Nota de Daya カサ・ダヤからの報告日記@

運営委員・三井由香

 私が「カサ・ダヤ」というシングルマザーとその子どもが定住する施設に通うようになってから、もうすぐ3ヶ月が経つ。

 「カサ・ダヤ」と初めて出会ったのは2005年の8月のメキシコツアーでのことである。10日間でメキシコシティにある様々な施設やNGOをまわるツアーの中で、私が一番印象に残った施設がこの「カサ・ダヤ」だった。あの時から私はこの施設のことをもっと知りたいと思っていたことは明らかである。やはり男の子が集まる他の施設やNGOと違い、女の子限定で受け入れているこの施設の中で生きる少女に、同じ女性として感じるところが多かったのだろう。そして何より、性的虐待などの過酷な体験を経て、若くして子どもを育てなければならない状況を、一体どうやって乗り越えるというのだろうということが、私には想像もできなかった。「知りたい」、そんな漠然とした気持ちが先行していた。

 今年の9月から大学の交換留学でメキシコシティにある大学に通うことになった。その傍らで、念願の「カサ・ダヤ(以後、ダヤ)」にも週2回通うことができるようになった。調子が悪かったり、はずせない用事があったりして2回ほどお休みをさせていただいたことがあるが、1週間という非常に短い期間の中でも、ダヤの中が様変わりしていることに驚かされた。

 日々、ダヤは変わり続けている。それをまさに今、心身で感じている。この連載では、その日常をリアルタイムに書いていくことで、みなさんに少しでも彼女らのことを身近に感じていただけたら幸いである。

★プライバシーのため、少女たちの名前は全て仮名を使わせていただきます。

 ダヤには今、11人の少女とその子どもが定住していて、合計では23人くらいになる。「くらい」というのも、ダヤの少女の数には波があり、つまり少女たちの出入りが結構激しいのである。出て行く事情は少女によって様々であるが、私が通い始めた3ヶ月の間でも、それなりの変化があった。

 入ってきたと思ったら飛び出した子や、順調に精神状態が回復していた子がまた入院したり、子どもが生まれたり、新しい施設から2人入ってきたと思ったら普通に暮らしていた子が精神的におかしくなって入院したり、飛び出したり・・・その変化はめまぐるしい。今ダヤにいる子はみんな日が浅いので、彼女たちがダヤを卒業するまでにはまた、かなりの変化が見られるだろう。

 同じシングルマザーという境遇の仲間と同じ屋根の下で住み始めたばかりの彼女たちは、共同生活の難しさを感じながら毎日を精一杯生きている。ダヤでの共同生活は、簡単なものではない。もちろん友だちも増えるし、くだらないことから真剣なことまで話し合える親友にも出会えるだろう。ファシリテイターという、常時ダヤにいて世話をするスタッフにも支えてもらえる。しかし、その一方で、毎日こなさなければならない役目は、まだ10代の彼女たちにとっては大変なものだ。

 朝早く起きて自分の部屋を掃除し、当番で廊下やキッチンなども毎日掃除をしなければならないし、ワークショップ(裁縫や編み物から学習、ヨガや合唱の時間もある)も基本的には全員参加しなければならない。ご飯の時間も決まっているし、食後はまた掃除。 次のワークショップが終わったと思ったら夕飯があり、子どもを風呂に入れて寝かせ、夜にはファシリテイターとの話し合いがある。

 今のダヤは入ってきたばかりの少女が多いので、節々でこの共同生活の難しさを感じていることが分かる。たとえばクラウディアは、もうここに来て2ヶ月以上経ち、少しずつ馴染んできたが、入ってきた時からの彼女の口癖は変わらない。「集団行動は苦手なの。1人が好き」。もちろんそういう子がいても何ひとつおかしいことはない。むしろ当然のことだ。しかし、ここの生活の中で「1人になる」ということは難しいうえ、違う意味になることがある。「1人になりたい」と思って自分の部屋にいても、壁一枚を挟んだ隣の部屋ではファシリテイターが他の少女と楽しそうに話をしている。リビングからは賑やかな音楽と、みんなの笑い声が聞こえる。「1人」になるつもりが、「独り」になってしまうのだ。

 たくさんの仲間に囲まれながらも、「私は一人なんだ、誰も私のことなんて心配してくれない」と言う子が出てくる。いつも家族ではない誰か、しかもまだ出会って日の浅い大勢の友だちと過ごさなければならないことは、時に、彼女たちが心を閉ざす引き金ともなるのだ。

 11月末、「ダヤ」の創立9周年記念パーティがあった。いつもはろくに化粧もせず、育児と日々の役目に追われている少女たちも、この日はみんなバッチリお化粧をし、美容院にも行ってヘアスタイルを整えて、ドレスも靴も買いに行って、それらを身にまとって踊りにおどった。もうダヤを卒業した子や、少女たちの家族や支援者、友だちなど、総勢50人ほどが集まり、みんなでご飯を食べケーキを食べ、ダンスを踊り、少女たちはそれはそれは満足そうだった。

 最後に、少女たちが作って販売しているジャムとロウソクを参加者に配り、パーティはさわやかに幕を閉じた。楽しかったねーと子どもたちと言いながら見渡すと、泣いている子がいるのに気がついた。ドレスに泣き顔は似合わない、一体どうしたんだろう。何人かに理由を聞くと、それは「寂しさ」から来る涙だった。こんなに沢山の仲間と支援者たちに囲まれていることが実感できるパーティにおいて、少女たちの中には「寂しさ」が溢れて泣いてしまう子がいたのである。

 エミリアの場合は、2週間ほど前にダヤを辞めたファシリテイター、ベロニカが他の少女たちと話をして、自分とはまったく一緒にいてくれなかったことを泣いていた。ベロニカは1年ほどダヤで働いていた、笑顔がとってもステキで、パワフルな女性。少女たちに対してだけでなく誰に対しても、とても親身になって話を聞く姿勢があり、その人柄ゆえに大人気だった。やむをえない事情で11月の頭に辞めることになったが、このパーティで久々にダヤに来るということを、少女たちはみんな楽しみにしていたんだろう。何かとベロニカと一緒にいたがった子が多かった。

 「この3週間で、こんなことがあったの、あんなことがあったの」。代わるがわるベロニカに近況を話し出す少女たち。エミリアはその時、息子の体調が悪かったために、ベロニカと話すことができなかった。ベロニカはそれを察して、パーティが終わった後に彼女のもとに行ったが、その時にエミリアは「どうしてもっと早く来てくれなかったの」と泣いたのだ。エミリアは、ここに来て1年が経とうとしているので、友だちも多い。だけど自分の話を本当に聞いてくれるのは、ここにいる友だちじゃないと言う。離れて暮らす家族でももちろん、ない。彼女の場合、それはファシリテイターであるベロニカだったのだ。それだけの信頼を置いたベロニカが去り、久々に来たと思ったら他の子としゃべってばかりで自分のところに来てくれない。自分はやっぱり1人なんだ・・ドレスを身にまとって満足そうに笑う彼女の心の中には、パーティの最中ずっと、そんな寂しさがあったのだ。

 ベレニセの場合は、自分にはパーティに来てくれる家族がいないことで泣いていた。彼女は家庭内の虐待により家を飛び出し、路上で生活していたところを保護された。親は小さい頃に亡くなってしまったので、他の家族は「ダヤ」にいることも知らないという。アナなどは、彼女の親戚や姉妹、友だちも来てとても楽しそうに話しダンスを踊ったし、他の子も久々の家族に会い、自分の晴れ姿を見せて満足そうだった。そんな風景を見て、思い出さないわけがないだろう、自分の家族を。自分と同じ境遇だと思っていた友だちは、やっぱり自分とは違う。それを実感してしまったのか、パーティ以降、彼女はどこか元気がない。

 そして、近づいてくるクリスマス。この日こそ、彼女たちにとって一番「寂しさ」を実感する、最も悲しい日なんだと、スタッフは言う。日本とは違い、メキシコでのクリスマスというのはもっぱら家族と過ごすものだ。街中がクリスマスの色に染まり、人々の活気が伝わってくるが、彼女たちには一緒にクリスマスを祝う家族がいない。パーティをすると言っても、多くの人が自分の家族や友だちと過ごすため、来てくれる人も少なくなる。これ以上ないほど、自分たちの孤独を感じる時期だそうだ。そんな日の夜は、一体どれだけの寂しさを感じて寝るんだろう。考えただけで、心が締め付けられる思いがした。私なんかに彼女たちの寂しさを紛らわすことができるのか、わからないけど、クリスマスはダヤに行こう!そう思った。 

                         (みつい ゆか・大学生)

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