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メキシコ体験記PART2 ※昨年夏に載せた「メキシコ体験記」の続きです。 会員・松本 裕美 |
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昨年の夏、7月末から8月初旬にかけて私はメキシコシティへ行った。あらかじめ工藤律子さんにコーディネートをしてもらい、5つの施設とスラムへ行くことができた。 滞在期間の前半は、ストリートチルドレンのためのNGO施設へ行き、ストリートエデュケーターと共に路上に出て子どもたちを訪ね歩いたり、デイケアセンターで子どもたちとアクティビティをしたり、HIVプログラムを体験したり、ストリート暮らしで身についてしまったドラッグ中毒を克服する施設や、ストリート生活で障害を抱えた子どもたちの家へ行った。(PART 1 の内容) |
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後半はまず、幼くして子どもを抱えた少女たちやその妹姪たちが暮らす家「CASA DAYA」へ行き、1泊させてもらった。DAYAを訪ねたのはこれで4回目になる。まだ建設途中であるDAYAの建物は前回訪問した時に比べ、だいぶ変わってきていた。以前は1フロアにベッドがいっぱい並んでいたが、親子ごとにプライベートスペースを得られるようにする計画が進んでおり、1ベッドずつ壁で仕切られプライバシーが確保できるように工事が行われていた。今の場所にDAYAが家を構えてから3年程経つ。毎年、少しずつだが創設者のビッキーさんが思い描く環境の家に近づいてきている。少女たちにとって心安らぐ家、子どもたちが伸び伸びと育っていける家に更になっていったらいいな、と次にまた訪ねるときまでの楽しみでもある。 私がスタディーツアーを通じてDAYAを初めて訪ねたのは4年前になる。そのとき出会った少女たちはまだあどけない表情をしていて、子どもを抱きかかえる姿はぎこちなく、「子どもが子どもを抱いている」のだから当然なのだろうが、危なっかしい印象があった。 その後、1年毎に彼女たちに会うたびに少しずつではあるが顔見知りになっていった。そして、ダンスや言葉(スペイン語)、料理、優しさ、前進すること、などを彼女たちから教わっていく内に、友達になっていった子もいる。毎年私がDAYAに行こうと思うのは、その友達に会いたいからという理由に、いつのまにか変わっていっている。 4年の月日がたった今、少女たちの顔からはしっかりとした、また優しい母親の表情が多くみられるようになっていた。穏やかに、慣れた手つきでほかの子どもをあやしたり、新しくきたまだ慣れていないお母さんにアドバイスをしたりする光景が多々みられた。無条件に愛されている彼女たちの子どもたちもすくすくとたくましく育っていてとても嬉しかった。その子供たちと遊ぶのも楽しみのひとつだ。 一方、顔見知りの少女たちのうちの何人かは、さまざまな理由でDAYAを出て行っていた事を知った。理由には、結婚、他の施設へ行く、家に戻る、親が連れて帰る、仲間とうまくいかずに出る、元の生活に近い状態に戻る、などがある。 私が仲良くなった少女の一人は、恋人との生活を始めるため、子どもを連れてDAYAを出たと聞いた。今回会うことが出来なかったが、また会いたい。 安全で幸せな選択ならとても喜ばしいが、再び路上に戻って行った少女もいた。彼女自身の人生や子どもの人生はどうなるのだろう。決してよい選択ではないとわかってはいるだろうが、それでもなお元の生活に戻るというのは彼女の心に今も根深い何かがあり、今それを癒してくれるものを路上にしか見つけられないからなのだろうか。 DAYA を訪ねたその日、彼女も子どもと妹、路上暮らしの10代の親子とともにDAYAに来ていた。顔が少しほっそりとしていて、元気がなかった。「DAYAを出たからもう学校には行ってない」と言い、少しうつむいた彼女を見ていて、DAYAに戻って来たい気持ちもあるのだろうなと感じた。自分自身と子どもにとって最良の選択を彼女がすることを、切に願う。 次の日、工藤律子さんの本「仲間と誇りと夢と」で紹介されているスラム(ドス・デ・オクトゥーブレ)へ連れて行ってもらった。そこで私は本の主人公・マヌエルさんの家に泊めてもらった。 地下鉄の駅からバスにのり、山の中へと入っていく。道程バスの窓越しからは、ビルや舗装された建物は徐々に消えていき、ブロックやトタンを使って作られた家が多くみられるようになっていった。 スラムに到着してみると、想像していた環境とは違い、道はコンクリートで舗装されており、建物もブロック塀ではあるがしっかりとしているものがほとんどだった。最初は掘っ立て小屋だった家を自分たちで力を合わせてどんどん建て替え、現在にいたっていると聞いた。マヌエルさんの家は2階建てでTVは各部屋にあり、何でも揃っていた。しかし、ドアがない家や、床はコンクリートのままでベッド、冷蔵庫、ガス、トイレのみがあるという簡素な家もあった。 決して裕福とはいえない環境ではあるが、近所の人たちは顔見知りで仲がよく、よく挨拶を交わし、急に他人の家におじゃましたり、近所のお店ではツケで買い物ができるなど、互いに助け合い暮らしていて、うらやましいと感じるところが多くあった。マヌエルさんたちとほんの少しの時間だが一緒にすごして、昔は日本にも(私の周りでも)こういう環境があったなと懐かしく、いとおしく思えた。 また、4年前にNGOスタッフと行ったことのあるスラムを思い出した。ストリートで暮らすエリカという少女と共に彼女の家に行ったのだ。ブロック塀にトタンで出来た屋根がある家がいくつかあった。そこは今のドス・デ・オクトゥーブレとは違って地域内での交流があまりなさそうだった。エリカはアルコール中毒症の父親からの暴力に耐えかねて家を出たのだが、もし地域の人々の間で交流があって互いに助け合える環境があったなら、何か違っていたということも考えられるのではないだろうか。スラムはスラムでも、そこにいる人たちがどう関わり合っていくかによって問題を回避したり、問題に立ち向かっていくことができる手立てになるのだと、マヌエルさんたちの築いてきた環境をみて考えた。 自分たちが住む場所を獲得するために長年にわたって権利を唱え、活動してきたマヌエルさんは今、子どもたちの世代が住むことができる地を確保するための活動をしていると言っていた。自分たちの環境に疑問を持ち、自分たちで解決策を考え、実行し続けられる強さはすごい。ドス・デ・オクトゥーブレに着いたとき、私は体調を崩し、悲惨な状態だったため、マヌエルさんたちと話すゆとりがあまりなかったのだが、次機会があったら、ぜひゆっくり話したい。 (まつもと ひろみ・看護師) |