チカのメキシコ留学日記 最終回

メキシコに暮らして

 

      

 

会員・山下千佳

 まず、最初にある報告がある。

 会のツアーが毎年訪ねるNGO「オガーレス・プロビデンシア」の男子定住ホーム「ドン・ビクトル」に暮らしていた、マイ(マルガリート)とラロ(エドアルド)とホセ・ルイスの3人が、10月の中旬に「ドン・ビクトル」を出て、それぞれの自立生活を始めた。

 マイとラロは10年前に「オガーレス・プロビデンシア」で知り合ったイスラエルと3人で、メキシコシティ南部のソチミルコ地区の近くにアパートを借りて生活している。ホセ・ルイスは、彼女と暮らしているそうだ。

 夏のツアー以来、久しぶりにマイとラロに会って、家に遊びに行かせてもらった。

「オガーレス・プロビデンシア」からの奨学金と、自分たちのバイト代で生計をたてているようだ。静かな田舎町に彼らのアパートはあり、かわいい家だった。彼ら二人も元気にしており、マイは日本から届いたツアーの写真をとてもうれしそうに見せてくれた。

 メキシコに暮らしてみて感じたこと---

 私のメキシコでの留学生活も終わろうとしている。私は約1年間、グアナファトという静かなところで生活し、いわゆる中級階級の生活の中に混じった。私が知り合ったメキシコ人たちは、決してお金に余裕があるわけではないが、大学に進学できる程度の豊かさはあるといったところだ。

 そこで感じたことは、自立しよう、したいと考える人は少ないのかなということ。メキシコの大学は、日本の大学ほど卒業が簡単ではないため、ほとんどの大学生は勉学一筋。以前のニュースレターでも紹介したように、学生たちは毎週末、実家へ帰る。長期休みが始まる時もそうで、休みになった途端に実家へ、家族のもとへと帰って行く。

 また、私の友だちにも、仕事もしないで毎日を過ごしている人も何人かいる。口では親にお金はもらいにくいし、仕事もしたいと言いながら、仕事を探そうとしなかったり。危機感がないのだろう。というか、親がそこで助けてしまうから、子どもも前へと進まないのではないかと思う。

 そんな中で、バイトと勉学を両立する人たちもいる。その子たちはたいてい親の助けなしで大学に通っている。休みの間もほぼ毎日働いている。例えば、ある友だちはメキシコで生まれてすぐ家族で米国に行った。両親は米国で数年ほど働き、家族でメキシコへと戻ってきた。それでも家庭は裕福ではなかったため、彼は小学生ながら、

お菓子売りや洗車の仕事などをして、両親を助けていた。

 彼は今大学に通っているが、授業料も生活費も自分で補っている。彼は両親からお金をもらったことがない。というか、自分が働いて稼いだお金を両親に渡し、その中から両親が彼にお金をくれるそうだ。自分が働いてはじめて、お金をもらうことができるのだ。だからか、彼の考え方は他の大学生よりしっかりしているし、強く生きようというのが伝わってくる。

 女の子の友だちの中にも、自分ですべて補っている子がいて、彼女も結婚なんて、男なんて信じないという考え方を持っている。周りの友だちが家族に甘えながら生活しているなか、彼らは自立しようとがんばっている。

 そんな平和な場所からメキシコシティに行くたびに、違う国を訪れているような感覚になる。一気に空気も色も変わる。

 高級デパートで買い物をする人もいれば、路上に座って物乞いをする人もいる。

子どもを何人も抱えて女手ひとつで生活するお母さん。電車で歌をうたって生活費を稼ぐ障碍者。洗車をしたり、お菓子や新聞を売ったりしてその日の生活費を稼ぐ人たち。みんなたくましく生きているなと思う。

 貧困とはなんだろう。彼ら自身が自覚しているのではなくて、私たちが決めつけていること。と、よく言われているが、彼らの生活をみて、確かにそうではないかと感じた。スラムに暮らしている人たちは、そのスラムの暮らししか知らなくて、それが貧しいとは思っていない。お肉を食べること、学校に行くこと、暖かいお湯のシャワーを浴びること、それらは私たちの中での当たり前であって、彼らの中では当たり前のことではないのだから。

 私がメキシコの好きなところは、みんなたくましく生きているということと、助け合って生活しているということ。以前このニュースレターでメサクアタ村を紹介した時に、配給されたものが人数分なかったら、彼らは全員にわけるか、誰も手にしない考え方を持つということを書いた。それと同じで、自分に余裕がない人でも、路上で物売りをしている人や歌っている人に出会うと、少しでもお金があれば売っているものを買ったり、チップをあげたりする。彼らの中ではどう考えているかわからない、何も考えてないのかもしれないけれど、そういうやさしさが、私はメキシコのいいところだと思う。

 今まで、メキシコの好きなところは人が明るいところ、と単純に思っていたけれど、

彼らを知っていくにつれて、そういう純粋なやさしさに惹かれていった。(もちろん、時間に対する考え方や、軽はずみな発言に振りまわされることも何度かあったが。)

 最後に、ニュースレターを書くことによって、グアナファトのこと、メサクアタ村のことを調べることができました。この機会をくださった律子さんをはじめ、読んでくださったみなさんに感謝します。ありがとうございました。 

(やました ちか・大学生)

 

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