2004メキシコツアー参加者による感想文(その1)

於曽能 亜美(高校生)


 初日から、夜なのに路上で物乞いをしている子どもが目につき、ホテルの前でも寝ている子どもが3人ほどいました。ホテルに一歩入れば、そこには高そうな花や高級なソファーがあるのに、彼らは食事もろくにとれないような生活をしているのかなぁ、と、さっそく子どもたちの生活について考えさせられました。そうして始まったこの旅行は、とても充実していて、あっという間に終わってしまった、という感じでした。

 私はこの旅で、「愛」というものについて考えさせられました。ママ・ビッキーさんや神父さんのお話を聞いて、同じ人間なのに、ある人は争いを起こしたり、憎しみを持っているのに、一方では神父さんたちのように、自分を犠牲にしてでも愛を持って子どもたちのために活動をしている。この世の中に、本当に自分が危険な目にあっても、現実から目をそらさずに、大切な人を守れる人はどのくらいいるのでしょう。そして、道端の子どもたちや貧しい子どもたちを、それほどに大切だと思える人はどれだけいるでしょうか。この旅に行くまでは、そんな人は本当に数少ないと思っていました。でも、この旅行で本物の「愛」を教えてもらった気がします。

 本当に愛を持っている人は、その人がどんな人であろうと、彼らが苦しんでいたり、悲しんでいたら守ってあげるのではないでしょうか。人は時に、人に対して冷たくなったり、理由もなく怒ってしまったり、罪も犯してしまうかもしれません。それでも、彼らを許し、すべてを受け入れ、守る。それができた時、人は本当の意味で人を愛せる、そんな気がします。そして、ストリートチルドレンはその愛の中に自分の居場所を見つけられる。

 ストリートチルドレンの発生原因は、家庭内の性的虐待や貧困などで、子どもによっては、それにより自分の存在理由がわからなくなったり、すべてが嫌になったりするのかもしれません。考えてみてください。本来一番信用できるはずの家族に虐待を受けたら、子どもは誰を信じればよいのでしょう。自分の必要性を見つけられなくなった子どもは、どこで、誰と生きていけばよいのでしょうか。家を出ても、知らない大人に暴力をふるわれたり、レイプされたりしたら、自分の生きている意味さえもわからなくなってしまうかもしれません。そのような、愛に飢えてしまった子どもを救うには、大きな、無償の愛情を与えるしかないと、私は思います。自分を愛してくれる人がいる、ということは、子どもが自分の必要性を見つけることにつながります。自分はいらない存在なんかではない、と思えるのです。

 路上にいる子どもたちと遊んだ時は、「ストリートチルドレン」も、私たちと同じで遊ぶのが大好きな子どもでした。「ストリートチルドレン」と言うと、物乞いをしたり、ガラスを踏む芸をして「お金をせびる子ども」と思っている大人もいるかもしれません。でも、彼らだって、まだ子どもなんです。偏見を持っている人も多いと思うし、実際にドラッグをやっていたりもするから、嫌だと思ってしまうかもしれません。でも、このような生活をしなくてはいけない理由がある、ということを忘れないでほしいです。そして、その原因には大人も関わっている、ということも。「そんな子ども、自分には関係ない」と言えるような人は、この世界で一人もいないと思います。そして、「彼らに何かしてあげたくても、何もできない」人も、きっといないでしょう。一人からでも、必ず何かしらできることはあるはずです。本当に彼らを守りたかったら、受身でいないで、積極的に自分から行動してほしいと思います。実際に自分で行動を始めて、今では多くの子どもたちを守り、支援している人もたくさんいます。彼らがよりよい生活をできるように、同じ人間として、一緒に愛にあふれた未来を作りあげたいです。

 いつか、この世界の人間みんなが、大きな無償の愛を持つことができるようになることを願っています。

クォン ミョンジャ(派遣社員

3年前の秋、私は日本社会から逃げ出したくなり、ひとりでメキシコを旅することにした。のんびり過ごしたいと思い、行き先はオアハカ州にした。州都オアハカの町の中央広場・ソカロ近くにある歩行者天国、マセドニオ・アルカラ通りを散歩するのが、私は好きだった。

そこではいつも、小学校低学年ぐらいの男の子と幼稚園に入るくらいの歳の小さな男の子が、ペアでアコーディオンを弾きながらお金を稼いでいた。初めは小さな兄弟がこづかいでも稼いでいるのかと思っていたが、後で彼らが「ストリートチルドレン」であることを知った。毎日お金をくれと近づかれると、せっかくの旅行気分も台無しじゃないかと、彼らをうっとうしく思った自分が、小さく感じた。パンやチョコぐらいあげてもよかったのではないかと、少し後悔した。なんだか、すっきりしない旅だった。それから私は、「ストリートチルドレン」に興味を持つようになった。これが、会のメキシコツアーに参加することにした理由だ。

 ツアーでは、1週間の間に様々な施設や路上で、たくさんの子どもたちと出会った。その中でも一番印象に残ったのは、「プロ・ニーニョス」のデイセンターで会った、猿顔の少年だ。ほかの子どもたちは、ボクと一緒に遊ぼうよと言わんばかりに私たちに近づいてきたが、その少年は私たちには興味なさげだった。私が参加したアクティビティには、その少年がいた。「自分の体で知らない部分はあるか」と言うエデュケイターの質問に、彼は「CORAZON(心臓、心)」と答えた。心臓が何の働きをするのかわからない、と言っていたが、本当は「愛を知らない」と言いたいのでないか、と私は思ってしまった。そしてお絵かきの時間、彼が何かを一生懸命描いているので、私はじっとみていた。矢の刺さったハートを、きれいな赤色に塗っていた。男の子がハートを描くなんて、かわいいなと思っていたが、そのハートにはふたつの目があり、大粒の涙が流れていた。その絵を見たときは、なんとも言えない気持ちになった。

 次の日、私はストリートエデュケイターと路上へ出かけた。すると、その猿顔の少年が公園にいた。どうして今日はデイセンターに行かないの?と聞くと、すぐにほかの子とケンカをしてしまうので、当分は施設に来ないでよく考えるよう、言われたらしい。目がかゆいのか、悲しいのか知らないが、彼の目はうるんでいた。

 公園を去るとき、私は彼にニコッと手を振ってみた。そしたら彼もニコッと笑ってくれた。二日間で彼の笑顔を見たのは、その一度だけだった。そのたった一度の笑顔で、私は少しほっとした。

彼だけではなく、今回のツアーで出会った子どもたちみんなに、がんばって生きてほしいと思う。そして、「幸せ」を感じられるような人間になってほしい。

 私たちが出会った子どもたち、施設の人たちの目についた子どもたちは、ストリートチルドレンの中でもまだ幸せな方なのかもしれない。早く自分を見つけてほしいと思っている子どもたちは、きっとまだたくさんいるのであろう。私たちのツアーはこれで終わったが、私の旅はこれからのような気がする。またいつかこのツアーに参加してみたいと、私は思う。

短い間だが、本当にたくさんの人たちとの「出会い」があった。ツアー参加者のみんな、ストリートチルドレンと呼ばれる子どもたち、シングルマザー、施設で働く人々、通訳してくださった方たち、そして工藤さんと篠田さん。このツアーでの「出会い」は、私の宝物だ。みんな、ありがとう!

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