ストリートチルドレン

ストリートチルドレンを考える会
…子どもたちの未来のために……
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2007年11月発行のニュースレターより

グアテマラからの手紙 その3 

田中健紀(会員)
 今月は、先月ご紹介したのエデュケイター、グレンダさんにお話してもらいます。彼女にメッセージがありましたら、ぜひ会のほうへメールで!
     
 私はグレンダ、27歳、グアテマラの首都グアテマラシティでも結構、物騒だと言われる18地区で、夫、子ども3人と一緒に住んでいるの。そう、「モホカ」との出会いは、(「モホカ」の創設者)ヘラルドと路上で会った1996年のことだったわ。「モホカ」に遊びに来るように誘われて、ある時期から通って勉強するようになり、そのうちにボランティアをするようになって、働き始めたの。
 ボランティアとしての最初の仕事は、路上にいる女の子たちを支援すること。3ヶ月ほど経験を積んだわ。次に、月に2回開かれている「以前路上生活をしていた女性を対象にした会(Quezalitas)」で、子どもの面倒をみたり、イベントを手伝ったりした。5ヶ月ほど働いたわ。それで、そのグループのリーダーになったの。
 女性たちは子どもを連れてきていて、私の子どもも通っていたわ。この会で心理的セラピーなどを受け、更に学校に通うための奨学金をもらった。そしてある日、コーディネイター(元路上の子どもで、一定の勉強やボランティアを行った後、職員になる)の選挙で、選ばちゃったの。給料をもらえるようになって、うれしかったわ。
2003年の9月1日、その日から私は、職員であるコーディネイターになった。それから2年後には、コーディネイターの代表に選ばれたのよ。
 今路上にいる子たちには、チャンスをあげたい。人間としてストリートチルドレンでいることは幸せな状態じゃないから。みんなが現実を知ることが重要だわ。現在のグアテマラ社会は、ストリートチルドレンに関心がなく、どうでもいい存在だと思っている。
 私?もう二度と路上に戻ろうとは思わないわ。私は9歳の時に家出をしたの。家での虐待がひどくて、いられなかったの。学校もすぐにやめたわ。小学校に行っていたけれど、お金がなくて、ノートも買えなくて、ダンボールに字を書いて勉強していた。みんな貧乏だったけど、もっともっと貧乏な私は馬鹿にされて、悲しかった。
 ママはとてもいい母親なの、でもね、パパは暴力がひどかった。家出をした後は、路上に住んでいた。窃盗や薬物を覚え、何でもやったわ。少年院に6ヶ月入れられたこともある。食べるためには泥棒をするしかなかったから。NGOの人に誘われて、施設で生活したこともある。でも、規則だらけなのが嫌で、すぐに出てきた。
 ヘラルドと出会ったのは、もう10年以上前だけれど、最初は彼のことも全然信じていなかったわ。そんな頃、妊娠してアレハンドラが生まれたの。妊娠中は薬物をやめていたけれど、出産半年後にはシンナー、マリファナ、コカインをまた始めた。やめられなかった。でも、子どものことを考えて、路上を去ることにしたの。薬物はやめられなかったけれど。そうして夫と暮らし始めて、娘が育つのを見ながら、まもなく2人目をみごもった。この時、大切な娘のことを考えて、もう薬物をやめようと決意したの。「モホカ」のヘラルドが、夫が、そして娘が私を導いてくれたのよ−

 グレンダには路上生活時代、大切な親友が3人いた。その一人ジョハナは、薬物依存で死んだ。イシスは薬物でおかしくなりながら、路上に住み続けている。サラは「モホカ」でグレンダの同僚だ。
「もし、ヘラルドらと出会っていなかったら、私たちは違う道を歩んでいたと思う。人と人との出会いが人生を彩る。出会いを大切にし、力強く生きたい」とグレンダは言う。
 グレンダは今年9月、10年前から念願だった結婚式を挙げた。白いウエディングドレスをみんなが囲んだ。時に落ち込み、時に力強く微笑みながら、生きてきたグレンダ。私たちも諦めずに夢に向かって歩きたい。
 最後にグレンダから、一言。
「暴力をそれ以上受けないために家出をするストリートチルドレンは勇敢なの。でもね、起きていることを人に伝えて、解決することを望むのは、もっと勇敢なことよ。薬物は絶対だめ。La amistad y Amor(友情と愛情)、私が大好きな、この言葉を送るわね」
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NGO「モホカ」の昼食風景
(たなか たけのり・団体職員)

ひろみのメキシコシティ便り
その4 闇から光を生み出す 

松本裕美(運営委員)
 昔々、光が存在せず真っ暗闇だった頃、神々はテオティワカン(古代都市)の神殿に集まり、光を生み出すための会議をした。結果、焚き火の中に一人の神を捧げることが決まった。火の中に飛び込んだ後に光が燦々と輝くようにと、富と権力を持ち豪華な衣装をまとった若い神が選ばれた。しかし、彼は火に飛び込む間際になって、怖くなった。その後、貧しく権力もないが、とても勇敢な一人の青年神が、自ら火の中に飛び込むと申し出た。神々はそれを認め、青年は火の中に飛び込んだ。そして太陽が生まれた。最初の候補者であった青年はその光景をみて、自分が飛び込まなかったことを恥じ、その直後に火の中に飛び込んだ。そしてもうひとつの太陽が生まれた。しかし太陽がふたつあってはいつも昼間で困ると、一番長老の神が白いウサギをふたつめの太陽に投げつけた。と、ウサギは太陽にくっつき、たちまち太陽は白くなり、月が生まれた− 
 週末、仲間とテオティワカン遺跡に行ってきた。その仲間が、テオティワカンには太陽と月の伝説がいくつもあるが、「この伝説は素敵でしょ」と言って教えてくれた。テオティワカンは紀元前2世紀頃に建造されたメキシコ最大の宗教都市国家で、巨大なピラミッドをふたつ持つ。その中のひとつは、世界で3番目に大きいとガイドブックに書かれてる。日ごろの肉体労働のおかげか、はたまた標高の高さに体が慣れたためか、そのピラミッドに疲れることなくヒョイヒョイと登れた。頂上では、すがすがしい風をまとうことができて、とても心地良かった。そして久々にメキシコシティの大気汚染カプセルから抜け出し、澄んだ空気を存分に味わうことができた。
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太陽のピラミッドから月のピラミッドを望む
 さて、私がボランティアスタッフとして働いているNGO「プロ・ニーニョス」は、男の子を対象に活動している。男の子と女の子が抱える問題には異なる点が多くあるので、それぞれに見合った働きかけが必要だからである。路上で暮らす子どもの7、8割が男の子である、ということからも、男の子を対象として活動する施設になった。
 子どもたちは物乞いや車のフロントガラス拭き、芸、薬物販売、露天商の手伝いなどをして、お金を稼いでいる。また、路上で長期間暮らす子どもの多くが、性産業で働いている。大勢の少年が、おとなの男性に体を売ってお金を稼いでいる。皆が進んで性産業の道に入るわけではない。性虐待にあったことがきっかけになった、性産業で働いている路上の仲間に関係を迫られた、仲間から遊びの一種として誘われたなど、背景は様々だ。ホテルへの宿泊、新しい洋服、お小遣いなど、餌をちらつかせて子どもに関係を迫るおとながいる。
 その子が自分で決めたことで、自分をしっかりケアできるのなら、口を出す必要はないのかもしれない。が、そのことでアイデンティティが揺らぎ、自分は男性が好きなのか、女性とは恋愛できないのかと思い悩む少年たちがいる。また、便失禁や肛門周囲のただれ、感染症などの身体的障害を負う子どもも。そうやって路上生活を続けている少年が「ボクはオカマだ!売春をしているんだ!」と泣きながら叫んでいたことがあった。
 彼はセンターに留まることも、簡易施設に入ることも、家に帰ることもできた。しかし、路上に戻って行った。彼のために何ができるだろう?彼はどうしたいのだろう?悩んではいても、状況を変えることには恐れを抱いているのだろうか。彼の言葉は、私の胸にのしかかったままだ。路上で彼らの心理ケアをすることは困難だが、現状からして一刻も早く彼らのケアができる機関を充実させることが必要だと、日々考えさせられる。
 デイセンター内で少年同士の性的遊びが見られることもある。ある子どもがセンターに来たくても、「路上の彼氏」が見張っていて来させないこともある。薬物と似た面を持つ性の問題。一度味をしめてしまうと、そこから抜け出すことが困難になる。一定期間、集中的に働いてお金を稼ぎ、またセンターに戻ってくる。が、その後再びお金を稼ぐために来なくなる。戻ってきた時、彼らは必死に子どもの面を取り戻そうとしているように見える。子どもに戻るためにセンターへやって来るのかもしれない。放心状態で戻ってくる子もいる。性産業で稼いでいる少年たち、彼らと路上で出会った時、心も体もボロボロで消えてしまいそうな状態にみえる時がある。とても悲しい気持ちになりながらも、「キミには多くの可能性がある」ということを伝える。共に食卓を囲み、遊び、笑い、同じ時をすごしてきた経緯があるから、お互いに悲しい気持ちになっていることが伝わる。それでも、その子が変わっていくことは本当に難しく、時だけが過ぎていく。
 路上で働きかけをする私たちができることは、センターに続けて来る気にさせること、体を大切にするように、感染予防をしっかりするように伝えることだ。またセンター内で、子ども間での性虐待が起きないように留意すること。彼らの変化に気をつけること。
 彼らの脳裏には「今」しかないのだ、と感じる。「今」をどう生きるかは大切だけれど、「この先」をどう生きていくかを考えたくなる「今」になればいいのにな、と思う。
 変化に不安を持ち、路上生活から抜け出せない子どもがいる一方で、みるみる変化していく子どももいる。
 とても幼いにも関わらず、薬物依存がひどく、路上で出会った時はたちの悪い酔っ払いのようだった子ども。最初のうちはセンターに留まっていることも難しく、シャワーを浴び、朝食を食べたらもう路上へ戻る、といった具合だったが、徐々に変わっていく様子をみて、これが彼の本当の姿なんだと感心させられた。
 私たちスタッフは、「強要はしない」、「子ども自身が決めて動かないと結局のところ変わらない」という考え方を持つ。けれど、この子のようなケースでは、自分の意思で、常時薬物にまみれていた生活から数時間離れるということも、普段と違う環境に身を置くということも、とても難しい。だから私たちは、その子が「もう帰るよ!」と言っても、いかに彼の関心をセンターに向けるかということを考えながら、あれやこれやと遊びに誘ったりする。そうやって、日々少しずつセンターに居られる時間を延ばしていく。
 路上チームの私たちは、子どもと最初に出会う。そのため、子どもをセンターに連れてきた場合、その子がセンターの環境になれるようにしばらく彼らと一緒にいる。そして、時間がある限りセンターに行き、アクティビティ外の時間を一緒にすごす。
 たちの悪い酔っ払いのようだった子は、最近では自分ひとりでセンターに来られるようになり、最後まで落ち着いてアクティビティに参加し、冗談を言って私たちを笑わせたり、怒りに任せてスタッフを殴ったり作品を壊したりする他の子に対して説教をしたりしている。
「ちょっと待てよ!ここでは周りの人、スタッフ、子どもを尊重しないといけないっていう約束があるんだ。それにこの作品はみんなが作ったものだ。そんな風に扱っちゃだめだよ。それが守れないなら、ここにはいられないよ」
 何だか一昔前の近所のおじさんのような感じで、ほかの子を叱っていた。それが効いて、叱られた子は静かになった。私は嬉しくて、ひとりにやけてしまった。ただ、一気にすべてが変わるわけではない。
 ある朝、起きがけにすぐさまアクティーボ(シンナーのようなもの)を吸い、ヘロヘロになった彼の姿を見て、悲しくなったことがある。そばに行くと、彼はアクティーボを浸したティッシュをすぐに捨てた。そして怒ることなく、私たちの言葉に耳を傾け、私たちと一緒にいることを選んだ。互いに信頼関係ができているからこそ、気持ちが伝わる。日々変化していく彼の成長をみていて、とても嬉しく思う。少しずつ薬物から離れていくことができている。それを見守っている。
 私は、「絶望を新しい色で塗り、切り開いていく」という岡本太郎の言葉のように、闇から光を生み出した古代の人々のように、子どもたち自身が変化していくことを願いながら、彼らと向かい合っていきたいと思う。   
(まつもと ひろみ・看護師)

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 Photo (C) Yuji Shinoda ☆フェアトレード・オーガニックからストリートチルドレンや児童労働について考えてみませんか☆