私の「南アフリカ修学旅行」
会員・河野明佳
南アフリカ共和国は、私がはじめて行った外国です。父が、中学卒業祝いに、と仕事のついでに連れて行ってくれました。三年前のことです。南アフリカ共和国は94年まで人種隔離政策(アパルトヘイト)下にありました。政策が廃止されて何年もたちますが、社会が根本から変わるには時間がかかります。いまだ黒人の多くは極貧で、犯罪も絶えません。当時の私は、話を聞いたことがあっても、目の前にしてみる現実があまりにも私の暮らす日本とかけ離れていたので、大きな衝撃を受けました。ストリートチルドレンをどう見ていいのかわからず、目があわないように下を向いて歩いたのを覚えています。
たった10日間の短い旅でしたが、それは私の興味の対象の幅を大きく広げてくれました。その時からです、私が国際協力(という言葉にしてしまうと、なんだかとても安っぽく聞こえるような気がしますが)に携わる仕事をしたいと思うようになったのは。進路を考えるのにもう少し世界を見てみたいと思い、留年を決めてNGOピースボートが出す地球一周の船に乗ったことも、そして乗船中にこのストリートチルドレンを考える会の運営委員でもあるジャーナリストの工藤律子さんにお会いできたのも、大きく考えるとやはり根底には南アフリカがあったと思います。
その南アフリカを再び訪れました。あれから三年。知識も英語力もあの時とは格段に違います。激しい人見知りもなくなってきました。だから、あの時は人の話を聞くことしかできなかったけれど、今度は私が自分で見て、聞いて、自分なりに考えてみたいと思っていたので、行けたことがとても嬉しかったです。
南アフリカは世界で最も犯罪率が高い国です。治安は悪化する一方で、現に私たちの知り合いが住んでいる白人居住区には今年から区ごとに柵がめぐらされ、夜出入りするためには検問を通らなければならなくなっていました。でもそんな危険な状況の中、明るくおおらかに生活している人たちに出会えたことが一番嬉しかったです。
一番印象に残ったのは、ほとんどスラムのような状態が残っているタウンシップにある、土産用の人形を作っているプロジェクトを訪ねたことです。小学校の校庭にある小さな倉庫で50代60代のお母さんが7、8人集まって、手縫いで、南アフリカに住む黒人のそれぞれの部族の民族衣装を着た人形を作っていました。人形もすごくかわいいのですが、このお母さん達がとっても素敵で・・・みんなすごく太っていて、着ている服もボロボロだったりするのですが、にこにこ笑いながら冗談を言い合ったりしていて、とても和やかでした。そこを支援している日本のNGOが海外からの大量購入の注文をとってきても、まったく急がない。私たちがそこで買ったときもレシートに値段を安く書いてしまったり、日付を2000年と書いてしまって言い分けに、「頭ではわかってたんだけど、この悪い子が・・(と自分の指をさして)」と笑ったり。なんてのんびり、いいかげんなんだ!!自分の生活の為にやっていることのはずなのに。日本人が勤勉と言われるのも理解できるなあと思う一方で、私はこのゆっくり穏やかに流れるアフリカ時間が、うらやましくもありました。
また、南アフリカ最大の黒人居住区、ソウェトのユースオーケストラにとても感動しました。NGOピースボートが支援しているという話を聞いたことがあり、私が頼んで連れて行ってもらったのですが、すごくうまかったです。「始めてたった二年ほどのビギナーたちばかりで・・」と先生が言っていたのだけれど、技術的にも文句なし。でも私たちが一番感動したのは小学生くらいの演奏者みんなが、本当に楽しそうに弾いていたことです。指揮者の先生は踊りながらバイオリンを弾いていました。楽器はほとんどピースボートからの寄付、弦楽器の替え弦や楽譜すらない。でも「ものが沢山あっても、日本にこれだけ楽しそうに演奏できる人がいるだろうか?」と思ってしまうほど、彼らの演奏はすばらしかったです。
本当にみんな好きなことを好きなようにしているんだなあ、と何度も思いました。南アフリカ人は仕事に行くときに遅刻はするけれど、帰りはきっちり時間どおりすぐ帰るという話も聞いたことがあります。日本では毎日必死に働いて過労で亡くなる人がいるというのは、南アフリカ人には信じられないのではないだろうかと思いました。南アフリカに6年も住んでいる日本人男性は、「この国で唯一許せないのは、このいいかげんさだ」と言っていました。確かに日本人にはイラつくことだと思います。でも、南アフリカ人は自分が待たされてもニヤニヤ笑っているだけなのだから、このおおらかさが本当いいなあ!と私は思うのです。
大好きな友達と再会し、新しい仲間と出会い、大きな自然に触れ、10日間の旅はあっという間に過ぎてしまいました。南アフリカはやっぱりとても魅力的な国でした。アパルトヘイトの名残は、まだまだはっきりと残っています。それが南アフリカでは当たり前の、すぐにはどうすることもできない事実として、毎日の生活の中に存在しています。三年前の私は、「この国の人たちのために何かをしたい」と思っていました。今回、たくさんの人といろいろなことを話して、南アフリカは確かにとても大変な状況にある国だけれども、「なにかをしてくれる人」が必要なのではなく、「一緒になにかをしていく仲間」が必要なんじゃないかとわかりました。たくさんの人が自分達のため、自分の国のためにがんばっていました。そしてそれをサポートするたくさんの人がいました。南アフリカの魅力のとりこになってしまった人たちです。私も、もっともっと、この国の人たちを知りたいと思いました。
私事ですが、この旅行のために、私は同じ時期にあった自分の修学旅行に行きませんでした。高校合格の知らせを、南アフリカで受け取ってから三年、私は留年してこの四月やっと、高校三年生になりました。二度目の南アフリカ旅行を終えてみて、やっぱり、私のこの三年間の根本には南アフリカがあったんだなあと感じました。これは私の文字通り「修学」旅行だったなあと思いました。
最後に。 私は自分もチェロを弾くので、ソウェトの黒人ユースオーケストラ「アフリカン・ユース・アンサンブル」の支援をしたい、と強く思いました。彼らの演奏は本当にすばらしく、現にそこのOBが何人も、ヨーロッパや南アフリカ国内のプロオーケストラのメンバーになっています。しかし、環境は決してよくはありません。日本では切れてなくても使い終わったら捨てられる弦が、彼らには必要です。弦が切れたときの替え弦がなくて先生の楽器の弦をあげなければならないといった状況です。これを読んでくださっている方で、いらなくなったバイオリン、ビオラ、チェロの中古弦や弦楽合奏の楽譜がある方はぜひ寄付してくださると、嬉しいです。
(こうの さやか・高校生)