サユリのメキシコ滞在記〜その1〜

 会の運営委員の中に、佐藤明子さんのほかにももう1人、メキシコシティに滞在している学生がいます。佐藤さんと同じ大学の友人・徳満小百合さんです。徳満さんは、国費留学でメキシコシティに行き、生活しています。これから、ストリートチルドレン支援NGOでボランティアをする佐藤さんとはまた違う視点で、メキシコでの生活をレポートしてくれます。

今私はメキシコの大学で勉強する一方で、メキシコ人の子ども達に日本語を教えるボランティアをしている。今回は「メキシコの子ども達」をストリートチルドレンとは別の視点から見て感じたことを報告したい。また日本語学校にとどまらず、生徒を通して、メキシコの学校教育や、一般のメキシコ人が教育についてどう感じているのかについて知る機会があったので、そのことも取り上げたいと思う。

私が手伝いをしているのは、メキシコシティにある中央学園という学校で、幼稚園児から中学生までが勉強している。子ども達は昼間普通の学校に行った後、週三回、二時間の授業を受けに、この学校に来るのだ。いわば塾のようなところである。といっても厳しい雰囲気はなく、少人数のアットホームな感じで授業が行なわれている。

 私は現在、週一回、上から2番目のクラスを担当しており、このクラスでは小学生二人と中学生一人が勉強している。とても小さなクラスである。日本語の学習期間や年齢よりも、個人の能力に合わせてクラス分けされている。授業では語彙、文法、漢字の読み書きにとどまらず、書道や工作をしたりすることもある。また、年間行事として学芸会や話し方大会なども行なっている。子ども達はとても人なつっこく、素直で無邪気である。勉強熱心で好奇心が強く、時にはこっちが驚くような質問をしてきたり、意外な単語を知っていたりするので、毎回新鮮な体験をさせてもらっている。

まだこのボランティアを始めて1ヵ月半だが、子どもと接するうえで大切だと感じたことがいくつかある。第一に子ども達と信頼関係を築くことが何よりも重要だということである。たとえ子どもが授業とは関係のない話を始めても、言いたいことは言わせることが重要ではないか、と感じている。もちろん限度はあるが、そういうふうに心を開いてくれた後の方が、授業がやりやすい。二つ目に大事なのは、子ども達の個性、能力の差を考慮に入れることである。同じクラスに能力の違う子どもがいるときは、授業がやりにくく、思い通りには行かない。しかし、皆のためになること、皆が退屈しない内容を事前に考えておくことや、その場のひらめきも、重要である。第三に、日本語の授業とはいえ、スペイン語の知識があることもやはり大切ある。子ども達は日本語を理解しても、スペイン語でその内容を確かめたがったり、スペイン語で質問したがったりするからだ。

私は中央学園での子ども達の姿しか知らないのだが、子ども達自身と話をしたり、他の人から話を聞いているうちに、彼らが予想以上に忙しい生活をしていることを知った。

私が驚いたのは、メキシコの子ども達はかなり学校に束縛されている、ということである。宿題の量も多い上、家からかなり遠い私立の学校に通う子も複数いる。私の生徒の一人は毎朝5時半に起きて、メキシコシティ北部にある家から南部にある学校まで通っていると言っていた。自分の意志とはいえ、そういった忙しい生活の中で、日本語学校にも来ているのだから大変である。日本のような進学塾の存在は聞いたことがないが、学年が上がるにつれて宿題の量が増え、ますます負担が増えるそうだ。子ども達は日々、進学・進級の問題やテスト、宿題に追われている。私立のバイリンガルの学校に行く子どもは、特にそうだと聞く。

この子ども達の家庭は、おそらく中層階級以上だと思われる。大半の子どもが政府の学校ではなく私立の学校に通い、中央学園のクラスだけでなく、他の習い事をしている子どももいる。子どもがやりたいといえば、様々な学校に通わせる余裕があるようである。また、私の知る限りでは、親たちは教育熱心である。別の日本語学校の学園長によれば、成績のことなどで親からのクレームが絶えず、日常的にその対応に追われているらしい。

一般的に政府の学校は腐敗が多く、教師の給料が低いこともあり、教師がまじめに授業をしない、と考えられている。また金を払った分だけ良い教育が受けられると考える人も多いようである。政府の学校と私立の学校では、そこまで質が違うのだろうか?私立の学校に行けば、必ず良い教育が受けられるのだろうか?私にはずっと公立の学校に通っていたというメキシコ人の友達がいるが、彼の学校は一般的に言われているような腐敗はなかったと言っていた。

 また、「金さえ払えば良い教育が受けられる」と言うのは金持ちの思い込みである部分も多く、私立の学校に子どもを入れることが何か特権的なことだと考えている人も、多いようである。もちろん私立の学校と一口に言っても、その中にもレベルの差があるらしい。また特に、私立大学はコネが強く就職に有利なため、親たちは子どもを私立の学校に入れたがるのだと聞いている。学校に行ける子ども、行けない子どもの間にも大きな差があるが、行ける子どもの間にも様々なレベルの差が存在するのだと感じている。そしてやはり、ここにも社会階級の差が反映されていたり、金持ちの特権意識が表れていることを痛感する。

 このテーマについて私が知っていることはまだ少ない。また新たな発見があれば報告したい。それから別の視点からもメキシコを考えたいと思っている。

(とくまん さゆり)

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