会員・工藤律子
米山さんは、約7年前から、ウランバートルの路上(マンホール)に暮らす子どもたちに関わっているという。そもそも、ウランバートルを首都とするモンゴルは、1991年までソ連に属する社会主義地域だった。それが、ソ連崩壊とともに独立し、突然市場経済に組み込まれることとなった。以後、路上に「ストリートチルドレン」が増えはじめ、特に社会主義時代に築かれた産業や制度が完全に崩壊した1990年代後半になって、その数は急増したという。
最初に見た20分程のビデオでは、まずそうしたモンゴルの、ここ十数年間の状況変化を知ることができた。
ソ連時代、国家の方針として羊毛産業が唯一の産業として奨励され、草原地域では遊牧生活が続いてきたこの国では、ソ連崩壊後、お金をそれほど持っていなくても最低限の物だけは手に入る社会主義的な物流体制が壊れ、多くの職場や社会福祉(無料の医療や教育、保育など)もなくなり、人々は仕事を失ったり、食料や生活品の入手に困ることになった。現在、食料品に関しては、肉以外、主要(ほとんど唯一ともいえる)食品である乳製品ですら、大半が輸入依存だという。
そんななか、市場経済の中で生きていくためには街へ行ったほうがいい、と考える人が増え、いつしか「唯一の街」であるウランバートルは、国全体の人口の約半分にあたる、110万人を抱える都市になった。
都市に来た人々は、しかし、実際にはそこにも十分な生活の糧、就業の機会はないことに気づく。そのため、隣国からの密輸に携わったり、その場しのぎの商売を始めたりすることになった。そのなかに、「黒いサンタ」と呼ばれる、石炭輸送列車から石炭を盗み出して売る人々がいる。
ウランバートルは、真夏(6〜8月)には日中30度近い暑さになるが、真冬(1〜2月)は零下40度以下と、寒さが厳しい。暖房は、石炭を使った火力発電所で沸かした熱湯を、地下に走るパイプラインで家々に運んで供給している。その火力発電所に列車で運ばれてくる石炭を、大勢の貧しいおとなや子どもが、盗んでは、街で売る。
石炭列車は、不定期にやってくる。「黒いサンタ」たちは線路脇で、それをじっと待ち続ける。そして、発電所の手前で列車がスピードを落とす5分少々の時間を使って、一気に貨物車の高い荷台によじ登り、山積みになっている石炭の塊を線路脇へと投げ降ろす。子どもには特に危険な仕事だ。たまに、その「盗人」たちを捕まえにやってくる警官との追いかけっこになる。逃げる途中で貨物車の上から転落死した少年もいるという。未成年は捕まるとしばらく収容されて注意を受け、すぐに釈放されるが、おとなは2週間拘留される。
捕まることなく無事に降ろし終えた石炭は、後から拾って大きな袋に詰める。そして、それを街まで担いで歩き、売る。真っ黒になりながら袋を担ぐその姿から、「黒いサンタ」の名がついたようだ。おとななら1日に100キロの袋を2つ、子どもなら20〜50キロの袋を2つくらい売りに行くという。大変な重労働だ。100キロで約200円相当の稼ぎになるというが、これは肉を1キロを買えるだけの金額だそうで、大人数の家族が十分な生活を維持していくには足りない。それでもスラム一地区で、約150人のおとなと子どもが、この仕事をしているというのは、それだけ職がない証拠だろう。
しかしこの仕事は、暖房が必要な冬場にしかできない。「だから夏は、薪用の木を拾って歩くんだよ」と、「黒いサンタ」の一人、ある母親は話した。母子家庭である彼女の家では、通学年齢の子どもたちも皆、学校へは行かずに同じ仕事をしている。社会主義政権下では、貧しくとも何とか生活は成り立ち、誰もが学校に無料で通っていたわけだから、皮肉な話だ。それでもおとなは、「(社会主義時代より)今の方が政府に搾取されず、自由でいい」と言うらしいが、なかには昔を懐かしがる人もいるという。
「黒いサンタ」をする母親の今の希望は、第一に「生活の安定」、次に「子どもの健康」だ。そんな願いを胸に、毎日危険で苛酷な仕事に取り組む母子。彼らの商売仲間の中には、親もとを離れて暮らす「マンホール暮らし」の子どもたちもいる。
日本人によく似たその顔を真っ黒にして働き、束の間の休息時に友だちと楽しそうに雑談をする彼らの姿をみて、私は思わず最近本で読んだ、敗戦直後の東京の路上にいた戦争孤児たちのことを思い出した。
●ビデオ「碧い空」
「マンホールに暮らす子どもたち」はほかの国にもいるが、ウランバートルの場合、「マンホール」の種類が違う。ここのマンホールは、暖房用の熱湯を通すパンプラインが走る地下の穴ぐらだ。確かに零下40度の時には、こんな所でしか、この街で「ストリートチルドレン」でいるのは無理だろう。が、そこで万が一パイプが破裂でもしたら、みんな一貫の終わりだ。
そんな子どもたちを、ウランバートル警察は「保護」するために、毎夜街を巡回している。昼間は盗みやゴミあさりといった「仕事」をしていて、マンホールの「わが家」を留守にしている子どもたちを見つけるには、夜中に巡回するしかないという。ビデオの中では、午前3時、マンホールにいる所を見つけられた子どもたちが、車に乗せられ、ウランバートル警察「マンホールチルドレン・アドレス課」の一時保護施設へ連れてこられていた。毎晩、50〜100人の子どもたちがそこへ来るという。そして、家族がいる子どもは実家へ送り返され、いない子どもは政府やNGOが運営する施設へ入る。行き先が決まるまでの間は一時保護施設で待機するが、盗みや売買春を通して生き抜く術を覚えてしまった子どもたちの中には、施設を脱走してマンホールに帰る子も多いらしい。また、一時保護施設で仲間と再会、あるいは家出してはぐれた兄弟と再会する子もたくさんいるという。1997年以降急増しているというマンホール暮らしの子どもたちの中には、かなりの「ベテラン」もいるようだ。
こうした子どもたちの多くは、私がよく知るメキシコシティやほかのアジアの国々の場合と同様に、孤児ではなく、家庭での虐待を逃れて、自ら家出をしてきた子どもだという。だから、たとえ施設から実家へ帰されても、すぐにまたマンホールに戻ってしまう子どももかなりいるらしい。急激な市場経済化の波に呑み込まれ、途方にくれるおとなたちが、家庭崩壊を引き起こし、子どもたちを路上へと追いやる傾向は、今も一応社会主義体制を守ってはいるものの「開放」の進む中国やベトナムでも、年々強まっている。若者やおとな世代はともかく、少なくとも幼い子どもたちにとっては、社会主義体制が根づいていた時代の方が安心して暮らせる環境だったのではないかと思う。社会主義キューバに、家族ぐるみでとても親しくしている少年(8歳)がいるが、彼やその友人たちは、少なくとも、親の離婚や再婚問題が多いお国柄にも関わらず、家庭で平穏に暮らせている。
このビデオの中で、子どもたちは、自分の希望を常に、具体的な職業や「とにかく仕事がほしい」という言い方で表していた。たとえ教育を受けても、その後に安定した生活の道筋が見えない今のモンゴルでは、学校よりもまず職なのだろう。現在と、将来の生活への大きな不安を取り除くことが、子どもたちの未来を支えるための第一歩なのかもしれない。
●米山さんの話 その1「お金がないと生活できないかも」という不安
マンホールで暮らしているのは、子どもたちだけではなく、家族やおとなであることも多い。その事実は、社会主義崩壊後の生活基盤の消失の深刻さを物語っているようだ。おまけに、米山さんによると近年、7000年近く続けてきた遊牧生活を捨てて街へ移住してくる遊牧民が増えているという。市場経済化が進むなか、「市場経済における成功者」たちによる断片的な情報の普及が、本来現金にはほとんど頼らずに生活が成り立っていた人々の間にまで、「お金がないとこの先生活できないかも」という不安を抱かせているらしい。ところが、そうした遊牧民の人々が国内各地からウランバートルにやってきても、結局は仕事も住む家も手に入らず、あげくの果てにマンホールに暮らすようになるという。そのために、もともとマンホールに暮らしていた子どもたちが押し出されているというから大変だ。居場所をなくした子どもたちは、アパートの階段など、少しでも暖かい場所を探して寝ているらしい。
そんな厳しい「サバイバル合戦」の下、マンホールに暮らす子どもたちの中には、ただ盗みをしたりゴミあさりをするのではなく、組織的なリサイクル缶収集や洗車業を始めるグループも生まれているらしい。が、一方で、ますます生活が厳しくなり、売買春に染まっていく、あるいはひどい栄養失調になる子どもも増えているという。
米山さんは、子どもたちの抱える問題の中で特に深刻な点として、「1〜2%しか教育を受けたことがない」「10歳以上の少女の大半が性病にかかっている」「成長障害のために、実年齢よりもからだが小さい」「衛生状態が悪い環境で暮らしているために、結核やぜんそくなどの病気にかかる子どもが多い。なかには心身の障害を抱える子どももいる」といったことを挙げてくれた。
この現状に対し、政府やNGOによって実施されている支援活動の中には、施設をつくる、そのなかで職業訓練を提供することに力を入れる、といったものがあるという。政府はウランバートル警察の一部として、現在、ビデオにも登場した「マンホールチルドレン・アドレス課」を設置し、そこを通して保護活動、一時保護施設の運営、家庭へ帰す努力、NGO施設へ住まわせること、自前の定住施設(900人前後のキャパシティ)へ住まわせること、を進めている。が、前にも述べたように、路上暮らしの子どもたちは次第に現状に慣れ、荒れた家庭に帰るよりも仲間とマンホールで暮らすことを好むようになっているため、施設や家庭に定着する子どもは日に日に減っているという。
米山さんは、こうした現実を前に今、「Re・Earth」の活動を通して、これまでのようなビデオ制作による啓蒙活動(小・中学校などでビデオをみてもらい、モンゴルの子どもたちへの手紙を書いてもらってレター交換をしたりもしている)や現地訪問等に加え、ウランバートルで本格的な「作業所」づくりを始めている。「作業所」とは、従来の施設での「職業訓練」とは異なり、職となりえる技術を教えるとの同時に、生産販売活動もやってしまおう、という場所だ。米山さんは考える。職業訓練をするだけでは、結局その後、身につけた技術を生かせる場が見つからず、仕事や生活に結びつかないので、子どもたちの役に立たない。だから、教えるだけでなく、生産販売もして、収益を還元していくことで、子どもたちに自分の力で生活できるという実感と誇りをもってもらおう。そして、マンホール暮らしではない、尊厳ある自立を手にしてもらおう。
米山さんたちが企画している「作業所」では、パソコン教室、手芸教室、音楽教室などが開かれる予定だ。パソコンで仕事ができるようになれば、モンゴルではちょっとしたエリート職だし、音楽教室は「歌が大好きな子どもたちの好みと才能を生かして、身ひとつでできる仕事」として、いい方法だと考えたという。ゆくゆくは、そこで「子ども合唱団」をつくるそうだ。かつて、メキシコシティの地下鉄車内で歌をうたって食費をかせいでいた私としては、とても納得するアイディア!?
路上の子どもたちの境遇に同情しながらも、心ある中間層の人たち以外は皆、自分も貧しく、子どもたちに構っている余裕のない市民の多いウランバートル。その街に生きる子どもたちの未来をよりよいものにするためには、モンゴルの人々自身が努力することやモンゴル政府が根本的な社会・経済構造の建て直しをはかることが必要であることは無論だが、それ以上に必要なことがほかにある、と米山さんは訴える。
「私たち先進国の人間は、自分たちの贅沢な暮らしのために、モンゴル(などの第三世界)の人々を(間接的で気づいていないことが多いが)犠牲にしてきました。今モンゴルが抱える問題の背景にある根本的な問題(世界で変わらず存在しつづける貧富の格差)の解決のためには、まず何よりも先進国の人間の生活意識の変革が必要です」
6、7歳から15歳前後、最近では2、3歳といった幼い子どもたちまでが、路上に出てきているというモンゴル。マンホールの中では、そこに暮らすおとなや年長の子どもが、そうした幼い子どもたちの面倒をみているという。第三世界には、自分自身もぎりぎりの生活を送っているのに、周りの子ども、人々のことを気づかう人間が、私たちの社会よりも大勢いる。贅沢に慣れると、人の苦しみや痛みに鈍感になるということか。
「先進国の人間の生活意識の変革」。これは、私も常に、そして日増しに、より強く必要性を感じていることだ。第三世界の子どもたちはもちろん、日本の、世界の子どもたちの未来は、私たち自身がこの飽食の世の価値観を見直す気にならないと、明るくならない。
(くどう りつこ/ジャーナリスト)