〜メキシコシティ特急便〜

「変わらなきゃ!」

運営委員・工藤律子

 猛暑の日本を抜け出して、たどりついたメキシコシティは秋の涼しさ。この国の政治・社会状況はしかし、今熱い。7月2日の大統領選挙の結果に対し、庶民の不満が爆発しているからだ。

●金持ち志向から庶民派へ

 メキシコでは6年おきに大統領選が行われ、選ばれると6年間、大統領は国の長として最高の権力を握る。ただし再選は認められないため、大統領になると、誰もが自分の政権中に、できるだけ多くの「目に見える成果」を上げようとする。だから、長期的な展望を持って取り組まねばならない「ストリートチルドレン」の問題や、その背景にある「貧困問題」などは、いつも十分な政策がとられないままだ。

 そんな状況を前に、今回の大統領選挙では、メキシコシティ市長として、高齢者や障害者、貧困家庭への支援に力を入れた実績をもつ野党・民主革命党(PRD)のアンドレス・マヌエル・ロペス・オブラドール氏(通称、AMLO)が大統領選に出馬し、大衆の支持を集めた。ところが、優勢と思われていた彼が、開票の結果、1%以下の僅差で、与党・国民行動党(PAN)の候補の負けた。しかも、投票所によっては、投票に出かけた有権者数以上の票数が確認されたり、ごみとして捨てられている票(無論AMLO票)が発見されたり、開票途中に停電でパソコンが止まって復きゅうしたときには結果が逆転していた(AMLOが勝っていたのに、反対になっていた)りと、日本では考えられないようなことが起きたと言われている。それを知ったAMLOの支持者、AMLOに投票した人々が、今その怒りを表し、首都メキシコシティで壮大な、しかし平和的な抗議行動を続けている。 

「私たちがこうやって抗議行動を続けることで、本当に選挙結果が変わるかどうか、正直私にはわかりません。難しいかもしれない。それでも毎回、デモや集会には来ています。もう不正を黙って見過ごしはしない、とはっきり訴えたいからです」

 大学で心理カウンセラーの仕事をする女性(27歳)は、熱意のこもった口調でそう語る。開票結果が出て以来、首都の中央広場で毎週末、正午前後に行われている抗議集会には、彼女のような市民が何万人も集まる。これは、独立国家メキシコの歴史が始まって以来のことだ。

 1988年の大統領選挙においても、実は今回と同じように「不正」があり、AMLOと同じ政党から出馬し、勝利が確信されていた候補が、当時の与党で70年近く政権を独占してきた政党の候補に負けた。が、当時は候補者自身を含め、誰もが不正を確信しながら、それを訴えて大衆運動にして闘うということを、しなかった。「だが今回は違う」という思いが、AMLOに一票を投じた人々の間にある。 

 抗議行動は、週末の集会だけではない。現在、首都の中央広場からお金持ちの暮すロマス・デ・チャプルテペックという地区の手前まで、AMLOを支持する政党連合「みんなの幸福のための同盟」の人々のテントが、メインストリートを覆い尽くしている。路上にキャンプ用テントを張って寝起きしている人、炊き出しをしている人、投票用紙の数えなおしを訴える署名集めをする人、支援コンサートを開く人、AMLOの演説を流すビデオに見入る人、ミニ・サッカーをする子どもたち、臨時に設置された移動遊園地の乗り物に乗る家族連れ・・・とにかく貧富の格差をなくすための政治変革を願う人々により、首都のど真ん中であらゆることが行われている。

 もちろんそれは、すべてのメキシコ国民に支持されている行動というわけではない。与党支持者は言うまでもなく、「みんなの幸福のための同盟」に好意的な人々の中にも、「こんなに長くメインストリートを占拠されては、通勤時の交通の不便がありすぎる」、「ここで商売をしている私たちは、占拠のせいで客足がめっきり減って、収入が激減した」と不満を強める者は多い。問題は、それでも「変革」のために必要な行動だと思える人と思えない人の割合のバランスだ。「思えない人」が、富裕層・中流層を基盤とする与党支持者の側に傾く、あるいは貧困層・知識人層を基盤とするAMLO支持者から離れていけば、左派政権が次々と出現し格差解消に向けて動くラテンアメリカの変革の波に、メキシコは乗れないだろう。メキシコの路上の子どもたちの未来にとって、今はとても重要な(政治的)時期なのかもしれない。

●話をしようよ

 先日、1996年ごろの映像から始まって、路上の友人カルロス(16歳)が映っている映像を時代を追って見直し、ダイジェスト版をつくった。カルロスは拙著「ストリートチルドレン」(岩波ジュニア新書)に登場する少年だ。彼との付き合いも早や10年。それで改めて思った。この子は本当に傷ついてきたんだ、と。

 10年前、今いる場所から程遠くない街中の広場に暮らしていたカルロスは、まだ6歳のあどけない少年だった。当時は、私とパートナーの篠田が90年代はじめから追いかけていた少年ロランド(当時16歳くらい。彼も同じ拙著に登場している)と一緒に暮らしていた。すでに「アクティーボ」というシンナーのような薬物を使っていたが、まだそれほどひどい依存症ではなく、素直でおちゃめ。少女のような繊細な顔立ちが、いっそう愛くるしさを際立たせていた。ロランドにカメラインタビューをする私のそばで、「これって音も入ってるの?」「きみの手ちっちゃいね!ボクのと同じ大きさじゃん!」などと話すかわいらしい声が、ビデオに残っている。

 それからさらに数年後、今度はクリスマスの時期に、紙でできたおもちゃの冠をかぶってカメラレンズをのぞきこむ姿があった。その時のインタビューでは、世間の冷たい扱いへの怒り、家族と離れている寂しさを訴えている。一方で、当時彼を弟のようにかわいがっていた年上の気のいい仲間たちのことを、とても頼りにしているとも話していた。

 そして11歳のとき。カメラに向かって、自分の夢をこう語った。「露天商になって自分で生活費を稼ぎ、部屋も借りて暮らすんだ」

 しかし、そのためには出生届を出し、ちゃんと労働許可をとらなければならない。それが自分にはどうやったらいいのかわからない、と言った。無理のないことだ。「自立」を語るにはまだまだ子ども、いや「子ども」をきちんと体験できずに「子どもとしての心」が迷子になっている状態にいた。時折みせる無邪気な行動、海賊版ビデオを売る露天で流れる映画「バンビ」や「アラジン」に見入っている姿は、彼が純粋な遊び、学び、喜び、感動を必要としていることを示唆していた。が、路上で「汚いガキだな、物乞いなんぞしていないで、ちゃんと働け」などとののしられ、冷たい視線を浴びながら育ってきた彼には、単純にそうは思えない。大人も世間も信用できず頼りにならない世の中で、ゴミ扱いされる苦痛から逃れる手段として思いつくのは、「働いて自立すること」だからだろう。

 それにしても、数あるストリートチルドレン支援団体は、カルロスに「良い解決策」を提供できないのだろうか?どうやらこれまでのところ、答えはノーにならざるをえない。おそらくこれにはタイミングの問題もあると思う。カルロスの場合、たとえば施設に馴染める可能性のあった幼い時代にいい出会いがなく、逆に路上の仲間とはいい出会いがあった。または何度か接した施設スタッフの中には、自分が気持ちを理解し支えてくれると思える人物をみつけられなかった、のかもしれない。とにかく、今「本当は、施設とかではなく、普通の家庭で暮らしたいんだ」と言いたくなるような経験が、路上での10年間にあったようだ。

 さまざまな形で世間に裏切られ、辛く悲しい思いを抱え込んで成長してきたカルロス。その言動は、月日が経つとともにとげとげしくなり、私と話す場合でも、機嫌がいい時と悪い時、仲間がそばにいる時と二人だけの時で、態度がまったく違うことが多くなっていった。そして、自分から話し掛けることが少なくなり、仲間がいる時はわざとそっけなくしたりするようになった。が、それは元ストリート少年だった顔見知りの青年(30代?)が言ったように、「きちんと愛された経験がなく、人の愛情を素直に受け入れることが怖い」からなのかもしれない。

 今夏、4ヶ月ぶりに再会したカルロスは、ほんの少しだけだが変化をみせた。メキシコシティに着いた翌日、さっそく会いに行くと、仲間の居る前で珍しく自分から、「ねえ、あっちに行って話そうよ」と言ったのだ。自分から「話をしよう」と誘ってくれたのは、10代になってからはこれがたぶん初めてだ。そしてねぐらから少し離れた小さな広場で、しばし会話を楽しんだ。昔撮ったビデオの中身の話をすると、おだやかな顔で黙って耳を傾けた。そして、なつかしそうに「あいつは親友だったんだ」「そう言ったね」などど、相槌をうった。現在の生活を尋ねると、薬物販売を仕切っていた仲間が警察に捕まったので、今は露天商の手伝いや交差点での芸で稼いでいると話した。

 翌日、数日前の誕生日を祝って、彼が大好きな「映画館」へ招待した。「スーパーマン・リターンズ」を観た。そして、公園のベンチでサンドイッチを食べ、帰りにバースデーケーキを買って、仲間とバースデーソングを歌い、祝った。

 その翌日、今度は森林公園のなかにある池に、ボートに乗りに行った。道すがら、私が彼の出身地に10数年前に行ったことがあると言うと、「先に言ってくれれば、お母さんに伝言頼んだのに」と、母親の住んでいる場所を説明してくれた。家族のことはほとんど言わない彼が、尋ねもしないのに語り始めた母親の話-- 地下鉄の中では、 C Dを売りにきた人がデモンストレーションにかけた曲を聴くなり、なつかしそうな、ちょっと悲しげな眼をしてこう言った。

「これ、(義理の父親に連れられメキシコシティに来ることになり、)別れることになった日に母さんにプレゼントしたのと同じ曲だ。母さん、この曲が好きなんだ」

 自分で曲を口ずさみ、私に「ほら、歌詞をよく聞いて。いい詞でしょ?」と問う。私はふと、カルロスの中で何かが良い方向へ変わり始めてくれれば、と思った。

●変らなきゃ

 変わるということは、時に個人にとっても、社会にとっても、膨大なエネルギーを必要とする。それまでの「当たり前」に逆らい、変わること。それは頭で必要とわかっていることでも、強い動機やきっかけ、後押しとなる事柄・存在など、様々な要素が一気に揃わないと、起きない、できないことが多いだろう。

 良い意味で「変らなきゃ」という思いを抱くメキシコの人々、路上の友人たちに寄り添い、少しでもその助けになりたい。そこから自分も変わっていこう。それは22年前メキシコと出会ってから、私がずっと抱いてきた思いだといえる。メキシコも友人たちも私も、真に望む変化はまだまだ遂げられていないかもしれないが、変らなきゃという思いだけは、失わずにいたい。 

(ジャーナリスト・くどうりつこ)

 

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