05夏メキシコツアーの感想文(その1) 

 

三井由香(大学生)

 一言で言うと、とにかく予想外のことばかりでした。メキシコのストリートチルドレンのことを日本で事前に調べていたのにもかかわらず、想像がかなり膨らんでいて、自分の単なる妄想だったのかとも思うくらい、ギャップがありました。

 様々なギャップがあったんですが、特に子どもたちの顔を見たとき、こんなに元気で生気にあふれていて、日本の子どもと何ら変わりのないように見える子が路上にいるなんて信じられないと、わが目を疑いました。そして、訪ねてきた私たち以上の元気さと優しさをもって、私たちを励ましてくれたかのようにも思えて、感動と驚きで言葉を失いました。様々な問題を抱えつつも、それを感じさせないような強さとたくましさをもって前向きに生きている彼らを見て、改めて、私が彼らにしてあげられることは何だろうと、何度も自問しました。そして、もう一度来よう、もっと勉強してまた来よう、と強く決心をして日本に帰ってきました。

 もうひとつ予想外だったことは、このツアーがこんなに楽しいものだとは思ってなかったことです。ツアー内容を見て日本で想像していたものは、もっとシリアスなツアーで、厳しい現実をこの目で見てくるんだ、遊びに行くんじゃない!と(笑)意気込んでいたんですが、いくつものNGOをまわって勉強するなかで、思いっきりこのツアーを楽しんでいる自分に気づきました。たくさんの人に出会い、たくさんの感動に出会い、タコスやテキーラを満喫して、完全にビバ☆メヒコ状態に陥りました。10日間だけだったけど、とても10日間だけしかいなかったとは思えないくらい、一緒にまわった仲間に親しみを感じ、同じ問題意識をもった人間としても、とても大切な友だちになりました。

 最後に、完璧なツアースケジュールのもと指揮をとり、あらゆるハプニングにも臨機応変に迅速な対処をとり、私たちを最大限にサポートしながら様々な体験をさせてくださった工藤律子さんと篠田有史さんに、心からの感謝を述べたいと思います。本当にありがとうございました。

 

杉谷優子(高校生)

 15歳、高校1年生。私にとって、初めての一人で行く旅。

 まず最初にホテルの部屋に着いた時、窓からストリート暮らしをしている子たちが前住んでいたと聞いていた公園を見て、ショックを受けた。「こんな暗いところで暮らしていたの?」メキシコの夜は思ったより寒く、窓に近づくと冷気が漂ってくる。こんなところで自分と同い年、あるいは年下の子たちが暮らしていたんだ・・。

 一人での海外滞在中は、日本に帰りたい、家族がいたら頼れるのに・・・そんなことを時々思った。そして、やっぱり少しさみしかった。たったまだ2日、いや1日しかたってないのに、家族がそばにいないことをこれだけ不安に感じる。だったら、小さな頃からずっと1人で暮らしている路上の彼らのさみしさは?どれだけさみしさや不安をかかえてるんだろう。私には想像もつかなかった。

 メキシコで何を得た?

施設でサッカーをした後、自分のお金で大きなペットボトルのジュースを買い、みんなに配る少年がいた。そんな思いやりの深さに驚いた。と同時に、私にはできないと思った。少しの限られたお金の中で、みんなにあげる余裕はない、お金ができたら、と理由をつけて逃げてしまうだろう。そんなことを思った。

 2日目に「プロ・ニーニョス」のデイセンターで、将来したいことや理想の場所を描くプログラムに参加させてもらった時は、ほとんどの子が家や学校を描いていた。そして、スタッフが一人ひとりに話を聞いていき、家を書いた男の子が「ボクは家に住んでいたとき、たくさんのいたずらをしたんだ」と言うと、スタッフが「何でもいいからひとつ教えて欲しい、その中で一番悪いと思っていることは?」と聞いた。「家のお金を取ってしまったこと」と言うと、「でも、自分が悪いことをしたと理解しているんだから、もうキミは次のステップに進める、キミには支えてくれる人たちがいるんだよ」と、スタッフの人が言った。と、少年の顔には涙が伝っていた。私も泣いてしまった。

 教わることがたくさんあった。きれいごとじゃなくて、実際に目でみれたことが、すごく私の心に響き、大きなものとなった。陽気で、明るくて。でもさびしいさびしい悲しい目。それがすごく印象的だった。このツアーで私が出会った子たちの大半は、目が合うと笑ってくれた。だけどそれは一瞬で、次にする目は言葉には表せない、何ともいえない目だった。私はどんな顔をしていいのか、わからなかった。今まで私は同世代の、いや、普通の人より視野が広い方だと思っていた。でも実際は、やっぱり目の前のことに悩んでいたり、苦しんでいたり、すぐそこしか見えていなかったことに気づいた。もっと広い世界があるんだ。そして、いろんな暮らしがあるんだなぁってことが、すごくよくわかった。すごく自分にプラスになったと思う。世界を少し現実で見ることによって、これだけ自分の想いが変わるものなんだということを、日本に帰って改めて実感する。

 メキシコに戻りたいと思う。でも、今の私に何ができる?スペイン語どころか、英語さえまったくしゃべれない。それに、世界のことを何も知らない。今の私にできることは、勉強すること。もっともっと学んでいろんな知識を吸収し、もっとしっかりした自分をつくっていくこと、自分の土台をつくること。そして、もっともっと世界をみること。

 今まで本やテレビを見てわかったような気になっていた。でも、実際は?実際に会っても、わからないことだらけ。彼らはどう思ってるの?私のことをどう感じてる?・・・自信を持って、わかったとは決して言えない。簡単には語れない。いや、語っちゃいけないと思う。わかったように感じてはダメなんだ。でも、伝えなければ。みんなに、自分の周りにいる人に、彼らのこと、今世界で現実問題として起こっていることを伝えなければならないと思った。それが、今の私にできることの一つ。

 そして、日本にも同じような施設があればいいのに・・と思った。「日本には必要あるのか?」と疑問を抱かれるかもしれないが、今多くの子どもたちが悩み、苦しんでいる。その結果、年々増加する少年犯罪、非行や引きこもり、不登校。現に私が悩んだ時、いる場所は家しかなく、フリースクールなども探してみたが、毎月多額のお金がかかるところがほとんどで、手が届かなかった。私は家にいることができたからよかったが、じゃあ学校でも居場所がなく、家の中でも虐待や言葉の暴力を受けている子はどこに逃げればいいのか?というと思いつかない。だから、このようにプロのスタッフが話を聞いてくれて、将来についても共に考えてくれる・・そんな場所が日本にもできることを願う。

 メキシコに行くまでの私は、すごく悩んでいた。「自分が何のために生きているのか、つらいことがあってもなぜそこまでして生きなければならないの」そんなことをずっとずっと一人で考えていた。そして、学校を休みがちになったり、ご飯を食べなくなったりしていたときがあった。また、工藤律子さんの本を読んだり、彼らについていろいろなことを知って、将来はそういう方面での仕事につきたいと思い、自分の目で現実を見て、自分を一度試してみたかった。実際に見もしないで口ばかりが動き、厳しい現実でやっていけるのか。

 だから、私はメキシコへ行ってみたいと思っていた。彼らと出会ってみたかったし、出会うことによって、何かを得られると思った。また、世界をみてみたいと思ったから。私は、大学生にならないうちに行きたいと、強く思っていた。自分と同じ年代の時に見ておきたかったから。だけど、高校受験があり、本当は高校2年生に行くつもりだったが、4月にメキシコから来たナチョさんの講演会(「プロ・ニーニョス」の活動を話した)に母と行き、あとで母が「今年行って来なさい」と言ってくれたことで、夏に行けた。

 今は行ってよかったと、心から思う。メキシコから帰ってからは悩むこともなくなり、何も考えずに自分の周りのことをだんだん受け入れるようになった。それに、日本では決して学べないことをたくさん学べた。そして何より行ってよかったと思うことは、メキシコでたくさんの人と出会うことができたことだ。

15歳、今みんなと出会えて本当によかったと思う。そして、参加者だけだったら成り立たなかったこのツアーを成功させてくれたコーディネイターのお2人、通訳の皆さん、また、私の意志を尊重し、メキシコに行かせてくれた両親に、心より感謝する。

  

 於曽能亜美(高校生) 

 高校3年生。大切な受験期の夏にメキシコへ行くと決めるまでには、それなりに悩んだりもしました。それでも、私にとってメキシコという国、そこにいる人々はとても魅力的なため、私はこの旅行で自分が「今」感じられることを大切にしたい、旅行をまだ方向性がはっきりと決まっていない自分に何らかのきっかけを与える機会にしたい、と考えて、行く決心をしました。

 去年も行った私にとって、今回は2回目のメキシコ旅行でした。去年会った子どもたちの何人かに、また会うことができました。私のことを覚えてくれていたことももちろんうれしかったけれど、去年はまだ「ストリートチルドレン」として会った子が、今年は定住施設で仲間と一緒にいきいきと生活していたのは、特にうれしいことでした。

私が今回行った施設で重視されていたことのひとつに、「子どもの意思を尊重する」ということがありました。無理やり施設へ行かされたとしても、自分が本当に納得できていなかったら、また路上へと戻るのは仕方がありません。でも自分でよく考えて決心したならば、自分で決めたのだからもっとここでがんばってみようと思えるかもしれない。そしてこれは、受験などについても言えることのような気がしました。

自分で調べてここへ行きたいと決心したら、苦難があっても乗り越えられる可能性は大きいと思います。「親に決められた」「どこでもいいから適当に」と言って入ったら、何か苦難に出会った時も、簡単にくじけてしまう可能性が大きいように思えるのです。「自分で考えて決める」ということは、どこにいても、何をするうえでも大切な、基本的なことなのでしょう。少し初心に戻ったような気分でした。

去年も思ったことですが、施設のスタッフはやはり尊敬できる方ばかりでした。私たちが行った施設のほとんどで、「ここはもうあなたたちの家でもあるのだから、いつでも来てください」などと言ってくれました。その方たちはとても「真剣で、熱心な」人が多いです。日本では、真剣に何かをしている人をひやかしたりする人がいます。私は、それこそ「カッコ悪い」ことなんだと思いました。真剣に何かをしている姿、熱心に話したりすることは、とてもかっこいい。100%でがんばって失敗する方が、50%で適当にこなすより、よっぽどかっこいいのです。私は、施設で出会った人たちのように、何事にも真剣に物事に取り組んでいこうと思いました。そして、すべての人の話を熱心に聞いていこうと。そこには差別も区別も必要ありません。ただ、相手が自分に対し真剣に話しているという事実があれば、それでいいのです。

私がこのような旅行で一番魅力的だと思うのは、「人との出会い」です。ツアー仲間も含め、旅先で出会った人と話したり遊んだりすることにより、何かしら自分の中で感じるものがあります。この旅でも、たくさんの出会いがありました。その出会いで感じたこと、考えたことにより、少しかもしれませんが、精神面で成長できたような気がしています。これからも出会いを大切にして、一つの集団や一つの国だけではなく、様々な人とコミュニケーションをとることにより、世界のいろんな状況の人の気持ちに近づきたい、多くの人の心からの笑顔を見ていきたいです。

 

 

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