05夏メキシコツアーの感想文(その2) 

 

子どもたちとHIVエイズの話をきいた(「カサ・アリアンサ」で)

山下千佳(大学生)

 今回でメキシコを訪れるのは、2度目だった。1度目は現地の友だちとその友だちの親戚の家にお世話になった。そのとき見た生活は、日本の家庭とさほど変わらない裕福さであった。しかし街を歩けば、母子で道端に座り物乞いをする人々、お菓子や小物を必死に売る人々の姿があった。貧富の差が激しい国だとは聞いていたが、実際にメキシコに来て、ショックを受けた。特にメキシコシティでは、ぜいたくに食事をする白人と汚れた服を着て道に座っている先住民が同じ街に生活していることに、不思議な気持ちになった。また、多くのストリートチルドレンも住んでいるということは知っていたが、通りで見かけたのは決して裕福ではない母子だけで父親の姿を見た記憶がない。そしてストリートチルドレンには会えずに日本に戻った。

 夏にこのツアーがあることを知り、さっそく申し込んだ。このツアーに参加して、本やホームページだけではわからなかった多くのことが学べ、貴重な体験ができた。

 子どもたちは本当に普通の子どもで、決してストリートで生活しているようには見えなかった。ストリートに出てくる理由は経済的に恵まれていない家庭環境や、虐待を受けてというのが多いという。虐待という事実は、とても信じられなかった。それは前回のメキシコ旅行で、実際のメキシコ人の家族の生活の中で親と子の接し方を見て、家族を大切にする国だと強く感じていたからである。

 食事もベッドもシャワーもある施設より、路上を選ぶ子どもたちも多い。初めはなぜ?と思ったが、路上の生活は自由気ままで物乞いをすればすぐにお金が手に入る、施設は規則正しい生活を送らなければならないし勝手な行動は許されないと知り、もし自分だったら?と考えた。施設に行ったほうが自分のためになるとわかっていても、自由という言葉には勝てないかもしれない。自分の将来に関して自覚するまでは、路上で仲間とワイワイ過ごすことを選ぶだろう。しかしそんな中でも、施設に長期的に生活し、勉学に励む子も多い。

 彼らは今までの生活から抜け出し、将来のことも考えている。そんな彼らの生活を近くで見ることで、ほかの子たちもストリートを抜け出そうという意思を持つようになり実行してくれたら、と願った。私たちが説得するより、がんばっている先輩たちの行動のほうがずっと影響力があると思う。そして、仲間がストリートで自由に生きているなか、努力している彼らを尊敬するし、応援する。

 ストリートエデュケイターと路上に出た。そこでシンナー類を吸っている子どもたちを目の前にした。ショックだった。体も小さいのに。すぐ近くには警察がいた。なぜ警察は彼らを保護しないのかとエデュケイターに尋ねたところ、彼らを保護しても警官個人にとっては何のメリットもないし、シンナー類を持っていることは違反ではないからということだった(注・吸引は違法)。いくら違反ではないといっても・・・何とも言えなかった。もっと警察に機能してほしいものだ。

 路上にいる子どもたちのそばに行くのは、正直怖かった。話してくれるかどうか不安だったし、笑ってくれないかもしれない、と思っていた。しかし、あいさつもしてくれたし、ニコッとしてくれたので安心した。もう少し直接話したかったけれど、私のスペイン語力では何も言葉が出てこなかった。

 子どもの1人はすでに子どもを産んでいるようで、赤ちゃんは元気?と尋ねると、施設に預けているから元気だと思うわ、と答えた。彼女の出産の経緯はわからないが、出産時に鼻からスイカが出るほどの痛さや自分の子どもが生まれた喜びを経験しているはずなのに、赤ちゃんに対する愛情はそんなものなのかな、とさびしく感じた。もう1人の女の子は恋人との子どもを妊娠していた。シンナー類を吸ってはいなかったし、服装もきれいだった。恋人はNGO「プロ・ニーニョス」のデイセンターに通っている少年だと言う。メキシコの男性はいい加減のようだが、彼には父親として責任をちゃんと背負ってもらいたいし、愛情をたっぷり子どもに注ぎ、幸せな家庭を築いてもらいたい。赤ちゃん、もう生まれたのかな・・・

 また、路上に住んでいるという4、5歳の子どもとその両親にも会った。彼らは雨が降ったら、貯めたお金でホテルに行き、シャワーを浴びるそうだ。子どももまだ小さいし、両親も若い。これからどうするのか、両親は子どもの将来のことをどう考えているのか、いろいろ気になることが多い。

 NGO「カサ・ダヤ」では、希望と勇気をもらった。彼女たちは17、8歳で母である。ここに来たばかりの子は、当たり前の生活ルールを知らない。基本的なことを学び、朝も早く起きて洗濯や子どもの世話をし、学校にも行く。ちょうど遊びたい盛りの少女たちなのに、がんばっている。子どもといる時は母親の顔になり、私たちと遊んでいる時は少女の顔であった。そんな彼女たちを見ていて、自分より若い子たちがこんなにがんばっているのだから自分も負けていられない、と思った。

 施設には各々特徴があり、あらゆるタイプの子どもに対応できるようになっている。働くスタッフはみんな明るく、子ども1人ひとりをしっかりと見て、愛情をもって接している。エデュケイターの仕事は大変なこと、辛いことも多いだろうが一生懸命に取り組んでいる姿を見て、とても尊敬できた。このツアーで子どもたちと接したことはもちろん、施設で働く人たちとも会うことができて、本当によかった。

 改めて感想文を書いてみると、考えさせられることが多い。子どもたちとも1日、2日しか会っていないし、もっともっと話したかった。このツアーが思い出になる前に、もう一度みんなに会いに行きたいな-- 

 

柳沢那津子(大学生)

 このツアーに参加したきっかけは、以前から興味があった路上の子どもたちについてもっと深く知りたいと思った、現地のNGOがどんな働きをしているのか見てみたかった、スペイン語圏に行きたかった、という3つの理由からだった。そういうわけで、「メキシコシティの子どもたち」に会いに行くことを決めた。

 とにかく旅費のために毎日働いてばかりで、あっという間に出発日になってしまい、心の準備もないまま気づけば飛行機に乗っていた、という感じだった。飛行機の中でもまだ実感が湧かず、ただ「遠いなぁ」と思っていた。

 メキシコシティで過ごした10日間は想像以上にすごいもので、心に残るものになった。1つひとつ日記に書いたことを全部書きたいけれども、それを書くと大変なことになってしまうので、印象に残ったことをいくつか話したいと思う。

 まず、メキシコシティに着いてすぐにホテルに向かうタクシーの中から、道路にいる1人の少年を見かけた。日本では大きい道路に人はめったに出てこないので、すぐに目に付いた。彼は松葉杖をついていて足を怪我しているようだった。ヒョコヒョコとバスの運転手のもとへ近づいて、何かをもらっていた。そうやって少年は信号で停まる車に近寄っては、物乞いを繰り返していた。足を怪我しているのならとても危険なはずだ。だけど、彼はやめようとはしなかった。むしろ、生活していくためにやめたらいけないのだろう。

 だけど、物乞いをする路上暮らしの子どもたちにお金や食べ物をあげてはいけないとNGOは指導している、と律子さんは言った。あげてしまうと子どもたちは路上で生きていけると思ってしまう。半端な同情がますます子どもたちを路上にいやすくさせてしまっている。だから子どもたちのためを思うのなら、絶対にあげてはいけない、と。そんなできごとがあって、メキシコの子どもたちが向かい合う現実を痛感し、やっと私はメキシコに着たんだと実感した。

 次の日からは、本当にたくさんのNGOを訪れることができ、色々なスタッフの話を聞き、子どもたちと話すことができた。みんな明るくてとても素直なかわいい子どもたちだった。施設にいる子どもたちは服もきれいだったし、パッと見ただけでは路上にいた事を感じさせなかった。けれど、時折見せる、ものすごく寂しげな表情が、彼らが生きてきた路上暮らしの現実を物語っているような気がした。

 印象に残っているNGOの話を2つしようと思う。

 「オガーレス・プロビデンシア」というNGOの「ドン・ビクトル」という男子定住ホームを訪ねたときのこと。そこの子どもたちとスタッフはまるで、家族みたいだった。「おじさん」、「おばさん」と呼ばれるスタッフをはじめ、10人くらいの少年が一緒に暮らしている。そこの、「おじさん」が話してくれたことは、本当に印象に残っている。「ここは家庭で、子どもたちはみんな兄弟みたいなものなんだ。子どもは誰でも本来愛情を持っているし、優しい心を持っている、だけど生きてきた環境のせいで、本来の姿ではなくなってしまっている。彼らに必要なのは、自分の家、それから家族を持ち、愛され愛すことを知ることなんだ。だから、いかにしてここを本当に家庭のようにするか、常に意識して努力している。」

 熱く語ってくれた「おじさん」の目には少し涙が滲んでいて、彼がどれだけ子どもたちのことを真剣に考え愛しているかということが、ズドーンと胸に伝わった。

そういう兄弟、家族の助け合いの中で、子どもたちは愛を知って、自分が存在する意味を知っていくんだろうな、と思った。

 もう1つは「プロ・ニーニョス・デ・ラ・カジェ」を訪ねた時のこと。この団体は主に路上訪問とデイセンターをやっているが、私は3日目にデイセンターでの活動に参加、そこで出会った一人の少年がいる。名前はマウリシオ、15歳。彼はとても優しい目をしていた。おっとりしていて、サッカーが苦手。みんなが言い合いを始めると「どうしてケンカをするの?」と悲しそうに言うような子だった。

 その日、マウリシオは寝ていなかったようで、何をしている時も眠そうにコックリコックリを繰り返していた。それでもやろう!と言えば笑って答えてくれていた。そして、別れ際に「次はいつ来るの?」と聞かれ、また月曜に来るよ、と言うと、うれしそうに「じゃあ待ってる!必ず来てね」と言って、路上へ帰っていった。

 最終日の月曜、私はストリートエデュケイターと路上訪問に出たので、デイセンターへ行ったのはもう2時をまわった頃だった。帰るとちょうど昼ご飯の時間で、マウリシオが私の席を用意してくれた。そこでやっと彼とゆっくり話すことができた。この前眠かったのは夜中のスコールのせいで寝られなかったんだよ、と私に言った。改めて彼が路上で暮らしているんだということを実感して、なんだか本当に悲しくなった。そんなこと不公平だ、と思っても仕方ないが、思わずにはいられなくて、本当に悲しくて仕方がなかった。と、マウリシオが言った。「友だちが悲しい顔をしていたら、ボクは悲しいよ。ナツコ友だちだから、悲しい顔はしないで」

 その時、友だちになれたこと、そして彼がいきなり来た訪問者の私を受け入れてくれていたことが、本当にうれしかった。同時に、自分は今まで出会った子どもたちを「ストリートチルドレン」という先入観と警戒心を持って見ていたことに、気がついた。もちろん「ストリートチルドレン」について知るために来たのだけれど。子どもたちはそれぞれに違う事情を抱え、違う人生を歩んでいて、それぞれがみんな違う。だからこそ大変で一人ひとりに向き合うことが大切なんだということ、日本人と「ストリートチルドレン」ではなく、一人の人と人との関わり合いなんだということを、マウリシオの言葉が私に教えてくれた気がする。

 帰り際、「またね」と寂しげに笑いながら手を振って、路上にもどっていくマウリシオの姿を見たら、私は涙をこらえることができなかった。その瞬間、また会いに行こうと心から思った。

 個人的には、旅の初日から言葉ができなさすぎることに落ち込み、施設のスタッフをつとめることの大変さを見て自分にできるだろうかと落ち込み、結構心の中は荒れていた。だけど、振り返ればいろいろな人たちに出会って話を聞いたりしていく中で、だんだんとその気持ちは消えていったように思う。わたしが出会ったメキシコの人たちは陽気で本当にパワフルで、その元気は一体どこから出てくるの?というくらいタフな人たちばかりだった。メキシコが抱える深刻な社会問題に、四苦八苦しながらも取り組み、子どもたちのために未来を共に切り開こうとしている人たちがいた。どうしたんだってくらい陽気で明るくて子どもたちが大好きな人たち。そんな彼らに出会えたことは、私に一歩踏み出すきっかけを与えてくれた。

 自分に自信がなく、自分にできることなんかちっぽけなことだと思っていた。だけど、その小さくてキリのないこと、ゴールが見えないことに地道に取り組んでいくことがいかに大事なのかを、知ることができた。彼らはそれを毎日毎日繰り返していたからだ。あるスタッフは「子どもたちが施設を飛び出して路上にもどってしまうことはよくある。スタッフをしていてそうゆう悲しい思いをすることも、もちろんあるけど、子どもたちの人生の問題なんだから、長い目で向き合っていかなくちゃいけない。そう簡単にはいかないもの、誰の人生もね」と言っていた。彼らの持つ忍耐強さを感じた。それは本当にどこのNGOのスタッフにも言えることで、何度裏切られようと、彼らは子どもたちをあきらめない。 1人ひとりがそれぞれ抱える問題は違うから、それぞれの方法で子どもたちを支援していた。

 果てしない貧困・社会問題に向き合い続けている彼らに、私は勇気づけられた。「メキシコのストリートチルドレンはいなくなる」そう言い切ったスタッフの言葉が、今でも鮮明に聞こえてくる。すごい人たちに出会ったなぁと思った。

 本当にたくさんの素晴らしい出会いに感謝している。たくさんのことを教えてもらった。地道ではあるけど1人ひとりの子どもと向き合い、手助けをする人たちがいるメキシコ。その未来は、子どもたちの未来は、明るいものだと私も思いたい。

菊池雄一朗(大学生)

 日本にいる人々は、「ストリートチルドレン」のことを様々な形で知るチャンスがあると思う。テレビのドキュメンタリーだったり、学校の授業だったり。私もその1人だ。ただ、そこで知っていた「ストリートチルドレン」と実際に私が会ってきた「ストリートチルドレン」は、まるで違うものだった。むしろ、私は路上暮らしの子どもたちと会うことで、「ストリートチルドレン」に対して、いつのまにか先入観を抱いてしまっている自分に気がついた。そして、こういう人は意外と多いのではないかと思う。私がそれに気がついたのは、最初の2日間でのことだった。

 初日、私はNGO「プロ・ニーニョス」を訪れた。この日は、スタッフと共に路上に出て、実際に路上暮らしの子どもとコンタクトをとる日だ。これは他のNGOのツアーにはないものであり、とても楽しみにしていた。無事その日は終了したのだが、ひとつの反省点が残った。写真を全然撮れなかったのだ。というのも、アルトゥーロが必死に子どもたちと仲良くなろうと導いているのに、写真なんか撮って邪魔したくないと思ったからだ。しかし、「ストリートチルドレン」と会えるチャンスなんてなかなかない。絶対に写真を撮って来ようと思っていたのに--

 次の日。この日は「プロ・ニーニョス」のデイセンターで子どもたちと遊ぶ日だ。デイセンターに行く前の朝食の時、昨日の反省点をコーディネイターの工藤律子さんに話すと、厳しい意見が返ってきた。

「仕事の邪魔にならないように写真を撮らなかったその行動は正しいよ。ただ、ストリートチルドレンを撮りたい、というのはどうかな?だって観光旅行ならともかく、普通なら初めて会う仲良くもない人を写真に撮りたいなんて、思わないでしょ?例えば一緒に遊んで、仲良くなった友だちを撮りたい、と思うならわかるけど。いい?彼らは見せ物じゃないんだよ。ここに何をしにきたか、よく考えてみて」

 私はこの時、「ストリートチルドレン」に対して先入観を持っていた自分に気がついた。すべては律子さんの言う通りだった。私はここに何をしに来ているのかを考え直した。NGOのプログラムを学び、自分なりにこの問題に対してのアプローチを考えること、自分自身も彼らと近づいて、少しでもいいから信頼関係を築き、彼らの立場に近づくこと、それが大まかな当初の目的だった。写真ばかり撮っていたのでは、スタッフの邪魔をすることにもなりかねないし、子どもたちと信頼関係を築けるわけもない。私は自分自身を一から反省し、スタッフと子ども、うまく両方の立場を考えながら行動することを、心に固く、固く誓った。

 それからは、自分の視界がパッと開けたように、様々なことを考えられるようになった。なかでも一番強く感じたことは、日本で「ストリートチルドレン」と呼ばれているメキシコの子どもも、日本の子どもと何ら変わりはないということだ。そこには様々な個性があり、それぞれの子が無邪気な笑顔で私に笑いかけてくれた。しかし「個性がある」なんて、人間なんだから当たり前のこと。ここでもまた、自分に先入観があることに気がついた。日本で勉強しているだけで「ストリートチルドレン」を知ったような気になっていた私は、彼らを「ストリートチルドレン」という、かわいそうで毎日を必死に生きている存在として、マクロ的にひとくくりで見ていた。しかし、それは違った。そこにいたのは、一人ひとりの「ストリートチルドレン」であり、個々の事情を抱える、唯一無二の、純粋な笑顔の天使たちだったのだ。

 そんなことを感じたこの日は、彼らがしてくれる何もかもがうれしかった。図工の時に筆をとってくれたり、ご飯の時に難しい私の名前を呼んで、「一緒に食べたい」と言ってくれたり、自分の少ない稼ぎで買ったジュースを当たり前のように私にもくれたり、サッカーの時にパスをくれたり、「一緒に写真を撮りたい」と言ってくれたり・・。彼らは私にとって、もはや「日本から遠く離れた、異国のストリートチルドレン」ではなくなっていた。私は彼らを「アミーゴ(友)」だと思い、彼らも私に「アミーゴ」と言ってくれた。「次はいつ来てくれるの?」って聞いてくれたりもした。彼らに受け入れられ、ほんの少しだが、信頼関係を築くことができた。本当に本当に言葉にならないうれしさだった。いつのまにか私は、彼ら「ストリートチルドレン」のことを大好きになっていたのだ。

 しかし、だからこそ辛すぎる別れの時間がやってきた。16時30分。デイセンターが閉まる時間だ。デイセンターの子どもたちは、また路上生活にもどらなければならない。「今日はこれから仕事をするの?」「お金はあるの?」「夕飯はどうするの?」「どこで寝るの?」いろいろなことを聞きたかったけど、返事が怖くて聞けなかった。メキシコシティのストリートチルドレンは99%が何らかのドラッグをやっている。彼らも例外ではないのだろう。自分の「アミーゴ」がドラッグをやり、危険なところで寝泊りをしているという現状。そんな中、ホテルに向かう私たち。

 純粋で、きらきらした笑顔をふりまいてくれる子どもたちが、なぜこんな目にあわなければならないのか?彼らが何か悪いことでもしたのか?メキシコに生まれてしまったからいけないのか?だったら私たちは、日本に生まれたから良かったのか?

 16時30分。先進国で生きる北の人々はホテルに向かい、途上国で生きる南の子どもたちは路上に向かう時間。根拠のない不平等に絶望を感じつつも、圧倒的な力の前にどうしてよいのかわからなくなる。辛くて、悲しくて・・・。私は感情を抑えることができなかった。

 私は、自分の中にいつのまにかできてしまっていた先入観に気づき、それを自分なりに克服して、彼らを本当に本当に大好きになれたことが、この旅の一番の収穫だと思う。それは律子さんのおかげでもあるし、本当に感謝している。

 最後になったが、なぜメキシコでは「ストリートチルドレン」が生まれてしまうのだろうか。愛情の欠如、コミュニティー基盤の弱さなど、このツアーを通していろいろと考えさせられた。これからの自分自身のテーマにし、追求していきたいと思っている。なぜ「ストリートチルドレン」は生まれてしまうのか。そもそも彼らを生まないようにするためにはどうすればいいのか。どのような活動が有効なのか。

 目を閉じて「アミーゴ」になった子どもたちの笑顔を思い出すと、絶対にこの笑顔を絶えさせてはいけないと、心から思う。彼らのように危ない環境で生きなければならない子どもたちをこれ以上増やしたくないとも。子どもは未来そのものだ。彼らを被害者にも加害者にもしないために何ができるか、真剣に考えていきたい。

 16時30分。この時間が訪れる度に私の友だちはドラッグを使い、死と隣り合わせの危険な所にもどることを、私は絶対に忘れない。理由無き不平等が生まれる時間、16時30分。いつまでもその時のことを胸に秘め、彼らを助け出す方法を、彼らのような子どもたちをこれ以上生み出さない方法を、何とか探っていきたい。                     

        

 

 

 

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