7月2日 エセナフォーラム/ワークショップ報告

 「居場所をなくした子どもたち〜路上からのメッセージ〜」

              会員・清原 英貴

 7月2日(日)14時から17時、私たちの会は「エセナおおた」にて、タイトルのようなワークショップを実施しました。このワークショップは、ストリートチルドレンの気持ちをより多くの人々に伝え、共有することを目的としました。前半は、絵画を通してストリートチルドレンのイメージを具体的にしようというものでした。そして後半では、ビデオを上映し、当会スタッフの体験談を聞いてもらうことにより、その具体化された子どもたちのイメージが現実に存在していることを知ってもらうことに努めました。

 

 まず、参加した方々にストリートチルドレンのイメージを絵に描いてもらいました。描かれた絵は悲しそうな表情をし、ボロボロの衣服をまとった10歳前後の男の子が大半でした。興味深いことに、その多くはきょうだいや捨て犬と一緒でした。また、その子どもたちの絵に細かい特徴をつけてもらい、どのような生活をしているのかを考えてもらいました。そこには、盗みをして生活をしている、物乞いをしている、シングルマザー、兄弟を養っている、怪我をしている、ごみをあさっている、などの意見がありました。一般的なストリートチルドレンに対する考えというものは弱者、つまり、何かが欠けている人間なのだ、と感じられました。

 次に、その絵に漫画のふきだしのような形でセリフをつけてもらい、ストリートチルドレンが実際にどのようなことを考えているのかを想像してもらいました。

 「お腹がすいたよ」「お母さん、さみしいよ」「怖いよ」

 参加者の方々の多くは、ストリートチルドレンがこのような気持ちで生活しているのだと思われたようです。

 この作業の後、当会が用意したストリートチルドレンの生の声を参加者の方々に読んでもらい、自身が描き、考えた子どもたちのイメージと照らし合わせてもらいました。その子どもたちの生の声とは以下のものです。

 「家計を助けるために、兄である自分が働かなくてはならない」

 「下に兄弟がいるし、お父さんが行方不明、お母さんは満足に働けない」

 「早く働ける大人になりたいな」

 「年上の仲間たちは、ボクが悪さばかりしてもいつも許してくれるし、絶対にボクのことを見捨てない」

 「こいつ(仲間)は俺の本当の弟みたいなものだよ。いや、それ以上だ」

 「私、悪い警官にピストルで脅かされ、レイプされそうになったり、仲間にセックスを強要されそうになったこともあるわ。男の子に負けないくらい、強気でいなきゃならなかった」

 「毎晩、警察官から暴力を受ける。彼らは単に蹴飛ばすか、電気が走る警棒を振りかざし、自分を打ちのめすんだ。自分の仲間も同じような経験を毎晩しているよ」 

 「私たちは孤児院で他の路上の仲間たちのお世話をしたい。勉強を教えたり、ケガの手当てをしたり、私たちにだってできることはあります」

 ※施設に暮らす少年「エデュケイターに出会わなければ、今のボクはないよ」

※ NGOで働くスタッフの話「私たちは、政治が変わらない限り、自分たちの力だけではストリートチルドレンを救いきれないことを知っています。それでもなお、一人でも多くの子どもたちと出会い、その子に未来を与えるために活動し続けねばならないのです」

 これらのセリフの中には、子どもたちの気持ちのほかに、ドラッグへの依存、仲間との絆、大人からの暴力、ストリートエデュケイターとの出会いに関するものがあり、それらは彼女、彼らの生活を鮮明に映し出すものでした。

 さらに、写真パネルを使って、どのような子どもたちがそのメッセージを発したのか、を確認してもらいました。これら一連の作業によって、参加者の方々はより明確に子どもたちの気持ちというものを汲み取ったことでしょう。

 前半の最後に、ある参加者の方は言いました。

「確かにストリートチルドレンの生活環境は劣悪なものかもしれない。けれども、写真に写っている子どもたちの明るい表情を見るかぎり、まだ、救いようがあるかもしれない」

 ストリートチルドレンを支援しようとする教育者の考えは、この言葉に集約されているかもしれません。ストリートチルドレンの現状は、私たちの想像をはるかに超えるほど厳しく、改善の余地がないように思われるかもしれません。それは、彼女、彼らを路上に追いやってしまう要因がとても複雑な形で存在するとともに、子どもたちが路上生活に紛れ込んだ後の劣悪な生活環境が、彼女、彼らの未来を奪っているからでしょう。けれども、ふと見受けられる子どもたちの無邪気な表情に、まだ希望が残されているような気がしてなりません。少しでも希望があるかぎり、私たちは彼女、彼らの生活改善のきっかけであり続けるのです。

 後半に入り、メキシコシティで生きるストリートチルドレンのドキュメンタリービデオ「路上のこどもたち」を上映しました。ビデオによると、メキシコはグローバル化の恩恵を受け、生活水準を向上させています。けれども、それにより貧富の差が拡大したことも事実であり、ストリートチルドレンの生活は依然として不安定な状況に置かれています。夜をコインロッカーの中ですごし、わずかな食事で生き延びている子どもたちは、寂しさからドラッグにはまっていき、自分自身を傷つけています。 

 義理の父からの暴力により、6歳でストリートチルドレンになったカルロスは、さらに警察、他の大人からの暴力に苦しみ、ドラッグ依存に身を滅ぼしながら生活をしています。メキシコに根強く存在する男尊女卑の犠牲者となった子どもたち・・・

 また、露店の片隅で暮らしていたマルティンとミゲルは、NGO「プロ・ニーニョス」のデイ・センターで基本的な生活パターンを学ぶことによって、なんとか路上生活からの悪い習慣を改善しようとしています。

 このドキュメンタリーは、参加者の方々にストリートチルドレンが抱える問題の数々をストレートに伝えていました。このような子どもたちは路上に救いを求めたが、そこには更なる失望が待ち受けている。いったん路上生活に慣れてしまうと、ドラッグ依存などにより、そこから抜け出すことが困難になる。まさに、ストリートチルドレンは終わりなき迷路に迷い込んでいるのです。

 ビデオ上映後、当会のスタッフ、大橋枝利子、柳沢那津子、小松仁美がメキシコのNGOで働いた体験談を発表しました。大橋は2004年から、会が支援している「プロ・ニーニョス」でストリートチルドレンとふれあい、より近い関係を築きました。名前をすぐに覚えて呼んでくれることに、子どもたちの「人恋しさ」を垣間見たそうです。

 

 次に、柳沢はメキシコでストリートチルドレンと出会い、関わっていくうちに、「ストリートチルドレンは問題意識をもって見なければ、見えないものだ」と感じたそうです。彼女によると、メキシコには毎年、多くの日本人観光客が足を運びます。けれども、そこにストリートチルドレンがいたことに気がつく人はそう多くないそうです。また、彼女は寄付についても疑問を抱くようになりました。その場限りでストリートチルドレンにお金やモノを与えても、彼女、彼らにとっては何の助けにもならず、かえってドラッグの乱用などの悪い習慣を促進するきっかけになってしまうのです。一番大事なのは、子どもたちの将来を考えた長期的な支援なのです。

 さらに、小松が2001年から現在に至るまでNGO「カサ・ダヤ」を参与観察してきた経験を発表しました。彼女は自らのフィールドワークから、路上生活から抜け出すために子どもたちは、ドラッグの乱用をやめ、基本的な生活パターンを習得し、知識を得ることを手伝ってくれる定住施設に住むことが必要だが、それを実現するまでには様々な困難が待ち受けている、と分析したようです。そのなかで重要な役割を担うのが、まさに「プロ・ニーニョス」や「カサ・ダヤ」のようなNGOです。

 彼女はまた、女の子のストリートチルドレンの数が増えていることを危惧しているそうです。女性の立場が軽視されているメキシコでは、そのような少女たちが性的な搾取の対象となりやすいからです。

 最後に、会運営委員リーダーの工藤律子が、長年見続けている少年カルロスと映画「チャーリーとチョコレート工場」にまつわるエピソードを紹介しました。この映画は、貧しい家庭に生きる少年チャーリーがふとしたことからチョコレート工場の社長になって裕福になる幸運をつかむが、家族と離れて暮らすことを条件とされたために、「家族といるほうが幸せだ」と言う、といったような内容です。カルロスはこの映画をとても好み、主人公を自分と重ね合わせ、同じ映画を何度もみたそうです。

 どんな人間も希望なしでは生きては行けません。ほんのわずかでも希望がある限り、たとえ、今の状況が最悪でも歩みを前へ進められるのです。ストリートチルドレンにとって、希望とは「彼女、彼らが確かに生きているのだ、ということに気がついてくれる人々」なのではないでしょうか。この子どもたちは不良品でも、ゴミでもありません。私たちと同じように命の灯火を燃やし続けている、人間です。このような子どもたちに気がつき、愛すこと、すべてがそこから始まります。

 ワークショップの終わりに、来場者の方々が次々と感想を述べてくれました。

「ストリートチルドレンについてわかり始めました」「今まで気がつかなかった子どもの問題に興味を持ちました」「私たちが何かできるような気がします」

 3時間というわずかな時間ではありましたが、「ストリートチルドレンの存在に気がつく」という目的を達成し、新たな希望をこの遠い日本からつくれた気がします。私たちはこの希望を共有してくださった方々を忘れません。ありがとうございました。また、このワークショップ開催を協力してくださった、エセナおおたの方々、時間を惜しみなく提供してくださったすべての皆さんに、とても感謝しております。お疲れ様でした。        

          (きよはら ひでき・大学生)

 

☆エセナフォーラム アンケートの感想☆

●メキシコだけの問題としてではなく、日本にも関わる問題として受け止めました。それは、日本にも「潜在的なストリートチルドレン」や「家族・家庭の崩壊」があるからです。どこでも「絆」がキーワードになる気がしました。

●前半は、ストリートチルドレンのことを知るために、絵を描くなどのワークショップで認識を深めるのは、おもしろいと思いました。後半は、ビデオをみたことで、一層よく理解できました。3人の女性のお話も、なまなましく想像ができ、本当に勉強になりました。

●ゼミ論文のテーマを「貧困における子どもと教育」と設定し、教職の授業でも、「ストリートチルドレン」について調べてきたので、多少は知識があったと思うのですが、実際のビデオを観たり話をきいたりして、ますます興味を持てたし、勉強になりました。

●自分の想像した範囲、知っている範囲との差もありました。ボランティアをすることは、単に何かを与えるのではなく、むしろ自分に返ってくることのほうが多いのではないかと思いました。

●今回参加して、実際の話をきいてビックリすることばかりで、何でこんなに子どもたちが路上生活しているのか、何とかならないのかなあと、考えさせられました。

●テレビ、新聞で見聞きするくらいでしたが、参加して、一人ひとりの子どもたちの声が伝わってくる気がしました。ひとくくりに「ストリートチルドレン」という存在はないというお話が、新鮮な驚きとともに心を打ちました。私の日常の中に、少し地球規模の感覚を持ちたい、そして私のできることをしたいと思いました。

●ワークショップは想像力を膨らませて、路上の子どもたちをリアルに感じるために、有効でした。地球全体の経済のしくみが歪みを生んで、貧困はどんどん広がり、富は偏ってきています。それが子ども、女性にしわ寄せとして、きているように思います。ワークショップの中では、貧富の格差をみんなで考えていけるような設問も入れてもいいのではないでしょうか?また、写真展をいつか開いてください。

●大学ゼミでタイへ校外実習に行ったことがきっかけで、便利なものがあふれている生活より、自然や心の豊かさを感じられる生活の方が、本当の意味で恵まれているのだと感じるようになりました。とはいえ、貧富の差は拡大するばかりで、最低限の生活が保障されることが、本当の幸せには必要なのだと思いました。体験談をきいて、実態を知ることがまず第一だと思ったので、とてもよかったです。

●工藤さんの本や別の本、ビデオなどを読んだり見たりして、知識として知っていることは増えるのですが、今回のようなワークショップを通して「考える」作業ができたと思いました。若い方のお話もありがとうございました。日本でもできること、小さなことから始めようと思います。

●初めての参加でしたが、楽しくかつ興味深く拝聴しました。また何かあれば参加したいと思います。

●ストリートチルドレンについては、いろいろと考えていたこともあるのですが、今日のような会を設けていただけて、よかったです。ワークショップをやって絵にかいた一人ひとりの子どものおかれている状況を考えてみるだけでも、大きな勉強になったと思います。これからも機会があれば、参加してみたいと思います。

●テレビなどの映像で、北朝鮮、フィリピン、ブラジルなどの国の子どもたち、ストリートチルドレンをみていますが、その程度で、詳しくは知りませんでした。ストリートチルドレンの実情を知らない私でも、わかりやすく言葉、映像、ゲームなどで説明いただき、少しずつですが、知ることができました。ありがとうございます。子どもの成長には、大人の愛情(親)と教育が大事だと、思いました。

●ストリートチルドレンについて、いろいろな角度から考えることができました。

   

 

戻る