カルカッタ再訪

 

                            会員・大倉 亜也加

             

 初めてカルカッタを訪れてから半年後、私は再びこの地を訪れた。前回出会った路上の子どもたちのことが気にかかり、元気でいるか確かめたいと思っていたからだ。初めて“ストリートチルドレン”と呼ばれる子どもたちを目の当たりにした時は大きなショックを受けて、自分の無力さをうんと思い知らされたり、子どもたちを取り巻く現実のあまりの厳しさに打ちのめされたりもした。子どもたちの未来が私にはまったく見えなかったのだ。知り合うと、とても人なつっこくて優しい子どもたちだったので、余計にそれがつらかった。

 今回、再びカルカッタを訪れて、路上の子どもたちにも明るい未来があることを知った。それは、ハウラー駅(カルカッタで一番大きな駅で、たくさんの子どもたちが暮らしている)で偶然『ドンボスコ・アシャラヤム』という(カトリック系)NGOと出会ったことから始まる。

 このNGOはカルカッタでは大きな団体で、路上の子どもたちの一時滞在施設であるナイトシェルターと、路上暮らしをやめた子どもが最初に暮らすホーム、学校に通いながら暮らす家庭的なホーム、職業訓練所を兼ねたホームを持つ。また子どもがいつでも助けを求められるように、ハウラー駅をはじめ、ストリートチルドレンが大勢暮らしている場所に、“チャイルドライン”というブースを設置している。

 このNGOはハウラー駅の子どもたちにはよく知られていて、子どもたちも信頼しているようだった。

 ナイトシェルターには、自由に出入りできる。路上に戻りたい子は、自由に戻れる。一切強制はされない。あくまでも子どもたち自身が、路上生活をやめる意志を持つことが大切だと考えられているからだ。ここで過ごすことにより、徐々に路上生活を離れて定住することを考えさせる。

 ホームでは、神父やスタッフの愛を受けて、子どもたちはみんな幸せそうにのびのびと育っていた。子どもたちの神父への愛情表現も猛烈だ。みんな神父を本当の父親のように慕っていた。

 子どもたちは職業訓練を経て、仕事に就く。今までに何人か、一人立ちして家庭を持った子がいると聞いた。たいていの子は、一人立ちして実家に戻るという。家族とのつながりを維持させているところが、アシャラヤムの特徴的な部分でもある。ドゥルガ・プージャ(カルカッタ最大の祭り)の間は、家族のいる子は実家に帰る。

 自立して自分の家庭を持った子がいると知って、路上に出てしまった子どもにも未来はあるのだと、希望を持つことができた。本人の強い意志が必要だが。前回は厳しい生活をしている子どもたちしか知らなかったので、今回の訪問のおかげで、私はカルカッタに希望を見い出すことができた。

 ホームの子どもたちの明るい表情やしっかりした態度を見ていると、彼らが路上で暮らしていたことを忘れてしまう。16歳の少年と何気ない会話をしていた時、「ボクだってストリートチルドレンだったんだよ」と言われて、ハッとしたことがあった。私には彼らが路上生活をしていた事実を忘れられたとしても、子どもたち本人には決して忘れることなどできない過去であることを、思い知らされたこともあった。

 ホームで13歳の少年と出会った。尋ねてみても、彼は生まれ故郷や家族のことを話そうとはしなかった。そんな彼が、家族のことをぽつりぽつりと話してくれたことがあった。父親の暴力が原因で5歳の時に家を出た。幼い時に家を出たため、今家族がどこにいるのか、彼は知らなかった。ドゥルガ・プージャの休日にも、彼は家に帰れないのだ。彼は人生の半分以上を、アシャラヤムで過ごしてきた。家族と一緒だったのはたった5年だけで、しかもその短い期間につらい仕打ちを受けてきた。子どもは生まれた時から親に愛されたいと願うものだと思う。一番愛されたい親から愛情ではなく暴力を受けたという事実は、私が思う以上に彼の心を苦しめていると知った。家族のことは気にかかるが、家族を想う時、必ずつらい思いがよみがえってしまうのだろう。彼が話したがらない理由がわかった気がして、聞きだそうとしたことを申し訳なく思った。家族との思い出は、つらいことしかないのだろうか。そう思うと、とてもつらかった。

 居場所がわからなくなった今、家族と再会できる可能性は低い。もう会えないということは、彼の家族に対する記憶やイメージが幼い頃のまま変わることはないということだと思う。ホームにいる子どもたちはたいてい、家族と離れて暮らしてもその関係を維持している。ということは、親との接触を重ねていくことによって、いつかは親を理解し、認められる日が来るかもしれないということだ。その時はじめて過去を過去として許せるのだとしたら、家族と会えなくなってしまった子は、過去をそのままの状態で引きずってしまうのだろうか。

 次の日、すっかり元気を取り戻した彼は、「いつかオリッサ(彼の生まれ故郷)に行ってみたい」と話してくれた。つらい思いを抱えていても、家族を忘れることなどできないのだと思った。そして家族に会えなくても、つらい過去を自分の力で乗り越えられるくらい、子どもは強いのかもしれないとも思った。

 ある17歳の少年は、貧しさのために売られた過去を持っていた。再び実家に戻れたが、自分を売った母親を許せず家を出て、アシャラヤムに来た。淡々と話すその様子から、今はもう母親を許しているようだった。

 アシャラヤムに暮らしている子どもたちは全員、「元ストリートチルドレン」だ。明るく見えても、一人ひとりの心の奥には消せない過去があるのだった。それを思い知らされた。

 それでも路上生活をやめた彼らは、幸せそうに見えた。夢があった。「自分の家庭をもちたい」「たくさん働いて両親と大きな家に住みたい」。仕事をもって働いている子の横顔は、自信に満ちていて、りりしかった。それらは路上の子どもには見られないものだ。

 アシャラヤムのいいところは、子どもたちの意思を尊重し、子どもが主体となって生活しているところだ。ストリートにいる子どもたちを呼んで、ホームの子どもたちと一緒に様々なアクティビティを楽しむことを通して、路上生活をやめてホームへ来るよう誘うイベントがある。そのイベントも、ホームの子どもたちが主体となって作り上げていた。路上の子どもの気持ちを一番理解できるのは、「元ストリートチルドレン」だろう。路上の子どもたちの「今の生活をやめたい」という気持ちの芽を育て、施設で暮らす意志を持ってもらうことを大切にしている。この部分で、とても共感できた。

 しかし、あいかわらず路上暮らしを抜け出せない子がたくさんいるのも事実で、難しさを感じた。半年前にハウラー駅で出会った子たちの多くが、まだそこで同じように暮らしていた。私のことを覚えていてくれた子もいてうれしかったが、路上生活を抜け出せていないことに、手放しでは喜べない複雑な気持ちだった。NGOの存在を知っていても、なかなか路上生活をやめられないというのが現実だった。路上の自由さに魅力があるのだろう。子どもとNGOをつなぐパイプがもっと必要だと思った。

 うれしい再会もあった。アシャラヤムのホームの1つを訪れた時、前回知り合った子と偶然再会できたのだ。彼はすっかり落ち着いて、自信に満ちていた。会えたこともうれしかったが、彼が路上暮らしをやめて勉強をがんばっていることが、心からうれしかった。彼のようにまともな人生を歩み始める子がいるから、スタッフはあきらめずに仕事を続けられるのだと実感した。

 今回の訪問では、カルカッタのような大都市だけでなく、ある程度の規模の都市にもたくさんのストリートチルドレンがいることを知った。路上に出てくる子どもは、流れるようにどんどん増えているような気がして、怖くなった。すべての子どもが家庭の中で愛情をたっぷり受けて育ってほしいと、願わずにはいられない。路上でも施設でもなく。これ以上傷ついた子どもを生み出さないためにも、子どもが家庭で幸せに暮らせるようにする努力も、また大切だと強く感じた。

 私個人としては、もっと言葉を身につけて、子どもたちともっともっと話ができるようになりたいと思っている。そして「自分は無力だ」と決めつけるのはやめようと思った。無力だ、と言ってしまえば、何もせず、そこですべてが終わってしまうから。                                            (おおくら あやか・学生)    

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