ボランティアをして
久野 佐智子
ストリートチルドレンという言葉が日本で知れ渡るようになってからもう何年も経つのですが、その言葉が使われるときはたいてい彼らはどういうところでどういった生活をしているかという説明がついています。なぜなら日本にストリートチルドレンはなく、メディアなどの媒介を通さなくては彼らの生活を知る機会がないからです。私も新聞やテレビによって彼らの存在を知り、そうやっていくうちに実際に何かをしたいと思うようになりストリートチルドレンが数多くいるラテンアメリカの主な言語あるスペイン語を学び始めました。そして、今回メキシコへの留学をきっかけに少しの期間でしたが実際に彼らと時間を共にし、ほんの少し彼らの声に耳を傾ける機会を得ました。
私はストリートチルドレンを考える会の工藤さんと東山さんを通して紹介して頂いた“mama(ママ)”という、私が滞在していたメキシコ第二の都市グアダラハラのストリートチルドレンを支援している組織が運営する小学校でボランティアをしました。そこでは、午前中にメキシコ人(メスティソ)が、そして午後からは原住民の子供らが勉強しており、私は主に後者の勉強が遅れている子供の補習をしました。小学校といっても、下は小学生の実年齢である六歳から上は二十歳ぐらいの子までいました。年齢に差がある理由は、彼らは生活のために働かねばならず、必ずしも就学年齢に学校へ行けるわけではないからです。学力も年齢とは関係なく平均的に低かったです。彼らの生活の基盤は働くことだと考えれば無理もありません。この学校の生徒たちの多くは、働いているときにボランティアの人に声を掛けられたか友達の紹介でこの学校を知り通っていました。ですからこの学校を紹介してくれる人やボランティアに出会わなければ学校を知る機会はないのです。実際はあってはならないことですが、現実問題として、この学校を知る機会がないために就学のチャンスを逃してしまっている子たちもいることでしょう。
メキシコは他のラテンアメリカの国々同様、大変貧富の差が激しい国の一つです。それなので私がボランティアを通して知り合った、道でガムやお菓子を売ったりしながら生活をしているストリートチルドレンと呼ばれる子供たちもいれば、日本の子供たちやそれ以上の親の庇護の下、欲しいものは何でも手に入り当たり前のように学校へ通う裕福な子供たちもいます。メキシコは資本主義国家なのですがこの国の社会構造上、貧しい者は一生貧しく、お金持ちの者は生涯豊かな生活が固定されており、それはまず変わることはありません。日本の場合、例え貧しくても努力次第で生活を向上させることができますが、メキシコではその希望を持つことが大変難しいのです。そしてもっと悪いことに、裕福な層の人々は自分たちが彼らの富を搾取しているにも関わらず、一般的に貧しい人々に対して援助を考えるどころか見下すようなところがあることです。物乞いをする老人やお金をせがむ子らに小銭をあげる人はいますが、彼らの生活を本気で心配し、長い目で自立を支援しようと考える人はあまりいません。政治家も富裕層の出身ですから、悲しいことに政府も貧困層の声になかなか耳を傾けようとしないのが実状です。そんな中、貧しい人々は自分らで必死に働いているのです。私がボランティアをしていた学校で知り合った生徒たちの親は、手工芸品を作ってそれを人通りの多い広場や道で売っていました。しかし皆生活は厳しく、子供の得るわずかな収入も大切な生活費の一部となっていました。ある子は早朝からお手伝いさんとして働き、またある子は市場で服を売っていました。そして、その合間に学校へ行くのです。他にも街中を見渡せば大きな道路のいたるところに、赤信号で止まっている車のフロントガラスを拭いている子や何か芸をしてお金を集めている子がたくさんいました。
メキシコはカトリック教の国で、その信者は国民の九〇%以上にもなると言われています。貧しい人ほど信仰深く、それもまた貧困の問題の一つでもあるのです。というのも、カトリック教では避妊が禁じられており、貧困層の間ではだいたい十人前後兄弟がいるのです。信仰深いカトリック教徒の中でも中流から上流家庭の間では家族計画が一般的に浸透し一人っ子も珍しくなく、平均はだいたいニ〜三人です。彼らも正しい知識を身につけ、これからの現実を考える必要があるでしょう。
メキシコの滞在を通し、そしてボランティアを通していろいろな人と出会い、いろいろなことを実際に見たり聞いたりする機会に恵まれました。私の体験で得た知識などは氷山の一角に過ぎないでしょうが、そういった中で改めて感じたのがストリートチルドレンに対するボランティアの重要さです。学校に行くお金のない貧しい家庭の子供たちが学校に通えるということは、彼らにどれだけの夢と希望を与えられることでしょう。読み書きや勉強をするだけでなく、同年代の友達と話したり遊んだりする安らぎの時間、そして集団生活のマナーを学ぶ場でもあります。学校を通して子供だけではなく親も正しい知識を身につけられます。学校以前に道で寝ていたり、無人の廃墟に寝泊りする子らを保護し、社会へ適応できるように導くのもボランテ ィアの仕事です。彼らはそのままでは何の保護も保証もない一人一人のストリートチルドレンに将来の希望と可能性を広げさせようと日々努力しています。今、いろいろな困難と立ち向かいながらもしっかりと活動しているボランティアを見て、私たちができること、日本からできる支援や日本人だからできることを改めて考えさせられました。それは決して物質的なことだけでなく、まずは現実を知りそれを真剣に受け止めて考えることから始まります。物をせがむ子供にそのときだけやるような一時的な助けではなく、彼らが将来社会の一員として独立できるようにするのが本当に求められている支援です。それは長く険しい道のりでしょうが根元から変わっていくに違いありません。
(くの さちこ・学生)