触れあいメキシコ

 

                       柳沢 那津子

 大学の長い長い春休みを使って、メキシコへ行ってきた。メキシコへ行くのは二度目で、一度目は去年の夏のツアーだった。今回の目的は語学の上達のため、そして去年の夏のツアーで友だちになった子どもたちに会いに行くためだった。

 グアナファトという町で一ヶ月半、勉強した。そしてそのあと、メキシコシティに戻って子どもたちに会いに行った。

 どうしてもうまく言葉ができないことを気にして、当初はグアナファトへ語学研修に行く前に訪ねるつもりだったのを、研修の帰りに変更した。変更について伝えると、(工藤)律子さんに、言葉がまったくできないのではないのだから、どんどん機会があれば会いにいくべきだと、言われた。その時私は、大切なことをすっかり見失っていた。グアナファトで暮らしていくなかで気がついたのは、言葉は気持ち、ということだった。堪能で上手なスペイン語を話しても気持ちがそこになければ、なかなか相手の心には届かない。でも、心のこもった、伝えようとする意志のある言葉は、どんなに単語をつなげただけの下手なスペイン語でも、必ず相手の心に届くということを、私は身をもって何度も経験した。

 律子さんはまた、「(言葉がうまくできないと迷惑をかけるかも、というように)相手を思いやることは確かに大切です。が、本当にその人のことを思いやれるためにはまた、言葉が少々下手でもなんでも、相手を知る努力、わかりたいという思いを伝える努力が不可欠だということもまた、事実です」とも言った。一番大切なのは言葉のうまさではなく、気持ちだという、そんな当たり前のことを見失っていた自分が、とても恥ずかしかった。でも、彼らに会いに行こうという思いは、日に日に増していった。

 今回訪ねたのは、NGO「オガーレス・プロビデンシア」が運営する男子を対象とした定住施設ドン・ビクトルと、「カサ・ダヤ」というシングルマザーとその子どもが住む施設。「カサ・ダヤ」には、私が「サポーターフレンド・プログラム」という会の企画で手紙を交換するようになった女の子がいる。その彼女をはじめ、昨夏出会った子どもたちに会えるのを、すごく楽しみに私の胸は高鳴っていた。

 まず、ドン・ビクトルの話をしようと思う。

 ドン・ビクトルのお兄さん役、マルガリート、そしてエドアルドの二人と待ち合わせをして、施設に向かった。赤い大きな扉を開けると、夏に会ったほとんどの子どもたちが今でもそこで暮らしていて、私たちは再会を喜んだ。ちょうど、セマナ・サンタ(聖週間)というお休みの時期だったので、みんな学校もなく、お昼すぎから夕方までいろいろなことをして遊ぶことができた。

 19歳になったばかりのマルガリートは、絵を描くのがとてもうまい。 20歳のエドアルドは、文章を書くのがとてもうまい。 彼らはお互いにお互いを認め合っていて、本当の兄弟のように仲がいい。この施設では、そこがみんなにとっての家で、そこで暮らす人がみんなにとっての家族。だから、ここではほかの施設のようにあまり入れ替わりは激しくないし、みんなすごく落ち着いている。

 ふたりがこの施設に入ったのは、もう10年も前のこと。だから家族同然、と言っていた。ふたりとも大学に通っていて、今必死に将来のためにがんばっていた。ストリート出身というだけで差別があるメキシコの社会に、彼らは立ち向かっているように思えた。絶対にいつの日か、彼らのような子どもたちが差別をなくしてくれるだろうって、私は期待しているし、信じている。ふたりと将来の話をしたときのキラキラした目。本当に輝いていた。ストリート出身であろうと、今はちゃんと目標を持って夢に向かって確実に努力を続けているし、何にもゆるがないような意志があるように思えた。勉強したくてもやりたいことがあっても、できない子どもはたくさんいる。彼らもまた昔はその中の一人だった。だけど、チャンスが与えられれば、今のように自分の道を見つけて歩いていける力のある子どもなのだということを、すごく感じた。

 メキシコだけでなく、世界にはチャンスに恵まれない人がたくさんいる。大人にしても、子どもにしても。でも、子どもには、平等にチャンスを与えるべきだと思う。それが大人の役目なのではないかと思う。子どもは未来。

 帰り際に、マルガリートとエドアルドが、それぞれの絵や論文をプレゼントしてくれた。二人の思いや夢がつまったプレゼント。私も負けてられないな、と思った。お互いに頑張ってお互いに成長していきたい。それを、会うたびに認め合っていけたらいいなと思う。支援というのは、一方的に何かを与えることじゃないと、私は思う。同時ではなくとも、お互いに与え合うことだと思う。そして、子どもたちにとって大切なのは、 自分が価値のある愛される人間だと知ること。夢を持つことなんじゃないかと、ふたりを見ていてすごく感じた。その想いがどれだけ力になるか、私はわかる気がする。また夏に会うのが本当に楽しみだ。

 そして、「カサ・ダヤ」での出来事。「カサ・ダヤ」に到着して、スタッフと話していたら、夏に来たときにいた少女たちはもうほとんどいないということを聞かされ、なんとも複雑な心境だった。もし、あの時友だちになった彼女たちが、ここを飛び出して路上で暮らしていたらどうしようとか、そうゆう不安は来る前からずっと心の中にあった。彼女たちが今どうしているのか、詳しく話を聞くことはできなかった。でも、覚えている何人かの名前を出して聞くと、その子たちは自立して出て行ったということだった。

 「カサ・ダヤ」では、ある程度の教養や知識を身に付け、自活可能になったら、そこを出て自立しなければならない。いつまでも施設にいることはできない。外へ出て、子どもを抱えて少女が暮らしていくのは、本当に大変なこと。日本でもそれは同じ。だからこそ、「カサ・ダヤ」のある意味がある。出て行った後でも、サポートは続く。ドン・ビクトルの少年たちに対してと同じように、彼女たちに対するメキシコ社会の目は、まだまだ厳しい。女、ストリート、シングルマザー、それだけでなんとも不平等な扱いをされることがあると言う。でも、そんな社会を変えていく架け橋になってほしい−−「カサ・ダヤ」は少女たちにそんな思いを抱いている。

 十人十色にいろいろな問題を抱える彼女たちをサポートしているのは、メキシコのNGO。そして、日本のNGO。私はこんな遠くにいても、そうやって支援をしていけることは素晴らしいことだと思う。国境を越えたネットワークがもっともっと増え、もっとたくさんの人たちがそれを知ることのできる機会も増えればいいのにな、と感じた。

 マリアーナ、7歳。私の「サポーターフレンド・プログラム」を通してのペンフレンド。マリアーナは家が貧しく育てられないので、「カサ・ダヤ」へ預けられた。彼女は夏の訪問の後に施設に入り、秋から私とメール交換を始めたので、私たちは初対面だった。スタッフが私をマリアーナに紹介すると、彼女はとても恥ずかしそうに寄ってきて軽く頬にキスをしてくれた。それからの4時間、マリアーナは私がトイレに行くのにも付いてきて、絶対に傍を離れようとしなかった。ほかの少女たちに「ねぇ!私の友だちが日本から来たのよ!!」と言って、私の手をとり、自慢げに施設の中を歩き回った。

 その日はどうしても6時くらいには施設を出なくてはいけなかったので、前もってそれをマリアーナに伝えた。そうすると、遊んでいる最中に何度も何度も時計を気にして 、「あと、何時間あるよ」と私の方をみてニコニコ微笑む。つないだ、すごく小さな手、零れ落ちるような満面の笑み、私はマリアーナが本当に愛おしく思えた。

 別れの時間が近づいてくると、もうべったり度は最高潮になっていた。膝に乗って私の首に手をまわして離れなかった。スタッフの説得もむなしく、時間は7時をまわっていた。本当にその手をほどくのが、とてもとても辛かった。だけど、私は帰らなくてはいけない。マリアーナは寂しそうにまた頬にキスをした。だから私はまた夏に必ず会いに来ること、そしてマリアーナのことを日本でずっと思っているということを伝えて、「カサ・ダヤ」を出た。

 今回の訪問で痛いほど感じたのは、とても彼女が愛を必要としているということだった。まだ7歳。親にたくさん甘えたい時期。施設のほかの少女たちは自分の子どもの世話で精一杯。スタッフも四六時中かまう時間はない。マリアーナは施設での生活がすごく幸せで楽しいと言った。それは事実だろうと思う。でも、とても寂しい思いをしていることもまた事実。だけど、きっとそれを口にしたらもっと寂しくなるから、言わないのだろうなと思った。たった7歳の少女が、そんな我慢をしているとしたら、そう考えただけで胸がちぎれそうだった。だからきっと「自分」に会いに来てくれた私の存在が、彼女にとってとても嬉しいものだったのだろうと思う。他の誰でもない、「自分」に会いに来てくれた−−その思いは、私に十分に伝わっていたし、私も会ったことでますますマリアーナが大好きになった。 たった四時間。でも、お互いの思いはきちんと伝わった。

 私はこれからずっと、彼女の友人として、マリアーナに伝えていかなくちゃいけないことがある。それは、私がマリアーナのことをとても想っているということ。そうゆう人間がここにいるということ。時々しか会えなくても、離れていても。彼女が必要としているのは、愛されること。そして、それを伝え続けることが、私の愛し方で私にできることだと、そう思っている。自分にできることが少しずつだが見えてきた訪問だった。

 マリアーナはこれからどんな風に育っていくんだろう。半年後、背は伸びているかな。少しお姉さんになっているかもしれない。また夏に会えるのを楽しみに、私もがんばろうと思う。

 メキシコで出会ったたくさんの子どもたち。 みんなそれぞれいいほうにも悪いほうにも、変わっていく。だけど、私の友だちであることに変わりはないのだから、ずっと応援し続けようと思う。  

 (写真は食事中のマリアーナ)

 (やなぎさわ なつこ・大学生)

   

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