ヒトミのメキシコ便り・その3 〜分断された社会〜

                                              会員・小松 仁美

 

                             

 ラ・ラサ、ゲレロをはじめ、メキシコシティには、ストリート・チルドレンが多く住んでいる地域がいくつかあります。その1つが、現在、私が住んでいるソカロや旧市街を中心とするセントロといわれる地区です。

 セントロに住み始めて2ヶ月、子どもたちに出会う機会は格段に増えました。学校に行く道すがらや買い物の帰りなど、いたるところで出くわします。なかでも印象的なのが、朝の地下鉄イダルゴ駅の入り口で眠る子どもたちと、イダルゴ通りの「夜の蝶」たちです。摂氏0℃まで下がる今の季節、子どもたちは路上で夜を明かします。テントを張ったり、みんなで寄り添い合いながら、寒さをしのいで朝を待ちます。地下鉄の駅に入れるようになる始発以降になると、子どもたちは路上から暖を求めて構内に移動し、わずかな間ですが寝入ります。その間、駅員の見まわりがあり、彼らが追い出される光景を目にします。

 また、夜のイダルゴ通りに立つ一目でそれとわかる街娼のなかにも、ストリートチルドレンの姿を見かけます。そのひとり、幼い頃から路上で暮らすマリア(仮名、40歳前後)は、妊娠28週目を過ぎた身体でありながら、別に衣食のためにというわけではなく、薬物欲しさに、未だに路上で春を売ります。

 子どもたちを取り巻く環境は、彼らにとって決して安全ではありません。けれど、彼ら自身はこのような路上の生活を「楽しい」と考え、続けようとしています。その背景には、経済学者のアマルティア・センや社会学者のオスカー・ルイス、ジャーナリストの工藤律子らがいう貧困問題があります。

 セントロに住むストリートチルドレンの多くは、メキシコシティ郊外に広がるメキシコ州やイダルゴ州などの近郊の州からやって来ます。メキシコシティ周辺には、工業地や大規模農地に隣接したスラムが多数存在しています。また、どんなに小さな町でも、町外れまで行くと、掘っ立て小屋が軒を連ねています。

 先日、イダルゴ州にあるアトトニルコ・デル・グランデを訪れました。アトトニルコは、大きな平野部に位置しており、高速バスも走る比較的大きな町です。同時に、立派な教会を中心にした伝統的なメキシコの田舎町でもあります。そのため、アトトニルコのセントロには、しばしば観光客が足を運びます。

 町の中心から畑や民家を越えて、さらに足を伸ばすと小さな谷にぶつかります。谷には、近隣の民家から出される下水や家畜の糞尿が、流れ込んでいます。無数のハエが飛び交い、異臭が鼻を刺します。そんな谷沿いの、足場も悪く今にも崩れそうな猫の額ばかりもない土地に、家がレンガで建てられています。家といっても4畳ほどの土間作りで、うち1畳は家畜にあてがわれています。さらには、建設途中であるために、上・下水道はもちろん、家の半分には屋根がついていない状態です。この家には、若い母親と4歳前後のその娘が暮らしています。

 このような劣悪な環境に置かれているのは、特別に貧しいごく一部の家族だけではありません。メキシコには所得がない、あるいは限りなくゼロに近い家庭が多数存在しています。特に、貧弱な権利しか持たない貧しい家庭に育った女性によって構成される家庭は、貧困の最たる部分に追いやられています。

 それとは対照的に、中流階級は上・下水道が整った家に住み、子どもたちは学校にきちんと通っています。同イダルゴ州のパチューカに住む友人・アナの家は、父親がビンボー・グループ(パン・菓子の製造販売から流通までを手がける大手企業)に、母親が葬儀社に勤めています。姉は州立大学でバイオテクノロジーを専攻し、弟は中学校に通っています。アナ自身も私立の高校に通っており、ゆくゆくは私立大学への進学か、米国行きを希望しています。

 日本ではあたり前の、安全な水を飲む、学校に行く、家族がそろう、ということは、貧困層の家庭では残念ながら実現されていません。そして、この2つのまったく違う家族は、お互いを違う世界の住人あるいは「もの」として認識しています。というのも、平常良くしてくれるアナ一家も、ストリートチルドレン問題や貧困問題についての話になると、いい顔をしません。彼らもこの問題を、解決しなければならない、と考えてはいます。しかし、ストリートチルドレンは強盗や殺人者のように危険で、近づくべきではない。誰かが解決するだろうし、税金を払っているのだから、政府が何とかすべきである。また、ストリートチルドレンやその親に対しては、本人たちがどうしようもない「くずのような人間」だからいけないのだ、とも考えています。

 つまり、各階層ごとに分断された社会が存在していて、お互いがお互いに無理解だということが、問題解決を遠ざけている、ひとつの原因となっていると言えます。

 ストリートチルドレンは、貧困層の家庭環境、育児放棄や暴力などを原因として発生しています。そのため、ストリートチルドレンとなった子どもたちのケアはもちろんのこと、これからはその社会背景にもスポットを当てる必要性があると考えます。貧困層に対する援助は、同時に、貧困問題を内包している社会そのものに対する開発援助でもあります。違う階層に住む人間を理解する力、お互いに知恵を出しあい、社会をよくするためにどうすればよいかを考え、政府や市民が力を合わせて行動することをどのように実現していくか、が重要なのです。

 それは、既に活動を開始しているメキシコ人やNGO/NPOの手によって、徐々に広まりを見せています。それと、こうした分断された社会の中で再び社会を結びつけるものとして、外国人が果たせる役割は大きいと思います。私たち日本人は、メキシコ人の上流階層から貧困層まで、ありとあらゆる人と付き合えます。実際にメキシコへ旅行で来ても、いいホテルに泊まりながら地下鉄を利用するなど、各階層をまたいだ行動をしているからです。アナの一家も、私との付き合いが深まるに連れて、路上の子どもたちに対する理解を徐々に拡大してきています。

 アナたち自身は、まだ子どもたちに対して声をかけたりすることはありません。けれど、喜捨を止めたことや子どもたちを犯罪者扱いしなくなったことは、大きな進歩だと思います。このように、お互いがつながりを深めていくことで、貧困問題を解決することが可能だと考えます。

(こまつ ひとみ・学生)

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