カンボジアの首都プノンペンにあるNGO

「国境なき子どもたち」の少年たち“芸術で未来を切り開け!”

運営委員・工藤 律子

 カンボジアは長い内戦に終止符を打ち、新国家としてスタートしてから今年で10年を迎える。内戦による破壊は人々の生活基盤を奪い、外国の援助によって進んだ戦後復興は、都市と農村、あるいは都市内部の生活環境に大きな格差を生み出した。そこから来る矛盾が、プノンペンやタイ国境の町で、多くのストリートチルドレンを生み出している。

 去る12月、私はパートナーの篠田有史(フォトジャーナリスト)とともに、プノンペンのストリートチルドレンの取材をした。その成果は、来月発売の「週刊金曜日」カラーグラビアページで詳しく紹介するが、ここでは日本のNGO「国境なき子どもたち」がプノンペンで運営する「若者の家」での体験をお話ししよう。

 「国境なき子どもたち」は、名前でわかるように、あの「国境なき医師団」日本のいわば姉妹団体だ。経済的に貧しい国々のスラムや路上に暮らす子どもたちがよりよい未来へと歩めるよう、その成長の道のりを支える事業を展開している。現在の活動の中心は、カンボジア、ベトナム、フィリピンだ。

サムナン君

 カンボジアでは、タイ国境に近い町バッタンバンで長年活動し、そこで「若者の家」を運営しているが、今回訪ねたプノンペンの「家」は、そこの子どもたちのうち、プノンペンにしかない特殊な学校や職業訓練、職場に入ることを希望する子どものために、昨年9月に開設された。現在の住人は、19歳の少年2人と現地スタッフ1人だけだ。

 少年たちの名は、サムナンくんとピッチくん。二人とも今、プノンペン市内にある名門・王立美術学校の先生の指導を受ける、芸術家志望だ。私は今まで、ストリートチルドレンのための様々な職業訓練を見てきたが、ここまでしっかりと「芸術教育」を受けさせているのを見たのは初めてだし、本気でその道を生きようとしている子どもに会ったのも初めてだ。

 彼らはもちろん、最初から独自の作品で飯を食う「芸術家」を目指しているというよりは、まず伝統的な作品を中心に製作して、観光客相手に販売することを第一目的としている。が、美術が大好きなことは確かだから、あわよくば独特の作風を確立して、売れっ子芸術家になろうと思っていないとも限らない。
「絵が好きだし、力仕事には向いてないんだ」 そう話すサムナンくんは、油絵の筆を持つ姿がよく似合う、スリムで優しい顔つきの少年だ。内戦時代、タイ国境にある難民キャンプに住んでいた両親のあいだに生まれ、そこで育った。両親は、当時タイから野菜を仕入れては、カンボジア側で売る商売をしていたという。かなり景気がよかったらしい。 が、やがて彼らは離婚し、サムナンくんを含む4人のきょうだいは、母親と共にその実家があるバッタンバンに戻った。そこでの生活は貧しく、母親はイライラが募り、いつも上の子どもたちに辛くあたっていた。それを苦に、サムナンくんは9歳の時、一番上の兄と一緒に家を飛びだした。

 それから、彼の路上生活が始まった。しかも、兄とはすぐにはぐれてしまったため、一人で生き抜くはめになった。そのまま2年間、ストリートチルドレンを続けた。
「初めは寂しかったよ。寝るのはどこでも寝られたけど、食事にありつくのが大変だった。よく周りの大人に物乞いをさせられては、稼ぎを横取りされた。それが辛かった」

 そんな辛さを逃れるために11歳の時、通りかかったソーシァルワーカーの勧めで、バッタンバンにあるNGO施設に入った。そして1年前から、バッタンバンにある「若者の家」で職業訓練を受け始めた。
「路上にいる頃、何度か母さんが探しにきた。ボクをみつけると、こう言ったんだ。“なんで家出をしたの?帰ってきてよ”。信じられないだろ!だからボクは言った。“嫌だ。だって殴るじゃないか!”でも今なら何となく、母さんがなぜボクたちをいじめたのかわかる気がするよ。母さんはきっと急に貧しくなったことに耐えられなかったんだ」

 もう大人の年齢になった彼は、母親を恨むのではなく、その立場と気持ちを理解しようとしているようだ。

 彼のきょうだいは今、バッタンバンにあるNGO施設に暮らしている。母親は、子どもたちを施設に残したまま、タイへ行ってしまった。だから、サムナンくんにとって、訪ねるべき家族はもう、施設にしかいない。

「普通はみんなお正月には、故郷の家族のもとへ帰るんだけどね」

 この状況にはもう慣れた、といいながらも、その横顔は少し寂しげだった。

ピッチ君

 一方のピッチ(クメール語で「ダイヤモンド」の意!)くんは、絵画ではなく、木彫を習っている。カンボジア伝統の仏像彫刻は、観光客にも人気が高いので、将来は故郷バッタンバンに、木彫店を開きたいと考えている。

 ピッチくんの家は、非常に貧しい母子家庭だったため、長男の彼は14歳の時から、NGO施設に預けられていた。残りのきょうだい5人は今でも母親と暮らしているが、子育てに忙しい母に代わり、妹が家政婦として働いて、家計を支えているという。
「だから、早く一人前になって、家族を助けたい」

 彼が「若者の家」に来たのは1年前。それまでいた施設は、年齢の低い子どもを優先的に滞在させているうえ、自分の希望に沿った職業教育を提供してくれなかったため、移ってきた。
「前の施設でも木彫を習おうとして、地元の木彫店に住み込みで修行に行ったんだ。でも、そこでは木彫よりも雑用ばかりをさせられた。こっちへ来てからは、いろいろ勉強できて、仏像を彫ることが楽しくなったよ」

 サムナムくんに比べて色黒で、逞しい感じのピッチくん。とても無口で、仏像を彫る表情は繊細かつ真剣だ。顔の感じが、アンコール遺跡の仏像彫刻にどことなく似ている。

 二人の毎日は、朝6時の起床に始まる。朝食はカンボジア風に近所の小さな屋台で食べて、掃除をしてから学校へ行く。そして、夕方6時に帰宅すると、今度は「家」にやって来る大学出たての先生に、英語と国語(クメール語)を習う。サムナムくんは小学2年までしか学校へ通ったことがなく、ピッチくんは6年まで通って覚えたことをもう忘れてしまった。英語の授業を見学させてもらったが、かなり悪戦苦闘しているようだ。が、そのわりに、間違ってもおどおどする様子もなく、のんびり学んでいる。
「あまり放っておくとなまけ癖がつくので、こちらから声をかけて、将来何がしたいのか、今何をすべきなのか、常に考えさせるように努力しています。せっかく与えられたチャンスを生かして欲しいですからね」

 ここの世話役、セングリーさん(37歳)は、二人の様子を見ながら、そう話す。彼は大学卒業後の4年間、高校教師をした経験がある。また、ここへ来る前の4年間は、ストリートチルドレンを支援する別のNGOで、子どもたちの職業訓練を担当していた。だから、こうした子どもたちの気質や指導法をよく理解しているのだろう。

 休日には「テレビをみたり、昼寝したりするのが好き」という少年たち。サッカーやダンスも好きだと話すあたりは、日本の子どもたちと余り変わらない。が、もしかしたら、彫刻や油絵で身をたてようという子どもは今、日本にはほとんどいないかもしれない。

 子どもの頃から絵が好きで、小・中・高と油絵をやっていた私としては、彼らにはぜひ、みやげ物としての絵画や木彫だけでなく、独創的な芸術作品を生み出す画家や彫刻家になってほしいものだ。

☆「国境なき子どもたち」に興味のある方は、こちらのホームページをご覧ください。
www.knk.or.jp

(くどう りつこ/ジャーナリスト)

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