10年目に感じとった真実/前編

会員・田島絵理子

 今年のゴールデンウイーク、9日間の長期連休を利用して、「カサ・ダヤ」と「プロ・ニーニョス」へ行って来ました。仕事と旅行計画の同時進行は、正直大変でしたが、多くの情報・アドバイスをくださった工藤さんには本当に感謝しています。ありがとうございました。

 今回、旅を決意したのは、長年かなえたかったメキシコでのボランティア(ストリートチルドレン関連)を実現させること、そして半年前に「サポーター・フレンド」を通して知り合った少女・レイナに会いに行くという目的があったからです。

 1995〜96年まで米国アリゾナ州の大学に留学していた際、メキシコ北部の町へ行く機会が2度ありましたが、移動中、米国とメキシコの国境で見た光景に大きな衝撃を受けました。お菓子を売る子ども、車の窓ガラスを勝手に拭いてはお金を要求してくる子ども、そして町のスーパーでも幼い子どもがレジ袋にお客さんの買った品物を詰めている。今考えると、彼らは路上暮らしの「ストリートチルドレン」ではなく、帰る家がある子どもたちでしたが、その後あるきっかけで訪れた現地の新聞社の壁に掛けられていた数々の写真を見て、更に大きな衝撃を受けました。地下道で身を寄せ合って眠る子どもたちや、ボロボロの服を身にまとった少年たちの姿。そして、記者からメキシコの社会や政治の腐敗について聞いていると、もっとこの国の現状を知りたいと思いました。

 あれから10年以上が経ち、その間、途上国の子どもに関する多くの出版物を読み、ドキュメンタリーを見たり、国際協力に関するセミナーにも参加しました。でも、知識だけが増え、実際の現場での活動経験がないことに不満を感じていました。だから、今回もう一度メキシコへ行って、現状を自分の目で確かめたいと思いました。10年越しの夢がかなったなんて言うと不謹慎かもしれませんが、それでも、またここから新たにスタートしたいと思える、すばらしいきっかけになりました。

 サポーター・フレンドとして文通しているレイナは18歳で、2歳になるディアナという娘がいます。まだ4回程しかメールのやり取りをしていないということと、私のスペイン語レベルが低いということもあって、彼女のことを十分理解しているとは、正直言えません。はっきりわかっていることは、両親を幼い頃に亡くして以来いくつかの施設を転々とし、今は「カサ・ダヤ」でお世話になっているということ。ディアナを心から愛し、近い将来2人で住むための小さな部屋を借りたいと夢を持っているということ。初の対面を果たした時は、「友だちが会いに来てくれてうれしい!」といった表情で、少しはにかんだ笑顔で出迎えてくれました。

 その日は、ちょうどメキシコの「子どもの日」だったので、午後からご近所の方、「カサ・ダヤ」(以後、「ダヤ」)の支援をしてくださっている方々、そして「ダヤ」の卒業生が集まり、皆でにぎやかにゲームや食事をしました。私も参加していたのですが、途中レイナとディアナの姿が見えなくなったので、部屋へ行ってみると、電気もつけずに暗い部屋で、お昼に出たピザを最後まで食べさせようとするレイナと、断固としてそれを拒むディアナがいました。ディアナはお昼寝をしたくて半分意識が遠のいており、見ていて辛かった私は、「まだ2歳だし、少しお昼寝させてあげた方がいいんじゃない?」と言うと、「今寝たら、夜眠らなくなるからダメよ」ときっぱり。その後の会話や「ダヤ」の様子を見ていると、レイナの気持ちが何となく理解できました。

 「ダヤ」は3階建てで、1階は共同のキッチンとリビング、2階と3階には各自の部屋があります。ただ、各自の部屋と言ってもドアはなく、カーテン1枚で仕切られているのみ。私たちが部屋で会話をしていた時も、1階では大音量の音楽でドンちゃん騒ぎ。でもそれは日常茶飯事だとか。レイナはどちらかと言うとおとなしいタイプで、毎日そのような状況に耐えている様子でした。1階で皆と遊ぼう、と言っても、笑顔で静かに首を振るだけ。何が何でもディアナにお昼寝させない背景には、夜しっかり眠ってもらわないと周りに迷惑をかけるという配慮があり、ここでの集団生活の難しさと彼女の心の葛藤を感じました。

 私が訪れた日は日曜日だったので、普段の彼女たちの生活や「ダヤ」のスタッフが親子に対してどのような指導をしているかなどは見られなかったのが、残念です。でも時々顔を出したパパ・アントニオ(ダヤの後援者)に甘えたり、その日唯一働いていたスタッフのモニカさんとの信頼感あふれるやり取りを見ていると、彼女たちにとって「ダヤ」はなくてはならない「家」なのだろうと感じました。

 レイナの夢が一日でも早く実現することを、私自身も楽しみにしています。そして、彼女なりの幸せをつかんでほしいです。

10年目に感じとった真実/後編

 

 実は、今回のメキシコシティ訪問の真の目的は、これから書きます「プロ・ニーニョス」での活動を体験したかったから。活動と言っても日程の関係で、3日間しかいられなかったのですが、滞在日数以上の価値ある体験や、次へつながる様々な思いが得られたと確信しています。

 いくつかあったNGOの中から「プロ・ニーニョス」を選んだのは、「路上の子どもたちの現実を知る」ことを可能にしてくれると思ったからです。また、国際的な大きな組織ではなく、現地メキシコの団体、そしてスタッフ数40人程度という組織規模も魅力的でした。ここでは「路上」、「デイ・センター」「人生の選択」の3ステップで子どもたちに接しており、私は最初の2日間を路上で、3日目をデイ・センターで一緒に活動させてもらうことにしました。

 今回、「プロ・ニーニョス」訪問にあたって、そこで単に活動体験をさせてもらうだけではなく、何か疑問を持ってそれを検証してみようと思いました。疑問と言っても素朴なもので、「自分の子どもでもない子どもたちに、(スタッフが)本当の意味での愛情を注いであげられるのか」、「ゲームをしたり一緒に活動することで、本当の信頼関係は築けるのだろうか」、そして、「メキシコのように政治が腐敗した国で(メキシコに限りませんが)、この1組織が社会に貢献できることは非常に限られているのではないか」の3点です。これらは決して悲観的な考えのもとに生まれた疑問ではなく、「ストリートチルドレンがいない社会になってほしい。でも社会を変えるのは容易ではないから・・・」という複雑な思いから出たものです。

 第一ステップの「路上」は、エデュケイターと呼ばれる職員とボランティアが2人1組で毎日決まった地区へ決まった少年に会いに行きます。どの少年を対象に活動するかは、会話の中での彼の話し方や、路上での生活をやめる意志・意欲があるかを見て判断します。まずはデイ・センターに来るよう誘うところから始まるのですが、早くて3日の説得でセンターに来る子もいれば10日間コンタクトを取っても来ない子もいます。

 初日に会ったフェリペは、推定17歳。彼は毎日ある駅の周りで暮らしていて、朝になると駅前に屋台をかまえるおばさんの店の準備を手伝いながら、小金を稼いでいるようでした。メキシコ人職員のアルウゥーロの目をまっすぐ見ながら、真剣に話を聞く彼の姿が目に焼きついています。メキシコでは18歳になると大人と見なされるため、「プロ・ニーニョス」の活動対象にできなくなってしまうそうで、これらの団体の活動には警察も目を光らせているようです。そういう意味で、フェリペ自身も生活を変えるべきか、そして「プロ・ニーニョス」のスタッフも何とか彼を別の方向へ導いてあげたいと、残された時間への焦りを感じていました。

 2日目は別のスタッフと3人の少年との面会を試みて、いくつかの地域をまわりましたが、幸運にも全員と会うことができました。初日に会った少年にも共通して言えるのは、工藤さんの著書や会のメキシコツアー参加者の感想文にも書かれていた通り、子どもたちは皆人懐っこくて気さくに握手をしてくれるということです。この日も会えた子どもたちと前日同様、地べたに座ってゲームをしました。ゲームと言っても、日本だと小学校低学年がやるようなゲーム。でも、ゲームのおもしろさやすごさを、長年この時まで忘れていた気がしました。先進国の子どもたちが今やっているような電子ゲームと違って、「人」対「人」のゲームは参加者全員で、コミュニケーションが取れる。少年たちも最初は乗り気ではないのですが、ゲームが進むに連れて自然と笑みがこぼれ、楽しそうな表情になる。この点は、日本人が忘れていたことを思い出させてもらった気分です。

 少年たちの中には、ドラッグをやっている子もいれば、会いに行っても別の場所に移っていて空振りに終わる日もあります。さらに、メキシコシティの大気汚染は以前に比べて改善されたとはいえ、依然としてひどいため、呼吸器系の疾患を持つエデュケイターもいます。彼らの仕事は体力と根気勝負だな、と思いました。

 話とゲームを終え、「また明日来るね」と伝えた後、バスに乗る私たちの姿が見えなくなるまでずっと、手を振ってくれている2人の少年の姿には涙が出そうでした。

 最終日は、デイ・センターでの活動。まずは朝、エデュケイターが通りや別の施設(「プロ・ニーニョス」は宿泊機能を備えていない)に起こしに行き、連れて来る少年や、自発的に通ってくる少年たちを迎えました。

 スタートは9時。大体毎日15人前後の少年が来館します。彼らはシャワーを浴び、着ていた服を手洗いすることから始まり、朝食、午前・午後の活動、昼食と続き、センターでの1日が終わります。この日も午前の活動として屋外で一緒に体を動かしましたが、前日のゲーム同様、何かを一緒にやるということは本当に重要なことだと実感しました。それまで自分からは話しかけて来なかった子も、一緒にスポーツをしたことで心を開いてくれるようになりました。

 「プロ・ニーニョス」の体験を経てうれしかったことは数多くありますが、一つは私がいたたったの3日間の内で、3人の少年の旅立ちが決まったことです。家族の元へ戻る、別の町で仕事を始めるなどと進路は様々ですが、この瞬間に立ち会うことができて幸せでした。この瞬間がスタッフ全員の希望や次への原動力につながるのだと感じました。

 また、「プロ・ニーニョス」での活動を通して最も印象的だったのが、少年たちはおしゃれに気を使っていて、明るく、人への心遣いもあり、路上で暮らしていないティーンエイジャーとなんら変わりのないことです。路上で暮らしているという事実が信じ難いくらいでした。もちろん内面には私たちには見えない深い傷があるのでしょうが、少なくとも見た感じは普通のティーンエイジャーそのものです。

 「プロ・ニーニョス」を去る前にそのことを含め、スタッフのルウルデスさんと20分ほど話しました。彼女が言った言葉が忘れられません。シャワールームの前に大きな姿見があるのですが、「朝センターに来て、鏡の前で汚れた自分を見る。そしてシャワーを浴びて歯を磨いて、前日洗ったきれいな服を身につけて、ヘアスタイルもバッチリ決めて・・・きれいになった自分をもう一度鏡で見るの。そうしたら、あ〜、自分ってかっこいいじゃないか、自分は人間として価値ある存在なんだって思うでしょ。そのことをまず知ってもらうことが大事なの」と。「プロ・ニーニョス」では、通って来る少年たちに「まずは自分自身を知ること」の大切さを教えているのです。

 仕事や日程の関係で、今回たったの3日間しか「プロ・ニーニョス」で活動体験をすることができませんでしたが、メキシコ人スタッフや各国からのボランティア、そして少年たちとのすばらしい出会いがあり、短期間ではあったものの多くのことを吸収できたことを幸せに思います。私の抱いていた疑問は、活動の中で見事に証明された気がします。「プロ・ニーニョス」は大変価値のある活動を行っており、社会に大いに貢献していると思いました。確かに、あの国でどれくらいの影響力を持つかは私にはわかりません。でも、大きな改革が難しい国だからこそ、地道な活動、草の根的な活動が必要なのだと感じました。

 ボランティアとのネットワークも構築できたので、今後も少年たちのその後を追いたいです。ただ、早速入った情報だと残念なことに、私も実際に会った少年たちで日中はセンターで過ごし、夜は政府運営の施設に住んでいた子のほとんどが路上へ戻ってしまったそうで、「プロ・ニーニョス」の葛藤はこれからも続くのだな、と複雑な心境です。それでも、「プロ・ニーニョス」から旅立って行った少年たちを思い出して、これからも少しでも多くの子どもたちを希望の道へ送り出してあげてほしいと願っています。私も、メキシコの子どもたちが置かれた状況や「プロ・ニーニョス」の活動について、限られた範囲ではありますが、同僚や友人たち話し始めています。今後も自分なりの支援について再度考えて行きたいと思います。

       (たじま えりこ・派遣社員)

   

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