ストリートチルドレンを考える会
…子どもたちの未来のために……
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2008年01月

2008年01月17日

ラテン新年会のご案内

 年に一度のこの機会に、日ごろから活動に参加されている皆さんはもちろん、ふだんはなかなか参加できないという方も、ぜひお越し下さい。
 会員以外の方も歓迎しますが、用意する料理の都合がありますので、非会員の方は
こちらからお申し込み下さい。



日 時 1月19日(土)午後5時半〜8時半  

場 所 大学生協会館5階(東京都杉並区和田3-30-22/地下鉄・東高円寺駅近く) 
 
参加費 1,500円 (飲み放題、食べ放題)

 

Posted by at 10:48

2008年01月19日

2008年1月発行のニュースレターより

学習会 アジア人権賞を受賞したフリースクール
「パアララン・パンタオ」代表と話そう! 報告

運営委員 工藤律子
 12月8日の学習会には、予想を超える人数47名が集い、30人の集会室は満杯に。ゲスト、「パアララン・パンタオ」校長レティシア・レイエスさん(65)=通称レティさんは、ご高齢なこともあり、前日の受賞式等のためにお疲れだったので、話は主に同行した息子のジェイコベンさん(31)=通称ジェイさんがしてくださった。
 「パアララン・パンタオ」は、マニラ首都圏ケソン市パヤタス地区のゴミ山の麓にある無料の学校だ。貧困家庭に生まれ、適齢期になってもなかなか公立学校に入ることができない子どもたちに、教育を受ける機会を提供している。

●マニラ首都圏、そしてパヤタスの現実
 学習会ではまず、写真をスクリーンに投影しながら、私・工藤が「パアララン・ンタオ」のあるフィリピン・マニラ首都圏の貧困問題、貧困家庭から路上に出てくる「ストリートチルドレン」、そして貧困家庭が大勢暮らす「パヤタス」(「パアララン・パンタオ」のある地区)について、簡単に紹介した。
 マニラ首都圏は、人口1400万人をこえる大都会だが、住民の大半が貧困層。貧困家庭からは、10万人ともいわれる子どもたちが「路上で働く」あるいは「路上で寝起きする」生活をしている。パヤタス地区は、そんな首都圏が生み出すゴミの大半を引き受けるゴミ集積場で有名な所だ。
 そこには、地方から職を求めてきた貧しい人々が集まり、掘建て小屋の住まいを建て、ゴミ山でリサイクル可能なゴミを拾い集めて売る仕事をして、生計をたてている。小学校すら出ていない学歴の低い人々が簡単に最低限の日銭を稼げる仕事が、このゴミ拾い=スカベンジャーの仕事だからだ。
 スカベンジャーは、1日100〜200ペソ(270〜540円)程度稼ぐ。マニラ首都圏の最低賃金は約350ペソだから、かなり小額といえる。が、1家族に2〜3人の働き手がいれば、何とか食べて行くことはできる。そのため、「パアララン・パンタオ」の裏にそびえるゴミ山では、毎日3000人近い人たちが、スカベンジャーとして働いており、なかには子どもたちの姿もあった。
 2000年7月、大雨によってゴミ山が崩落し、何百人もの死者を出す大事故が起きた。それ以降、安全のために、14歳未満の子どもがゴミ山で働くことは禁止になった。スカベンジャーの組合が発行する許可証を持つ14歳以上の者だけが、ゴミ山で働けることになったのだ。子どもたちは家計を助けようと、今も周辺でゴミを集めたり、ゴミの仕分けを手伝うなどの仕事をしている。
 ゴミ山の崩落事故はまた、事故現場付近に暮らしていた約500世帯に、隣町への移住を余儀なくさせた。リサール州モンタルバンに政府が建てた再定住用住宅に移るよう、行政からの指示が出たからだ。「パアララン・パンタオ」に通う子どもたちの家庭も、多くが引っ越した。しかし、再定住地には仕事がないため、親は毎日交通費をかけてゴミ山に働きに来なければならなくなり、ますます苦しい生活を強いられることになった。 

●「パアララン・パンタオ」の現状
 「パアララン・パンタオ」は、現在パヤタスのゴミ山の麓と、再定住地モンタルバンに1校ずつ、計2校ある。パヤタス校は、ゴミ山の拡張のために2006年末、新しい校舎に引っ越し、以前の校舎はゴミ山に飲み込まれた。新校舎に、現在193名の子どもたちが登録、幼児から小学校低学年年齢対象の午前中の授業と、年長の子ども対象の午後の授業に分かれ、2人の先生の指導を受けている。モンタルバン校には136名が登録し、やはり午前と午後に分かれて、4人の先生の指導を受ける。学校では、公立小学校レベルの勉強を教えるほか、歯磨きなどの基本的生活習慣や、図画工作、音楽、踊り、遠足など、様々な活動を通して、子どもたちに幅広い夢を抱ける機会を与えている。また、シンガポールの仲間の支援で給食サービスを、日本やスイスの人たちの支援で大学生6名、高校生1名、小学生1名に奨学金を提供。運営資金の大半は、「パヤタス・オープンメンバー」(岩崎一三さん主催)の支援でまかなっている。

●「パアララン・パンタオ」ができるまで
 校長をつとめるレティさんは、1980年代前半、まだパヤタスにゴミ集積場がなかった頃に越してきた。そこに土地を買った姉に誘われたからだった。ジェイさんは言う。「ボクは6〜7歳だったけれど、そこにはまだ田んぼや野菜畑などがあり、緑溢れる場所だった」。ところが数年後から、「一時的な利用だ」という説明で、市が崖下の窪地にゴミを捨て始めた。やがてそこはゴミが日光で燃えて煙を上げる「スモーキーバレー(煙の谷)」となり、後にとうとう「マウンテン(山)」になった。
 生活環境の悪化に伴い、レティさんの姉はほかへと引っ越して行く。だが、レティさんは「住民組織のリーダーとして活動していたので、ここを離れる訳にはいかなかった」ために、留まった。そもそも住民リーダーになったのは、当時、アキノ大統領就任に伴い活発化したNGO活動がパヤタス地区にも広がり、地域住民の組織化が叫ばれる中、周囲が「次の選挙までの間だけでいいからリーダーになってほしい」と頼んできたからだった。それがいつのまにか、レティさんのその後の運命を決定づけることに。
「ボクは当時小学1年でしたが、学校は1キロ離れた所に1年生用の教室が1部屋あるだけでした」。ジェイさんが、当時の地域の教育環境を語る。「そのため、母はボクが2年生になる時、近所の母親たちと共に、教室を増やしてほしいと訴えに行きました。結局かなえられませんでしたが、この頃から地域の教育意識が変わり始めました」
 レティさんの家には当時、甥や姪など、親戚の子どもたちも暮らしていた。彼女は、自分の子どもと彼ら全員に、学校の宿題をはじめ、様々な勉強を教えていた。それを見ていた近所の母親たちが、「ウチの子にも教えてくれませんか?」と頼んできたことが、「パアララン・パンタオ」を開校するきっかけとなった。
 レティさんの率いる住民組織「ゴミ捨て場隣人組合(DNO)」のメンバーは、スカベジャーとして働く母親たちだった。彼女らは、まずスカベンジャー以外の生活手段を得るために、みんなでリサイクルゴミを買い取る店=ジャンクショップを始める。ただゴミを集めるだけでなく、それらを買い取り売りさばく商売を軌道に乗せれば、生活が良くなると考えたからだ。が、店は運営資金不足のために、1年ももたなかった。
 母親たちが取り組む商売を通して、ゴミが現金に変わる場面を頻繁に目にするようになった子どもたちが、勉強よりもスカベンジャーの仕事を重視するようになったことも、ジャンクショップをやめる動機になった。そのあと、母親たちが考えたのが、「子どもたちが安心して遊び学べる場所=フリースクールをつくる」ことだった。
 友人知人を通して様々な個人、財団に助力を求め、まずは現地NGO「チルドレンズ・ラボ」の協力を得 て、劇などの創造的な手段を通じて子どもたちが学ぶ教室を始めた。その後、親や兄姉が働いている間、幼い子どもたちが毎日通えるデイケアセンターを開き、レティさんが「先生第一号」になった。生徒は約30人。
 そうして徐々に親たちの教育に対する意識が高まっていき、小さなデイケアセンターが現在のような学校「パアララン・パンタオ」へと発展したわけだ。

●「パアララン・パンタオ」を維持し、広める
 「パアララン・パンタオ」の運営を維持するのは、しかし、大変な仕事だった。1993〜94年頃には一時、資金がまったくなく、先生たちへのささやかな給金すら支払えなくなった。先生はほとんど皆地域の女性で、スカベンジャーをやめて先生になった人もいたため、何ヶ月も給金を待ってもらわなければならない状況は、本当に苦しかった。が、やがて日本人の留学生らが頻繁にボランティアに来るようになり、少しずつ支援の輪が広がったおかげで、後に岩崎さんらの支援グループ「パヤタス・オープンメンバー」ができ、運営資金を集めてくれるようになって、運営が安定してきた。
 2000年のゴミ山崩落事故と人々のモンタルバンへの移住が、分校を開くという新たな大仕事をもたらしたこともあった。が、それも、「再定住地へ引っ越した子どもたちにも教育の機会を」というレティさんら関係者の強い信念と、息子ジェイさんや頼もしい支援者の応援と経済的支援で乗り越えた。ジェイさんは、こうして地域のために闘ってきた母レティさんのことを、「とても誇りに思っています。だから、ボクもその理想を共有して、一緒に活動することに意義を感じているのです」と話す。
 現在、「パアララン・パンタオ」に通う子どもたちの大半は、数年間そこに通った後、公立学校に編入することに成功している。その後、高校へ進んだ子もいるほどだ。
 レティさんたちのこれからの夢は、「この運動を続けて行くこと、そしてよい多くの子どもたちにパアララン・パンタオに来てもらうこと、さらには皆さんにもどんどん学校を訪れてもらい、そこで刺激を受け、小さなことからでいいので、何か独自の創造的な活動を始めるきっかけをつかんでもらうこと」だ。

レティさん

●学習会の後半・質疑応答で (Q:質問 A:回答)
 途中休憩の後、会場の参加者から集めた質問に、ジェイさんが答えてくれた。

Q:フィリピンでは盗みをする子どもが多いが、それを止める方法は?
A:盗みが起きている場所を考えてください。それは例えば路上です。路上暮らしの子どもたちは、必要に迫られてよく考えずに盗みをします。それを止めるのは、幼い頃からの教育だと思います。盗むな、というのではなく、単純に「良いこと」「悪いこと」といった正しい価値を伝える教育を、5〜6歳の頃からすることで、盗みは止められると思います。私たちはそういう努力をしています。おかげで、「パアララン・パンタオ」に通う子どもたちの中には、窃盗で捕まった子はいません。

Q:出生証明書がないために、公立学校に入れない子どもはどうするのか?
A:「パアララン・パンタオ」では、親に相談を受ければ、出生届の出し方など、きちんと教えます。その気になれば、出生証明書を得ることは、それほど難しいことではないのです。むしろ問題なのは、親自身が子どもを学校へ入れる必要性、意義を認識していないこと。いくら出生証明書の手続きをしてあげても、結局学校に行かせないが結構多い。ですから私たちは、まずできるだけ多くの子どもに「パアララン・パンタオ」へ通って学ぶ楽しさや意義を感じ取ってもらい、学習意欲を抱いてもらう。そして、子どもの変化を通して、親にも通学の意義を理解してもらうよう、努力しています。

Q:パヤタスの子どもたちのどのくらいが、フリースクールへ通っているのか?
A:正確にはわかりませんが、パヤタスにはNGOが運営するフリースクールがほかにも複数あります。「パアララン・パンタオ」はそのなかでも小さいほうです。ですから、かなりの子どもたちがそうした学校へ通っていると思います。ただ、それが毎日継続的なものなのかどうかは、わかりませが。

Q:パヤタスの子どもたちは洋服など、(貧困の中)どうやって手に入れているのか?
A:幸い、パヤタスで親がスカベンジャーとして働く家庭の場合は、最低限のお金は何とか稼いでいますから、たとえ年に一度でも自分で服を買うことができます。お金がない家庭は、多くのNGOが頻繁に古着を寄付していますから、それでまかなっています。

Q:子どもが多くて生活が苦しいのでは?それはキリスト教が産児制限に反対だから?
A:教会は、確かにコンドームなどを使用しての産児制限には反対です。でも、夫婦が自分の意思で行う自然な家族計画は、奨励しています。ですから、一般のフィリピン人は今、子どもはつくりすぎない方が生活は楽だと考えています。問題なのは、貧困層の間では家族計画や、その実施方法を知らない人が多いことです。知識の普及が必要です。

Q:子どもたちの人権を守るためには、今とは異なる政治、経済状況が必要だと思うが、どんな変革が必要だと考えるか?
A:そうした問題はよくわかりません。私たちとしては、問題が山積みの国の政府に何かを期待するよりも、地域の問題をまず自らの手で解決して行くことに専念しています。

Q:「パアララン・パンタオ」のこれまでの成果は?
A:いろいろな視点で、成果を見ることができると思います。まずは子どもたち。彼らは本当に大きく変わりました。その未来は以前に比べて、ずっと明るいものになったと感じます。それから、友人のみなさん。みなさんが私たちの学校に関わったことをきっかけに、新たな行動を起こしていってくれたこと。それもまた、大きな成果です。

Q:通っている子どもたちは、「自己肯定感」が低い等の問題を抱えていないか?
A:大半の子どもは、自分に自信がない、自己肯定感が低いと言えます。それを変えるために「パアララン・パンタオ」では、みなさんのような海外の友人と交流したり、パヤタス外の世界と触れる機会を与えるようにしています。そうすると、子どもたちは少しずつ変わっていき、恥ずかしがりで、自分の意見を言えなかった子も言えるようになる。より大きな夢、将来の展望を抱くようになる。その第一号、良い例はボク自身です(と、ジェイさん)。ボクも、パヤタスの子どもの1人で、自信のないシャイな子どもでした。でも、母の活動の影響で、必然的にパヤタスの外の世界と関わる機会が増えて行き、次第に自分のできることが沢山あることを知って、世界が広がりました。これからも、「パアララン・パンタオ」を通して、そういう子どもは増えていくでしょう。

Q:日本の私たちにできることは何か?
A:その答えは、皆さん自身の手の中にあると思います。私たちが言えるのは、「パアララン・パンタオを訪れ、私たちの小さな試みが生み出してきたことを感じとってください。そして、皆さん自身も、小さなことでいい、独自の行動を起こしてください」ということです。私たちがしてきたこと、続けていこうとしていることは、小さなことかも知れません。でも、その行動自体に意義があり、変革への可能性があると思います。何もしないより、するほうがいい。みなさんも、ぜひその小さな一歩を踏み出しましょう!
(くどう りつこ・ジャーナリスト)

Posted by at 11:14

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