5月23日のチャリティライブに参加して
野口和恵
ストリートチルドレンという言葉を知ったのは、小学生のときだった。もう、どこの国だったか覚えていない。けれど、テレビで自分と同じくらいの年の子どもたちが路上で生活していること、女の子はレイプにあって妊娠してしまったりHIVに感染してしまうことを聞いて、私と生まれてきた国が違うだけでこの子たちがこんな目にあわなければならないのはおかしいと思った。子どもの今は何もできないけれど、大人になったらストリートチルドレンのために何かできるようにならないものか、と考えた。
それから一〇年で私は大人になったのに、子どもたちのことをずいぶんと忘れてしまっていた。去年、いろんな偶然が重なってブラジルに行く機会を得た。目的はスラムの住民組織の見学だったが、半日サンパウロの中心を歩いてストリートチルドレンを目にした。車の窓ガラスをふくためのボロ布をもった三人の男の子。見た目からすると年は少しずつ違っているようで、年長らしい子が猛スピードで走る車の流れを、冷静な鋭い目で追っていた。
その顔を見たとき私は、彼らが到底踏みこめない世界に生きているように感じた。言葉の違いとか、危険を侵して彼らに近づく覚悟があるかという問題以前に、年に不相応な目をしている彼らの内はどうなっているのか、私には全く想像できなかった。会ったことのない相手にただ同情していた自分の無知、無力を思い知ったものの、もっと子どもたちのことを知りたくなった私は、ストリートチルドレンを考える会のチャリティライブでは大きなことを学ぶことができた。
メキシコシティを撮った映像の中で「みんな僕らのことゴミだと思っているんだ」と、ある男の子が口にしていたことに、ショックを受けた。メキシコに限らず、自分は人よりもマイナスな人間だと思っている子は日本にもたくさんいる。実際に私も、何人かのそうした子たちとかかわった時期があった。けれどその子たちもビデオの少年のように激しい言葉で気持ちを吐き出すことは、ほとんどなかった。むしろ、みんな自分の傷ついた心を人に見せるのをとても怖がっていた。そして、絵を描いたりギターを弾いたりと何かに熱中することで自分自身の心の暗い部分を直視しないように努めていた。
けれど、ストリートチルドレンたちは二十四時間ゴミとして扱われ、「ゴミだと思われている」と人に言えるくらいたくましくならざるを得ないか、感情を麻痺させられてしまうのだろう、と思った。ブラジルで数時間会話をした現地に住む日本人たちも、あきらかに子どもたちをゴミと思っているような物の言い方だった。物乞いがうっとうしい、何をされるかわかったものじゃない、施設に入れてやったって、どうせまともな暮らしができなくて逃げ出すんだから無駄だと。
私は、施設から逃げ出してしまう子どもがいるのは、実態が収容所のような施設の場合か、子どもがひどい麻薬中毒に陥っている場合だろうと考えていた。だからライブの中で紹介された施設には、清潔そうな部屋があり、やさしそうなスタッフがいて、ここなら子どもたちのいい居場所になるだろうと思った。けれど工藤さんは、そこからも路上に戻る子どもたちがたくさんいることを話して、教えてくれた。子どもたちに対して受け入れるスタッフの数があまりに少なすぎる、本当は子どもの数だけスタッフが必要なのだと。
日本で何でもそろっている暮らしをしてきた私は、何が一番重要で、得がたいものなのかをわかっていなかった。一目でわかる衣食住の不足に気をとられ、清潔な服と住むところがあり、おなかがいっぱいになって身を危険にさらすことがなくなれば、子どもたちの心の大方は回復すると思っていた。けれど、それは大きなまちがいだった。私には当たり前になっていた無条件の愛情を注いでくれる親。それこそが、子どもたちに欠けていて、一番必要としているのに、一番手に入れるのが難しいものだと知った。
ストリートチルドレンをめぐる環境の厳しさは、想像をはるかに越えていたけれど、その中でも子どもたちはきれいな魂を持った まま生きていることも知った。
施設を訪問した日本の中学生の映像で、女の子二人は最初、「路上で生活してみたいと思う?」と質問されて「危険だし」「便利な生活に慣れてしまっているから」と首を横に振っていた。けれど何日か後の映像では、「路上にもどりたい」という子の気持ちを「わかる」と言っていた。「みんな助け合って生きている気がするから」、と。工藤さんの著書の中にも、深夜に病気になった仲間を気遣う少年たちのことが書かれている。誰もが幾度となく人間は助け合って生きていくんだよ、と親や学校の先生から言われてきただろう。けれど、女の子たちがわかると言ったのは、日本で「助け合って生きている」と実感することが乏しくなっているせいなのかもしれない。
オルガという少女は母親に捨てられて継母のいじめにあった。その挙句にレイプされて妊娠した子どもを生んだが、子どもがかわいくて、子どものために自分自身が変わったという。親の愛情を受けずに育った子どもは大人になってもわが子を愛せない、という説が日本で横行しているけれど、スタートがどうであれ人間は明るい道を見つけ出せることを、彼女はちゃんと証明してくれていると思う。
ライブに参加してから、ようやくストリートチルドレンについて考える入り口に立てたかなという気がしている。工藤さんたちには、これからも子どもたちの弱さ、たくましさ、やさしさを伝えつづけてほしい。それによってストリートチルドレンはゴミではなく、一人の名前と心を持った人間として見られるようになっていくと、私は思っている。
(のぐち かずえ)