ストリートチルドレンを考える会
…子どもたちの未来のために……
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2008年04月

2008年04月01日

学習会/それでも私は育てたい

2006年夏から昨夏までの1年間、私たちの会が支援しているメキシコシティのNGO「カサ・ダヤ」で暮らす少女たちと定期的に交流してきた会運営委員リーダーの三井由香さん(昨夏まで1年間体験記事を連載)が、そこでみたこと知ったこと感じたことを、わかりやすくお話します。

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★「カサ・ダヤ」は、路上や貧困家庭で性的虐待などによって、幼くして妊娠・出産した少女たちが子どもとともに暮らす施設です。(会ホームページの、会が支援している団体紹介にも活動内容が出ています。

日時  4月13日(日)午後1時半〜4時45分
場所  東京・杉並区阿佐ヶ谷地域区民センター
   (JR阿佐ヶ谷駅より徒歩2分)
参加費 会員200円
   (非会員350円、高校生以下250円)

お問い合わせはこちらへ。

Posted by at 19:19

2008年04月11日

2008年4月発行のニュースレターより

路上の少女と貧困層の母子を支援するジョリアから その3

小柳出紗季 
 3回にわたって書かせていただいたこのレポートも、いよいよ最後になりました。私がたった3ヶ月で得たものや、この3回のレポートで伝わるものはわずかだったかもしれませんが、みなさんに少しでもジョリアのことや私が感じたものが伝わっていたら、うれしく思います。
 ジョリアにいて、私は何か日本人の私たちにはなかなかない、家族のつながりを感じました。自分の兄弟が他の友だちとけんかをしているとき、自分の兄弟に何か悲しいことがあったとき、ジョリアでは全力で兄弟を守ったり、一緒になって悲しくなって泣いてしまったりするのを、頻繁に見かけます。あまり頻繁に見かけるので、日本の子どもたちは自分の兄弟が誰かと口げんかをしているのを見て、本気で兄弟を守ろうとするだろうか、または自分には関係ないと見て見ぬふりをしないだろうか、と考えてみました。少なくとも今まで私の周りにいた親戚、友だちの兄弟たちは、自分の弟や妹のけんかに加勢して彼らを守ろうとすることは非常にまれだったような気がします。彼らの兄弟愛を見て、8月に参加した「ストリートチルドレンと出会う旅」の時に自分のことを話してくれた子たちが、よく自分の兄弟を心配していたのも思い出しました。
 現地で知り合った友だちのルイスに聞いてみると、もしかしたら、それは家が貧しいために自分が信じられる一番身近な人として、過剰に兄弟を守る傾向があるのではないか、という答えが返ってきました。彼は、今はピザ屋を2つ持つ、メキシコではそれなりに裕福な人ですが、学歴は小卒、母親一人に育てられ、兄弟は10人以上。村で中学校へ通っていた頃に、学校を中退して家族でメキシコシティへ引っ越し、その後しばらくは子どもたちも働きながらダンボールで過ごしていたそうです。実際に彼らと同じような経験をしているルイスの言うことなので、もしかしたら本当なのかもしれません。正しいかどうかはわかりませんが、もし彼が言っていたように、兄弟を守ろうとすることが貧しさゆえであるならば、私はそれがなんだか悲しいことのような、しかし、モノにあふれて家族愛を失いつつある日本人の心の貧しさと比べれば、彼らの心の方が幸せなような、複雑な気持ちになりました。
 しかし、その複雑な気持ちを払拭しようと、私は事あるごとに子どもたち、特に小さな子どもたちにきいていました。
「私と一緒に日本に来る?」
 すると大抵「来る」と答えます。そして私は、
「もうお母さんと会えないけどいい?私がお母さんでもいい?」とききます。するとみんな、「ママと一緒にいたいから、じゃあ嫌」などと答えます。
 私は答えがわかっていながらも、いつもそうきいていました。彼らの家庭での問題を知っているからこそ、それでもお母さん、お父さん、おじさん、おばさんと一緒にいたいという答えに、安心させられるからです。家族と一緒にいたいという気持ちを常に忘れないでいてほしいと思い、質問を繰り返していました。家庭に問題があっても、家族の中に自分を愛してくれる人がいるということが、子どもたちをどれだけ安心させるかということを、子どもたちを通して改めて教えてもらったような気もします。
 話は変わりますが、デイセンターではオルガ、アナイという2人の女性が別のエデュケイターと一緒に働いていました。2人は路上に住んでいた経験があり、ジョリアと関わっていたことがあることから、デイセンターで働いていました。職場でのトラブルから今はジョリアを離れてしまいましたが、私はある時彼女たちと数時間行動を共にしたことで、たくさんのことを学びました。ある日、私は彼女たち2人と一緒に、近々開く2つのパーティの買い出しのため、市場へ行くことになりました。大金を持って電車を乗り継がなければならないお遣いは、彼女たちにとってはちょっとした冒険だったらしく、2人は緊張しながらも舞い上がっていました。市場に着くと、たくさんある店の中から安い店を選んでは、パーティで使うお菓子などを買いこんでいきます。勝手がわかっている2人と一緒で、買い物はどんどん進み、買い物を終えると荷物は3人でも持ちきれないほどいっぱいでした。2つのパーティのうち、1つはオルガの娘たちの誕生パーティだったこともあり、オルガは自分が一番重い荷物を持つのだと言って、率先して重い袋を持って歩いていきました。駅へ着き、荷物を私たちに預けたと思うと、オルガがどこかへ行ってしまい、どうしたのがと思っていると、少しして、3人分のジュースを持って帰ってきました。
「手伝ってくれてありがとうね」
 このオルガの一言と気遣いに、私はとてもあたたかい気持ちになりました。
 地下鉄に乗り、自分がイスに座っていれば、他にお年寄りや妊婦さんがいないか自ら探しては席を譲ってあげる2人。地下鉄の階段でお金を求めているおばあさんを見つけると、自分の重い荷物をおろして財布を出してでも、小銭を恵んであげる2人。小さい子を見つけるとさっき買ったパーティ用のお菓子を開けてプレゼントしてあげる2人。素敵なバッグを持っている人を見つけると、「それかわいいね。どこで買ったの?」と話しかける2人。オルガとアナイと一緒に行動していると、すべてのことに素直に振舞い、同時に人に幸せを振りまく彼女たちをうらやましく思ったり、優しい気持ちになれたり、小さな幸せがあふれているような気がしました。
 私は地下鉄で席が必要な人を自ら探すだろうか、これほど見ず知らずの人に思いやりを持った行動ができるだろうか、と自分の行動を思い返して反省してみたりもしました。
 前に、日本語を勉強しているからと紹介された現地のメキシコ人の友だちと彼女の母親に、「あなたが働くような施設の子たちは、モノを盗んだり、社会のルールを守れない子たちだから、用心しなければダメよ」と言われたことがあります。何を言い返しても、「あなたはまだ彼らをよく知らないからよ」と言われ、まだジョリアでボランティアをさせてもらおうと連絡を取っている最中だったのもあって、実際に彼らをよくは知らなかった私は、多くのことを言い返せないままでいました。しかしオルガとアナイとのお遣いで、自分の人間的な未熟さを反省すると同時に、彼らは人がなかなか持っていない、すばらしくあたたかな心を持っているんだと、胸を張って言えるようになったことにうれしくもなりました。路上に住んでいたからどうこうではなく、裕福な人たちが富や日々の忙しさによって忘れてしまった、人が本来持っている優しさを、少なくともオルガとアナイは忘れていないという点で、私は2人が他の人より優れていると思うのです。
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オルガとアナイが働いていたジョリアの保育所

 ジョリアに通って、私は自分が今まで持っていなかった多くのことを教えられたような気がします。それぞれ違った、優しくあたたかい心を持った彼らの家庭が少しでも改善に向かうこと、また彼らが今後もずっとそのすばらしい心を失わないでいてくれることを、私は願っています。ジョリアでボランティアを始めるにあたってアドバイスをくださった工藤律子さん、また私を受け入れてくれたジョリアのエデュケイターたちに、心から感謝しています。そして、このレポートを読んでくださったみなさん、上手な文章が書けず申し訳ありませんでしたが、読んでいただいてありがとうございました。
(おやいで さき・大学生)
[注]ここに登場した「オルガ」は、工藤律子著「ストリートチルドレン」(岩波ジュニア新書)に出てくるオルガ自身です。

Posted by at 12:20

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