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マスコバド糖 500g

ネグロス島と日本の人々が直接つながる 「民衆交易」の第1号商品

マスコバド糖の原料のサトウキビは、ネグロス島の人々が農地改革によって手に入れた土地で栽培されています。元砂糖労働者たちが現在は砂糖キビ生産者として、有機循環型農業を通しての暮らしの自立をめざした取組みが行われています。サトウキビをはじめ作物づくりには、農薬や化学肥料は使わずに地元の有機物でつくる堆肥を利用するなどの試みが始まっています。
マスコバド糖の原料となるサトウキビはATMC(マスコバド製糖工場)との連携で計画的に収穫され、収穫後できるだけ短時間内に搾ったジュースを煮詰めて濃縮し、精製などすることなく攪拌しながら自然乾燥させて粉末の黒砂糖にします。こうした砂糖の製法が「マスコバド糖」と呼ばれています。
糖蜜分離や精製を一切していない含蜜糖であるため、サトウキビの風味やミネラル分も残されています。やさしい甘さと糖蜜のコク、あっさりとした後味が特徴です。クセのない味はどんな料理にも使いやすく、さまざまな素材の味を一層引き立ててくれます。

500g

マスコバド糖 500g
品番:B-255
\522(税込\563 個数

マスコバド糖は、フィリピンのネグロス島でつくられています。
原料のサトウキビは、農地改革が実施された土地で元砂糖キビ労働者たちが、農薬や化学肥料を使わずに栽培しています。収穫されたサトウキビはオルタートレード社の製造部門であるマスコバド製糖工場で加工されています。


ネグロス島
 ネグロス島は、フィリピンの中央部に位置する、日本の長野県ほどの大きさの島です。フィリピン全体の砂糖生産の約6割がネグロス島で生産されていることから、フィリピンの「砂糖壷」「砂糖の島」と呼ばれています。
 ネグロス島の人口の3%程度の地主が島の面積の7割近くを砂糖キビ農園として占有してきました。その農園で働く多くの砂糖キビ労働者は、隣のパナイ島をはじめ他の島からの移民労働者の子孫たちです。こうした土地制度や地主と労働者の関係は、スペイン統治時代から続く不平等な社会構造です。
 1980年代半ばの砂糖の国際価格の暴落がきっかけとなり、ネグロス島は砂糖危機に見舞われました。砂糖地主たちが次々と農園を閉鎖していくなかで、多くの砂糖キビ労働者が仕事を失い、その子どもたちの飢餓が深刻となりました。地主の力が強いネグロス島では農地改革はなかなか進みませんでしたが、地主の抵抗を受けながらも農地改革の実施が少しずつ進められています。
 マスコバド糖の原料となる砂糖キビは、ネグロス島のダマ農園、イザベル農園、パホ農園、イロンガ農園など17の元砂糖農園の元砂糖キビ労働者だった人々が、農地改革で手にした土地で栽培されています。

1980年代半ばにネグロス島でおきた 「砂糖危機」がきっかけになって始まった、ネグロス島産黒砂糖の交易。 マスコバド糖は、ネグロス島と日本の人々が直接つながる 「民衆交易」の第1号商品です。

 1980年代に、砂糖の国際価格が大暴落し、ネグロス島の砂糖産業もほぼ壊滅状態になりました。多くの地主が砂糖キビ農園を放棄したために、農園で働いていた農業労働者も失業に追い込まれ、多くの子供たちが飢餓に直面しました。
 このような窮状を受け、日本では日本ネグロス・キャンペーン委員会(JCNC)が設立され、食料や医薬品の配布などの支援活動が開始されました。
 日本からの緊急支援が一段落した後に、その後の援助のあり方として考えられたのが、ネグロスで伝統的製法でつくられてきたマスコバド糖の輸入でした。ネグロス島の人たちが自分たちでものを生産し、それを公正な価格で買取るという交易活動を通じて、人々の自立を促したいと考えたのです。この時にネグロスでは自前の流通システムをつくることを目指してオルター・トレード社が設立され、マスコバド糖の輸出業務までを担うことになりました。また、JCNCの支援活動は、ネグロス島民が自分たちで食料を生産するということに重点が移されていきました。ATJは、1987年からマスコバド糖の輸入を開始しました。

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