〜メキシコシティ特急便〜

 ガビィとの再会 

 

みんなで、郊外の森へピクニックにでかけた。右からオルガ、筆者、ガビィ。左端がパンテーラ。

運営委員 工藤律子

 今夏、メキシコシティ滞在中のこと。

「え?本当!!?」

 携帯に電話をかけてきた相手の名を聞いて、私はわが耳を疑った。あまりに久しぶりなうえ、まさかこの一時的に持っているだけの借り物の携帯にかけてくるとは、思いも寄らなかったからだ。

「誰よ?」

と、そばにいるオルガがジェスチャーで問いかける。オルガとは、拙著『ストリートチルドレン〜メキシコシティの路上に生きる』(岩波ジュニア新書)で紹介している、以前NGO「カサ・ダヤ」に暮らしていた少女だ。「カサ・ダヤ」は、家庭や路上で虐待を受け、望まない妊娠をした少女と生まれた子どもが暮らす施設である。

「うわさの人よ!」

 私は慌ててそう答えると、電話の相手に「オルガもユージ(篠田カメラマン)も、今ここにいるのよ」と伝えた。

 「うわさの人」とは、私たちの会の招きで4年前、「カサ・ダヤ」の少女たちを代表して来日したガブリエラ・サンティアゴ(当時17歳)=通称ガビィだ。

 この日、私と篠田は、オルガが2人の少女と共同生活をしているアパートへ招かれ、部屋で世間話に花を咲かせていた。そのうち、ふとオルガが私に、「最近ガビィに会った?」と尋ねた矢先、私の携帯が鳴った。

 ガビィ(現在22歳)とオルガ(現在20歳)は、「カサ・ダヤ」での同期生。施設に暮らす少女たちの6〜7割は貧困家庭から直接施設へ来たのに対し、彼女たちは路上生活を経験した仲間として、信頼しあう友だち同士だった。が、3年前、突然何かに取りつかれたかのように、ふたりは路上へ飛びだし、オルガは1週間ほどで施設へ帰ったが、ガビィはそのまま路上でみつけた恋人と息子(当時2歳)の3人で、路上生活に戻ってしまった。以来、薬物とアルコールに依存する恋人=通称パンテーラ(豹、の意。ガビィと同世代)の甘い言葉につられ、ずるずると荒れた生活へ逆戻りしてしまった。

 その後も、私は何度かガビィと会い、話をした。一度は、当時少年院に(歳をごましかて)入っていたパンテーラへの面会に、入り口まで付き合った。その帰り道、彼女は私に「獄中からの手紙」をみせ、「ほら、こんなに愛され、頼りにされているのに、彼を放っておいてダヤに戻ることはできないわ」と、弱々しく微笑んだ。が、私には、その手紙の中身が信用できなかった。

「本当に彼の力になりたいのなら、あなた自身がまず施設できちんと自立する術を身に付けてから、一緒に暮らすことを考えるのが筋じゃない?それに、手紙には確かにあなたのことを愛しているように書いてあるけれど、それが本当なら彼はなぜ犯罪をおかしたり、すさんだ生活を続けて、あなたと娘を苦しませるのかしら?」

 私は問いかけた。日本から帰った後、その旅がいかに楽しかったかを「カサ・ダヤ」の仲間や両親に語り、調理学校での勉強に励んでいたというガビィ。その思いを今一度、思い出してはもらえまいか。

 長く路上暮らしをしていた子どもの多くが、ふいに襲うストレスや鬱のためか、年に1度や2度はしでかす「施設からの一時脱走」。それだけなら、問題はここまで大きく膨らまなかった。ガビィにとっては、路上で聞いた「パンテーラの愛のささやき」が、災いとなった。

    

 パンテーラは、ガビィがかつて路上暮らしをしていた地域で活動するストリートチルドレン関係のNGOの間でも、路上の子どもたちの間でも有名な「ワル」だった。彼の生い立ちや過去がどういうものなのかは知らないが、とにかく単純に同情できないくらい、心がネジ曲がった青年らしかった。人に取り入ることに長けており、またラテン男特有(!?)の女性の扱いの巧みさをしっかりと持ち合わせていた。その才能が、ガビィの中にある「男性に愛され、頼られたい」という気持ちを虜にしてしまった。彼女のように、家庭でも路上でも人として軽んじられて育った人の心の中には、そばにいる誰かに頼りにされたいという強い欲求があるという。その「誰か」がたとえ、自分を利用しているだけかもしれないとしても。

 ガビィはやがて、彼の娘を出産。日本に連れてきた長男ガブリエル(昔の路上の仲間との間にできた子ども)は母親に預け、恋人と娘だけと暮らしはじめた。そして、日銭を稼ぐために、地下鉄の車両の中でキャンディを売る商売をした。母親のサラさんは娘を心配し、また孫であるガブリエルの将来も考え、何度も実家へ戻るよう説得したが、失敗に終わった。実家が嫌なのは、そこに時々、彼女に性的いたずらをして路上へと追いやった兄が顔を出すせいもあるだろうが、何よりもその決意を支配しているのは、「パンテーラ」だった。

 ガビィは真剣な目をして言った。

「私ががんばって稼がないと、パンテーラがダメになってしまうの。彼、私がいないとダメなのよ」

 そして、効率良く稼ぐために、商売にこんな演出をしていると話した。

「“私はストリートチルドレンのための施設から来ました。−−私たちのような不幸な子どもをこれ以上増やさないために、皆さん、ご自分のお子さんを、ご家族を大切にしてください。私の話はこれで終わりです。なお、私たちの施設のためにこのキャンディをお好きな値段で買っていただければ、幸いです。”そう言って車中を歩くと、あっという間にお金が集まるのよ」

 「施設から来た」というのは、もちろん嘘だ。が、そう言うと、敬虔なカトリック教徒が大半のメキシコ庶民は、快く元値以上でキャンディを買ってくれるという。数時間で最低賃金の倍は、軽く稼げるそうだ。

 ガビィの人生は、大きく狂ってしまった−−−

 自分は何とか路上に戻らずにやっているオルガは、そんなガビィのことが心配でならない。だから彼女のことを話題にしていたところへ、偶然電話がかかってきた、というわけだった。

 明日にでも会おう。私たちとオルガはそう提案して、一緒にガビィの様子を探ることにした。待ち合わせの時間、地下鉄駅ホームで待っていると、案の定、彼女はパンテーラを連れて現れた。ふたりとも痩せていて、病み上がりのようだ。本人曰く、「この間まで、病気だったんだけど、ママ・ビッキー(NGO「カサ・ダヤ」創設者)が助けてくれて、完治したの」。

 私たちは、その病気がHIV感染に関係しているのではないかと疑った。本人の話では、HIVには感染していないということだったが、路上では「パンテーラはHIVに感染している」といううわさが根強くあった。ビッキーさんも、「HIVの件は、検査を受けてくれないのではっきりとはわからないのですが、先日のガビィの病気はある感染症で、歯がボロボロになり、頭蓋骨まで蝕むところだったんです。命が危うかったのですよ」と語った。

 「パンテーラの本性を知っている」と言うオルガは、ガビィを何とか彼と引き離し、人生を考え直すよう導こうとその日、自分が頼りにしている「依存症克服のためのグループ」の人を連れてきていた。その人は、ガビィとパンテーラの両方が依存症克服グループに興味を持つよう、会話の合間にそれとなく話を持ちかけた。が、恋人たちの心は、結局動かなかった。

 私は私で、「日本で立派にシングルマザーとしての心掛けを語り、人々に感動を与えたあなたが、今のような生活をしていてはいけない」と、ガビィに訴えかけた。すると彼女は、以前に比べると意外なほど素直に、

「その通りね。実は私も、今度こそ本気で生活を変えようと考えているところなの」

と、話しはじめた。死にそうに苦しい病にかかり、ビッキーさんに助けられて改めて、「カサ・ダヤ」で教えられたようにまず自分がきちんと自立することを考えなければいけないと、自覚したという。

「りつこ、私、約束する。次に会うときには、ちゃんと勉強して、まともな仕事につけるよう努力していることを。だからまた会いにきてねっ!」

 別れ際、ガビィはそう言って、私の頬にキスをした。

 その直後、パンテーラが私と篠田に向き直り、急に真面目な顔をしてこう切りだした。

「実は、ガビィのことを友だちとして大切に思ってくれているあなた方に、折入って頼みがあるのですが。今、ボクたちはささやかなアパートに暮らしているのですが、お金がないために、家具も何も買えません。(「カサ・ダヤ」の)ビッキーさんにも相談したのですが、お金は出せないと言われました。もしよかったら、少し援助してもらえないでしょうか?ガビィのためです」

 途中ですでに違和感を感じとった私たちは、そんなことをしても彼女のためにはならないとわかっているため、丁重に断った。と、パンテーラは表情を一変し、「なんだ、あんたらの友情なんて、その程度のもんなんだ」と言葉を吐き捨てた。それを聞いたガビィが、慌てて私の耳元に囁く。

「あいつ、時々おかしくなるの。気にしないで。私はリツコたちの気持ち、わかってるから」

 夕立の降りしきる中、恋人たちは地下鉄の駅の中へと駆け込み、消えた。そして私たちは、ガビィの将来を案じながら、乗合バスに飛び乗り、家路についた。

                    (くどう りつこ/ジャーナリスト)

 

 

 

 

 

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