばかり求めている社会があり、それを「心理的な貧困」に苦しむ社会と呼んでいた。(物質的な貧しさを、ひととの助け合いや心のつながりで乗り越えていこうという意欲や希望がある社会と違って、)物質的には例えば20年前よりもマシな暮らしをしているとしても、前述のような意識・思いこみのために「心理的な貧困」を抱える社会は、子どもにまで悪影響を及ぼし、子どもが路上生活を選ばざるをえないような状況を生みだしているという。そんな社会を持つ国々が多くあるなかで、キューバは、家族のつながりや地域の人々の力を非常に大切にしているようだ。私が工藤さんの話を通して感じたキューバの子どもたちの生き生きとした姿は、周りの人々の支えや人との絆があるおかげで可能なのではないかと思う。誰かの支えがある環境にいることで、子どもたちは安心して生活できるにちがいない。そういうコミュニティーが存在している国だからこそ、路上へ飛び出してしまう子どもがいないのだろう。
 無料の教育と医療が保障されているキューバの社会制度が、100パーセントいいものだとは思わないけれども、少なくともこれからの日本がキューバから学ぶべき点は多くあるように思う。
 私の知る限り、日本でも今、地域社会(ナナメの関係)を大事にしている杉並区の中学校があったり、机をコの字形に並べて「学びの共同体」と呼ばれる取り組みをしている学校があったりする。今後、これらの取り組みに期待したい。(このほかにも、子どもにとって良さそうな取り組みをしている事例をご存知の方がいたら、私も知りたいので、ぜひ教えてください。)
 幸いにも、今月29日には会主催で、昨秋実際にキューバへ行って来たメンバーの報告会がある。生の声が聞けるこういう場を通して、日本とキューバの違いやこれからの日本の子どもの未来について考えていけたらと思う。できれば、多くの方に参加してほしい。 *今秋のキューバを知る旅もお勧めです。
(こぐち ゆき・学生志望)

Posted by at 14:43


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