ストリートチルドレンを考える会
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2008年02月

2008年02月18日

2008年2月発行のニュースレターより

ひろみのメキシコシティ便り
その6 自分を知る、人との絆を知る

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共同代表・松本裕美
 メキシコシティから約1時間、車で南に向かったところに位置するクエルナバカにて、2007年12月22日から今年1月2日にかけて、長期キャンプが行われた。キャンプ地は、そこのオーナーの好意で定期的に提供してもらっている。熱帯気候、自然豊かな場所で、空気は澄んでおり、夜には満点の星空がキャンプ場を包む。メキシコシティとはまったく異なった環境である。
 キャンプ中は、1人のエデュケイターに約3人の子どもたちというグループ構成が組まれた。参加した子どもはまだ路上からセンターに通い始めたばかりの子でだったり、簡易施設からセンターに通っている子だったり、長期間路上生活を送っていてセンターに来たり来なかったりを繰り返していた子だったり、と様々な段階にある子どもたちだ。各段階に合わせた介入ができるように、路上チーム・デイセンターチーム・人生の選択チーム(薬物依存克服施設に入る、定住施設に入る、家族のもとに帰る、仕事を得て自立生活をするなど、子どもが決めた道に進めるように付き添い、後々までフォローする)のすべての段階の中から数名ずつ、エデュケイターが参加した。私は物品管理および整備・食事担当として、後半1週間の参加となった。
 キャンプは、ふだん子どもたちが通う9時から16時半までのデイセンターとは異なり、24時間2週間共にすごす。この期間、子どもたちはいつもとは異なる生活を経験する。薬物や危険な環境から離れてすごす。規則正しい生活習慣を学ぶ。一人ひとりがじっくりと担当のエデュケイターと話をすることができる。薬物から離れていることで頭痛や不快感を訴える子どももいたが、それでも薬を飲んで少し休めば回復していた。 
 何よりも思いっきり楽しめる空間にいたため、子どもたちはそれを満喫することでふだんの生活を忘れているようだった。いつもは嫌がってなかなかシャワーを浴びることも、洗濯や手伝いをすることもしない子どもも、率先して参加していた。路上で寝ているほうがよっぽど恐怖を感じると私は想像するが、テントから100メートルほど先にあるトイレに夜一人で行くのが怖いという子もいたりして、懐中電灯を持って付き添ったりもした。「絶対に先に行かないでよ」と念を押してきたり、センターでは見られない、何ともかわいらしい彼らの幼い面を垣間見ることができた。
 キャンプ中、担当のエデュケイターに「将来何をしたいか」と聞かれ、「早く死にたい」と言っていた子がいた。自分は長くは生きない、と言う。まだ12歳という幼さで。これまで育ってきた環境が、どうしようもないくらい彼の考えを固定させてしまっている。彼が暮らす場所は、路上生活者の第2、第3世代もいるところだ。彼らが眠る場所は一見、テントで寒さをしのげ、良さそうに見えたが、中はゴミから排泄物まである。周りには、生きる気力を無くしたおとなの路上生活者が、ゴロゴロと地面に寝そべっている。彼の父親も路上暮らしをしていた。そして薬物、アルコール依存症だった。もう両親ともこの世にはいない。
 担当のエデュケイターは、この先の人生は自分次第でまだまだ変えていけることを、キャンプ期間を通して繰り返し彼に伝えていた。彼は2週間もの間薬物から離れ、かつとてもよいコンディションでキャンプに参加することができていた。思い切り楽しみ、協力し、きちんと周りの人たちを尊重することもできていた。あまりにも幼いということと、環境的に自力で路上生活を抜け出すのは難しいということから、スタッによって薬物依存克服施設に入る手続きが踏まれ、彼はそこに入所した。その施設には同じくキャンプに参加した仲間が一足先に入所したため、一人ではない。何とか彼が踏ん張っていくこと、これからの人生を考えていけるように変わっていくことを願う。
 キャンプ後、一時的にもとの薬物まみれの生活に戻った子どもたちもいたが、1月末の現時点で、キャンプに参加したすべての子どもが路上生活から抜け出し、薬物依存克服施設に入ったり、定住施設に入ったり、家族の下に帰っていった。家を飛び出してから、2年、3年と路上生活を続け、決して定住施設に入ろうとしなかった子が、キャンプを通して変化していき、家族と暮らすために薬物依存克服施設に入った。
 子どもたちは、キャンプ中に他の子を気にかけるようになったり、リーダーシップをとったり、彼らが持つ健康な面をどんどん発揮し、成長していった。共同生活で生まれた連帯感が、センターから卒業し前進していく子をみんなで見送る時に、ひしひしと感じられた。見送る側も見送られる側も、兄弟のようにどこかで互いを気にしていて、互いの幸せを祈っていることが、何気ない言葉から伝わってきた。みんなの中に絆ができた。お互いを信頼し、かつ気にかける。子どもが発する言葉や振る舞いから温かさを感じることがある。私たちエデュケイターと子どもたちの距離も縮まった。
 キャンプ前半の1週間は休暇だったため、所用も兼ね、中心街に出てキャンプには参加しない子どもたちとクリスマスの挨拶を交わしたり、たわいもない話をしたりしてすごした。12月24日と25日、メキシコの町は日本のお正月のような雰囲気だ。中心地は華やぎ、そのほかは静まりかえっている。どこもかしこも中心地以外の店は休みだ。そんな中、子どもたちはその空気から取り残されているかのように、車道脇に並んでぼんやりとした表情でたたずんでいたり、地下鉄駅構内でいつもと同じように薬物を吸っていたり、路上でぐっすり眠っていたりした。偶然だが、連日出会った子もいた。
 私に気づくと手に持っていた薬物を捨て、周りの仲間に私を紹介し、嬉しそうな顔をして、たわいもない話をしてくれた。「みてみて背中」と運悪くガラスの上に横になったために傷ついた背中を、おどけた顔で見せた。その後、デイセンターでの思い出話をしたりして、お互いに思い出し笑いをして、しばしすごした。毎回、別れ際に「もうボクはプロ・ニーニョスには入れないんだよ」と言うため、「もし生活を変えたいって思うなら、いつでも扉は開かれているよ。だからよく考えなよ。また会おうね」とその度に伝えた。自分はもう行ける施設がないと思いこんでいた彼は、自分次第だということを理解したようだ。ただ、自分の体は傷つくけれど、簡単にお金を稼げる路上生活への依存から、今も抜け出せないで、抜け出さないで、いる。
 路上チームで働いていて知ることは、劣悪な環境に生まれ育つ子どもたちが、たくさんいるということだ。8歳にして父親から薬物を教えられ、物心つく頃から父親が薬物依存症で、盗みをして生計を立てている環境を見ながら育ってきた子。彼、彼女らが考えを変えていくのは難しいことを知った。自分にはこの人生しかないと思い込んでいる、またはあきらめている。
 薬物を使用することが悪いことだとわかっているが、10歳の女の子は薬物を吸いながら、車の窓ガラス拭きの仕事をして、路上で家族と過ごしている。施設の情報を得ても、子どもを施設に入れようとしない母親。娘が薬物依存症であっても、どんなに危険な路上で寝ていても、自分のそばに置いておくほうが安心できるのか。暴力を振るう夫から逃れ、子どもを連れ、都心に来れば仕事が見つかり安心して生活できると思っていた母親。彼女の肩には多くのものがのしかかっている。どうか利用できるサービスを利用して前へ進んでいく勇気を持ってほしい。彼女があきらめてしまったら、出てきた頑張りが無駄になってしまう。他団体と協力して介入を進めているところだ。
 メキシコは、薬物が身近にありすぎる国だと感じる。身近なところで働いているから尚更感じるのかもしれないが、街のあちこちで薬物の売買が行われている。若者たちが学校をさぼり、午前中の公園で薬物を吸っている光景を目にすることも、時々ある。
 知り合いの計らいで、他団体が実施する少年院でのアクティビティに先日参加させてもらった。各薬物についての正しい情報を伝え、その後ゲームをして遊ぶといったものだ。子どもたちは、すべての作用を知っているわけではないが、自分が体感した症状に関してはわかっている。どうしてそうなるのか、そして最終的にはどうなるのか、ということを、アクティビティを通して理解する。薬物はいけない、それだけなら知っている。ただ、それだけでは手を出さないようにする効果は弱い。環境を整えることは必要だ。この訪問を通して、繰り返し正しい情報を伝えていくこと、教育していくことが大切だと、再認識させられた。
(まつもと ひろみ・看護師)

Posted by at 19:38

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