4月講演会ツアーの報告

 

 

 報告者・大橋枝利子

 4月13日から25日にかけて、メキシコのNGO「プロ・ニーニョス・デ・ラ・カジェ」からイグナシオ・ペレス・モンドラゴンさん(通称:ナチョ)をゲストとして招き、東京・大阪・広島で講演会ツアーを行いました。

  企画を終えた後に開かれた運営委員会での感想や反省を報告します。

 ★参加者総数  約300名

 ★会の総支出  449,535円 (内、講演ツアー支援寄付48,000円)   

 ★NGO「プロ・ニーニョス」への寄付  121,000円

 

1)準備・計画

 講演会当日までの準備段階について、広報とスケジュールに関する意見が多くありました。広報の方法について、「広報が人の集まりに大きく影響することを実感した」といった声があり、今回の広報では「人のつながりを利用したのが良かった」、「知り合いを集める、という感じで良かったと思う」という感想がありました。しかし一方で、「最初の頃、各会場の収容人数が不明だったため、どれくらい広報をしたら良いのかわからなかった。もっと前から(3ヶ月程前から)広報する必要があると思う」、「マスコミをどう使うかをもっと考える必要がある」という声があがりました。スケジュールについては、ゲストに変更があったりしたため、「もっと前から計画を立てた方が良い」という反省が目立ちました。その理由としては、計画がはっきりしないことには予算が立てられない、会場をおさえられない、ということが挙がりました。

2)講演自体の内容

 内容については、「参加型アクティビティ(遊び)」が特に好評だったようです。会場と参加者層によって内容が違い、参加者は楽しみながら多くのものを学ぶことができたのではないかと思います。「来てもらって話してもらうのがやはり一番」、「参加型は楽しめたし親しみを持てたのでよかった」、「当事者意識を持てるようなアクティビティに共感した」などの感想がありました。反省点は、会場によっては質疑応答の時間が十分にとれなかったこと、もっと募金が集まるように工夫する必要があるということがありました。

3)場所・日時

 場所について、「中学・高校でも開催したかった。子どもたちにこそ学んでほしいことがある」という意見や、「アクセスのよい会場がいい」といった意見が出ました。時期・日時については、「大学は学園祭の時期のほうが、人が集まる」、「人権週間に合わせるなどの工夫ができるはず」という意見のほか、「子育て中の母親は、平日の昼間でないと参加できない」などが出ました。今後企画を行う際は、様々な参加者に合わせた会場や日時を設定する必要があると言えそうです。

4)まとめ

 全体の共通の意見は、「やって良かった」、「アクティビティや実際に話を聞くのがとても良かった」、といったものでした。しかし共通の反省点として、「計画性の低さ」が挙げられ、スケジュールや予算、会場、日時の設定についてより吟味できるよう、今後は時間にゆとりを持って計画することが大切だと思われます。

              (おおはし えりこ・学生)

         ナチョさんの講演会 in 広島      

  

広島大学総合科学部3年 樋口浩二

 一番感心させられたのは、決して収入がいいとはいえないストリートチルドレンの支援という仕事を「仕事」と思わずにいきいきとやる、というナチョさん自身の人となり、大げさに言えば生き方についてである。講演会のなかでビデオを見たり、実際にナチョさんと体を動かしたりしてみて,その人柄を十分に感じることができた。収入のため、自分のためにだけ働くのではなく、人を思いやる心をそのまま働くことに結びつけ、それがストリートチルドレンの支援になると同時に、自分の人間性を豊かにする。ナチョさんはそういう生き方の実践者だと思った。

 ついつい自分のことだけ考えがちで、視野も狭くなりがちな私たちだが、少し視野を広げてみると、問題だらけの世界がある。その問題のわずか一端でも解決できるような、解決できないにしろ、それらと関わっていけるような生き方ができれば、それはすばらしいことだと思う。私も、何か社会と関わって貢献していけるような仕事をしたいと思った。今まさに、自分の将来について考える状況にある私が、この講演会から学んだことは大きかった。

 もう一つ、ナチョさんが子どもたちに対して、言いたいことを「遊びの中で伝えていく」という方法をとるという話が印象的だった。逆に怪しまれるのでは、とも思ったが、それぐらい肩の力を抜いて子どもたちと同じ目線で伝えていくことで、子どもたちがナチョさんの伝えたいことを受け入れやすくなるのかもしれない。自分には今までなかった考え方だと思った。

 

広島大学国際協力研究科修士1年 望月繁一

 以前、ボクは3ヶ月かけてメキシコ各地を回ったことがあるが、ストリートチルドレンに対して何かをしたという記憶はない。彼らを目の当たりにし、心のどこかで何か感じるものはあったが、何をしたらいいのか分からず見て見ぬ振りをしていた、そう言ったほうが正解かもしれない。あの時の気持ちは、今でも心のどこかに引っかかっているのを感じる。

そんな折、メキシコからNGOの人が来ると聞きつけ、電車を乗り継いで行った。そして、そこにいたのは、ナチョさんだった。おかしないい方だか、実にメキシコ人らしい顔立ち、風貌だった。彼は長年ストリートチルドレンを見続けていて、子どもたちの置かれている状況を、ストリートチルドレンに関して無知なボクにも分かるよう、子どもとの人間関係を確立するためのゲームを交え、ていねいに語ってくれた。

話はずれるのだが、発展途上国に行くと、最初はその独特な雰囲気や光景に気持ちがよくなり、自分が先進国の人間であることにどこか優越感を感じるであろう。しかし、時がたつにつれて、ある意味周りがよく見えるようになってくると、今度は資本主義社会の狭間にいる人たちを目の当たりにして、どこかやりきれない気持ちを感じてくる。アフリカや東南アジアに比べれば、中米は裕福である。そして、中米で1番の優等生国はメキシコであるが、メキシコにもたくさんのストリートチルドレンがいるのである。そして、彼らもまた、他地域のストリートチルドレンと同様、複雑な家庭問題や貧困が原因で家を飛び出すのだろうと、ボクは考えていた。

家庭問題や貧困で傷ついた子どもたちと接するのは、容易なことではない。しかし、ナチョさんの実演は実に頼もしいものだった。彼は子どもたちと接する機会をつくる際、子どもたちのほうから何かを仕掛けさせるようにするのである。その方法は多少強引であると思われるが、非常に愉快でなおかつ効果的であると思う。その後、彼の実演は「施設への勧誘」に移ったのだが、これがまた非常に困難であることを認識させてくれた。家庭問題や路上での生活で心が屈折した子どもたちの足を施設に向けることは、非常に困難であることを教えてくれた。

だが、この実演で一番印象に残ったのは、ナチョさんの楽しそうな顔であったことは間違いない。子どもたち、特に複雑な成長環境にある子どもたちには、理屈ではなくナチョさんのような情熱や楽しさが伝わるのではないかと感じた。

 さて、もうひとつ、ボクはこの公演で思いがけないことを耳にすることになった。それは、子どもたちにとって「路上が魅力的である」と、ナチョさんが言ったことである。衝撃である。路上が魅力的?どういうことだ!?ボクはそう思った。しかし、続くナチョさんの説明で、すぐに納得することになった。路上に出ることにメリットがあったのである。自分勝手に自由に暮らすことができ、支援してくれる人、団体、教会などもたくさんあり、家庭内で起こる虐待、貧困、その他人間関係に比べれば、路上にいることは、より自由で、支援もしてもらえるという訳である。つらい家庭内にくらべれば、一見路上はよく見えるのであろう。しかし、甘い罠に誘われ、子どもたちは家を出て行くが、ご存知の通り、現実には行き先は地獄である。

 公演の最後に、ナチョさんは重要なことを言い残していった。「物やお金をあげないでください、そうした行為が子どもたちの路上生活を容易にしているのです」。彼の言葉を聞いて、ボクはかつてカンボジアでした行為を恥ずかしく思った。たかが飴、されど飴。ボク自身も、彼らがそこに留まる理由に加担してしまったかと思うと、申し訳ない気持ちになった。もちろんボクがしたことは彼らにとって些細なことだったかもしれない。しかし、大勢の、そうした小さな行為の積み重ねが、彼らが路上で生活することを可能にしているのではないか?

 ボクはそれに気がついたとき、心の中をさまよっていたあの時の気持ちに何らかの変化が起きた、そんな風に感じた。

 

広島大学総合科学部3年 牧野 誉

 ストリートチルドレンの講演会に参加しました。授業で習ったことがあったので、メキシコのストリートチルドレンの存在は前から知っていました。授業で習ったときは、遠い国のことなのでリアルな気がしませんでした。

 この講演会は、実際にストリートでエデュケイターをしている人が話をしてくれたので、遠い国のストリートチルドレンのことを以前よりは身近に感じることができたと思います。

 また、ナチョさんは望んでエデュケ意ターという仕事に就いたそうです。日本では、仕事に就くとき、一番に生活のことを考えてしまいます。ナチョさんのように、強い使命感に駆られて仕事を選ぶことは、多くの人ができることではありません。私は大学三年生になって、就職も考えなければならない時期になってきました。この講演会に参加して、職業観についても考えさせられました。

 

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