2004メキシコツアー参加者による感想文(その2)

西村 紗百合(大学生)

 学生の間に何かをしたい!という思いを抱き、今年最後の大学生活の中、ツアーに参加する事を決意した。就職、国家試験・・・と次々に迫ってくる社会的な抑圧に押しつぶされそうになりながら、不安と焦りの毎日を過ごしていた私。そこから少しでも解放されたいという思いもあった。

 そんな私がメキシコの地で最初に感じたこと。「なんてきれいな国なのだろう」。まるでおもちゃ箱をひっくり返したような街。洋風な建物に、暖色系で彩られた壁が目に飛び込んできた。予想外の光景に圧倒されながらも、目を下に向けると、物乞いをしている子どもや、信号待ちしている車の窓ふきをしてお金をもらっている子どもを目にする。それがこの街の日常的な光景なのだということに、複雑な思いと、きれいな街とのギャップを感じた。

 ツアー参加者と子どもたちが、メキシコの広場でサッカーを楽しんでいる時、大きなお腹を抱えながらサッカーの応援をしている少女がいた。手にはシンナーを含ませたティッシュを持ち、それを何度も鼻に押し当てている。女の子は目が合うと私に近づき、興味深げに話しかけてきた。どこから来たの?何歳?名前は?私がそれらの質問に答えると、今度は自分のことを話してくれた。「私のお腹には赤ちゃんがいるのよ。触ってみる?」私はその子のお腹を触った。温かくて、ピンと張ったお腹には、新しい生命が存在していることを感じた。「もう7ヶ月になるのよ。この子の父親はいないの」。その少女はシンナーを吸っているせいか、うつろな目で、そしてまるで他人事のように淡々と話していた。私はジェスチャーで、シンナー吸ったらダメだよ!という動作をしたが、手に握られたティッシュを最後まで離すことはなかった。私はその少女は、愛情というより、日に日に大きくなるお腹の子への、拒絶感を抱いているように感じた。

 私はこのツアーを通して、たくさんの子どもたちと出会い、いろいろなNGOを訪問させていただいた中で、学んだことが2つある。

 ひとつは、「愛情」の大切さ。多感な時期に愛情を受けることなく育った彼らに信じられるものは、あるのだろうか。私はそんな疑問を抱きながら各NGO、施設をまわったのだが、どの施設の子どもたちも、元気で明るく生き生きしていた。そしてそこで感じたことは、「無償の愛」を与えることの大切さ。ありのままの子どもたちを一人の人間として愛する。そこには見返りを求めない本物の「愛」があった。NGO「カサ・ダヤ」の創設者であるビッキーさんは、「愛情をそそぐのが苦手な人は、自分自身が臆病で、恐怖心を持っているなど、自分の中に問題を抱えている人だ」とおっしゃっていた。今の日本は、まさにその状態なのではないだろうか。自分に自信のない親たちは、子どもには自分と同じような人生を送らせたくないという思いから、子どもに勉強を強いている。それが愛であると確信している。子どもを愛するにはまず自分を愛し、子どもが選ぶ道も愛せるだけの余裕をもたなければならないと思う。

 ふたつめは、出会うことの大切さ。私がもしこのツアーに参加しなかったとしたら、メキシコの子どもたちや、その子どもたちを支える大人、通訳をしてくださった方、そしてツアーを共にした仲間に出会うことはなかったと思う。私は、彼らにたくさんのパワーと自信をもらった。今思えば、日本で不安と焦りの毎日を送っていた私は、狭い視野でしか物事を見ていなかったように思う。さまざまな考えを持ち、さまざまな生活をしている彼らに出会うことで、自分がいかにちっぽけな存在だったのか、思い知らされた。

 そして、メキシコの子どもたちに出会うことで、ストリートチルドレンの問題が他人事ではないと実感した。ツアーへ行く前、テレビや本を通してストリートチルドレンについて認識していたが、自分とは別世界の存在としか感じていなかった。なんて悲惨な子どもたちなのだろう。ひどい世の中だ・・・。怒りはしたけれど、どこか他人事のような自分がいた。

 しかし、メキシコで出会ったみんなは、いつの間にか、私にとって大切な存在となっていた。大切な人のために自分に何ができるかを考えるのは、当然だろう。

 私は今、非力ながらも、卒論を通して多くの人にストリートチルドレンの現状を知ってもらいたいと思っている。そして、今度メキシコに行くときには、自分のパワーを彼らにあげられることができたらいいな、と思っている。 

松本 裕美(看護師

 8月21日から30日までの間、またメキシコシティで過ごすことができた。今回で6回目のメキシコ訪問になる。とはいっても、1回の訪問期間が1週間くらいなので、過ごした期間は短い。期間は短いのだけれど、この間に友だちができた。友だちや会いたい人たちに会いに行く、これがメキシコへ行く目的にもなっている。

 今年、これまでと比べて、路上に住む子どもは減少したように感じた。ひとつに多くのNGOスタッフの働きかけが、大きく影響しているのだろう。すごい!!

 そしてもうひとつは、貧困地域での子どもたちを対象としたNGO活動が増加していることで、予防につながっているのだろう。

 しかし、もう一方では、以前路上にいた子どもたちの何割かが、路上で成長し、大人になっているという現実もある。

 NGO「プロ・二―ニョス・デ・ラ・カジェ」のエデュケイターとまわったある地区で、20歳前後の若者が多く住んでいるところを見た。その広場には、雨をしのげるテントがずらりと並んでいた。テントの中にはマットレスが置いてあった。昼には配給車が来て、食べ物とジュースがもらえる。そして医療スタッフのような人たちが来て、ケガなどの手当てがされていた。

 援助は必要だ。でもこういった援助を続けるだけでは、どんどん大人になっていく子どもたちが、大人になる前に“自分の環境を変えよう!”と考えるチャンスを逃していくことになるだろう。大人になってしまった子どもたちは、多くのNGOの援助の対象に、もう入らない。

 今回、そうした子どもや若者たち=18歳以上の子や、いろいろな施設に行ったが出てきてしまい行き先がなくなった子も対象にするというNGOを、訪問することができた。その団体は教会の建物の一部を利用して、食事、衣服の提供などの物質的な援助のほか、心理的な支えや様々な活動を通しての教育的な介入などを、試みようとしている。今年の4月に活動を始めたばかりだと言うが、現状を考えると貴重な施設だ。

 人数は減ったとはいえ、依然として学校に一度も通うことなく、路上で過ごしている子どもたちは大勢いる。母親代わりという女性とテントで一緒に暮らしているトーニョという少年と、数人で絵を描いて過ごした時のことをよく覚えている。彼は自分をかたどった絵に、涙を流した自分自身の顔を描いた。泣きたいのだけれど何か精一杯おさえている−−付き添い目の前で見ていた私は、そんなふうに感じた。

 彼らの暮らしている周辺には、大人の路上生活者もいっぱいいて、なかには衰弱し、また腐った足を抱え、横たわっている人もいた。その状況を見ながら日々を過ごしている子どもたち・・・あってはならないことだ。

 この訪問の際、母親代わりの女性に、子どもたちを「プロ・ニーニョス」のデイ・センターに通わせてくれるという許可をもらえたので、おそらくトーニョたちはデイ・センターに通うようになっていると思う。心の中で涙を流し続けないでいいように、彼らの人生の選択肢がどんどん広がっていくことを、強く願う。

 2、3年ぶりに会うことができた友だちもいる。たくましい母になっていたり、相変わらずしっかりしていて、周囲の人をよく気づかっていたり、よく成長していたり、いつもやさしく迎えてくれたり、学びを与えてくれたり・・・老若男女いろいろな人、友だちに再会することができた。そのうちの1つの再会について、最後に書き残すことにする。

 オルガとは3年前、NGO「カサ・ダヤ」で初めて出会った。当時、彼女は地元のサッカーチームに入っていたので、そのときは彼女が出る練習試合を、何人かで見に行った。路上生活が長かった彼女は、活動的(ワイルド)な感じではあったが、周囲への気のつかい方、対応、自分の意見をしっかりと話す姿勢などからは、とても大人っぽい印象を受けた。彼女は、多くの友だちを路上で亡くしていた。生きていても死んでも、どちらでもいいと思っていた彼女が、子どもをうんだことにより、「この子のためにも生きるのだ」と決めた。

 この3年の間に、彼女は違う施設に移り、今は子どもとも別々に暮らしていた。久しぶりに会うことができたオルガ。彼女も私と会いたがっていてくれた。1度しか会っていないのに、もう何度か会っているような気がした。彼女も同じような気持ちを持っていたのかもしれない。

 メキシコへ到着した翌日、久々に会ったオルガは、やけに照れていた。その後も会えるはずだったが、オルガがいる施設で事件があり、会えなくなった。しかし、コーディネイターの工藤律子さんや現地に住む博田さんの協力によって、帰国する前日にオルガに再び会うことができた。会いにいった私たちの顔を見ると、オルガはいつものように照れくさそうな顔をした。いろいろなアクシデントできっとオルガは参っているだろうと、私は心配していた。「大変だったね、大丈夫?」と聞くと、しょんぼりとした表情をみせた。そのあと、彼女は施設の中を案内してくれた。みんなでブランチをとった後、近所に住む少年の家の庭で、彼らとイチジクや桃をもいだりして遊んだ。

 時間がたって慣れてきたのか、オルガは私の手を握り、妹のように甘える様子も見せた。年上の私よりもしっかりしているところがあるオルガ、そんな彼女が妹のように甘えるところを見て、私はホッとした。つらいときは甘えていい。甘えられる人がいる、ということは大切だ。話の中でオルガは、私のことを「Mi hermana(私の姉)」と言った。ほんの一時であっても、彼女のお姉さんになれたこと、彼女がそう思ってくれたことが、うれしかった。

 まだ、危うさが残るオルガ。彼女が子どもと一緒に穏やかに、そして楽しく生活していける日が早く来ることを願う。

戻る