ドキュメンタリービデオ「私はあきらめない」をみて
会員・河野 明佳(高校生)
ビデオを見て、私ははじめて「あ、これって本当のことなんだ」と納得ができたような気がしました。
シングルマザーとして奮闘している人たちの存在、遠いメキシコのストリートチルドレンたち、そして望まずして母親になった女の子たちが頑張っているということ。もちろん、今までその話を信じていなかったわけではないのです。昨年のイベント「幼きシングルマザーとの出会い第一部」に参加し、同い年のシングルマザー、ガブリエラさんの話にとてもショックを受けたのを、今でも覚えています。何気ない仕草や話の中に、同じ「17才」を発見し、その一方で「親の苦しみは子どもには関係ない。愛してあげて」というお母さんとしての言葉に、「すごいなあ、立派だなあ」と感心しました。辛い過去を乗り切ろうとしている彼女は、何とはなしにただ毎日を過ごしている私よりずっとずっと大きくて、私は恥ずかしい気さえしてしまいました。工藤さんの著書「勇気ある母親になりたい」(「カサ・ダヤ」について書かれた本)も、そのあと読みました。
きっと、そんな経験が一つ一つ積み重なっていって熟していって、やっと今回「私の日常ではないもの」を「自然」に受け入れることができたのだと思います。今まで本の中の主人公であった「カサ・ダヤ」の女の子たちの動いている、楽しそうに生活している姿が、まず嬉しかったです。
ビデオの中でとても印象に残ったのは、一晩無断で外泊した女の子がいたことです。 学校を出たまま帰ってこなくて、次の日は朝帰りでした。彼氏と一緒にいた、と後でビッキーさんに告白して、子どもを放っておいてしまったこと、言いつけを守らなかったことをすごく反省していました。そのシーンを見て、見かけがどんなに大人っぽくても子どもがいても辛い過去を背負ってがんばっていても、やっぱりまだ若いんだなあ、と感じました。彼女たちが完ぺきな人たちではない、普通の女の子たちなんだとわかりました。すごい人だからがんばれるのではなく、彼女達のがんばりがすごい!のだと気づきました。
毎日の家事、子どもの世話、学校。どのシーンを見てもみんなが一生懸命なのがわかります。六歳のときから当然のように毎日学校へ行っている私と違って、ストリートで暮らしている子は学校には行きません。だから「カサ・ダヤ」の女の子たちはみんな学力がバラバラで、単位制の学校で自分の学力にあった勉強をしています。「大きくなったら--」と、みんな夢も持っているようです。私にはそれもすごいことに見えました。
私の知っている限り、高校行くのが当たり前でも「勉強はしたくない、勉強をしに学校へ行ってるわけじゃない」という人がたくさんいる、今のご時世。将来の話をする時、「お医者さんになりたいの。」「へえーすごい!頭いいんだ。私には無理だな。」といった会話がよく聞かれます。勉強ができるからいい大学へ行く、医者になる、弁護士になる。勉強ができないからそうできない。そういう風潮が少なからず残っているように感じていた私は、同じ年代の人が小学校の勉強から一生懸命やっていて、「将来○○になりたいの」と堂々と言っているのが、とてもすてきに感じました。私たちは少し、与えられすぎなのかもしれない、求める気持が欠けているのかもしれないと思ってしまいました。がんばればできないことなんてないんだよね、とうなずきたくなりました。
このビデオを見て、感じるものは人それぞれだと思います。でもきっと、プラスになるものを得ることができると思います。家族や友達、たくさんの人に見てもらいたいと思いました。
私は今年受験生、目の前の壁に気をとられてしまわずに、自分が何をやりたかったのかを思い出して、「カサ・ダヤ」のお母さんたちに負けずにがんばってみようと思います。
最後に、ビデオを作った工藤さん、篠田さん、ビデオに出演していた千恵子さん、和子ちゃん、カサ・ダヤのみなさん、ありがとうございました!
(こうの さやか)
メキシコ・ NGO「プロ・ニーニョス」でボランティアをして
会員・東山 めぐみ(学生)
非常に疲れた初日だった。一日体験ではないという気構えがプレッシャーになる。ボランティアとはいえ、子どもたちにとってはボランティアと専従スタッフの違いはないのだから、子どもたちの手本となるようにしなければいけない、と何回もいわれ、なんだか、「バイトと社員との違いはお客様にはわからないんだ」といわれているようで緊張。
私の仕事は、ストリートエデュケイターと一緒にストリートに出て、子どもたちを探すこと。3チームに分かれ、だいたい1日で1チームが3ヶ所をまわる。子どもたちは居場所を転々としたり、お金をせびりに出かけてたりと、見つからないこともしばしば。
子どもたちとの最初の接触の仕方は、「プロ・ニーニョス」独特の方法だ(つまり「カサ・アリアンサ」のストリートエデュケイターとは異なる)。まず、「ディアグノスティコ」とよばれる現状分析を1週間以上かけて行う。これは、新たな場所を探すときに、どこにどのくらいの子どもたちがいるのか、探偵のように探し回る作業である。
私たちが対象とする子どもたちの年齢は、7、8歳から18歳まで。そして男の子だけに限っている。子どもたちを見つけたら彼らの興味を引くような遊び(主にディアブロ)を、彼らの前でする。そして一日目は、すぐに帰る。2日目にはまた同じことをする。すると子どもたちは興味を示し、「それは何だ」と聞いてくる。簡単な説明をして、また帰る。そうして3日目も同じ遊びをする。と、今度は「教えてくれ」と寄ってくる。そうすれば、もう子どもたちはこっちのもの。最初の接触に成功だ。
そのとき大切なのは、絶対に自分たちの素性を明かさないこと。子どもたちは様々な施設と接触している可能性が非常に高く(しかも一般に施設に入りたくないので)、「お前らも施設から来たのか」と思われると警戒心を抱かせてしまう。泥棒を目の前にして「われわれは警察だ」といっているようなものである。聞くことは彼らの名前と年齢のみ。私たちが名乗るのは自分の名前のみ。これは「プロ・ニーニョス」独特である。一度、同じ場所で、別の NGO「カサ・アリアンサ・メヒコ」のエデュケーターと遭遇したが、彼らはNGO の身分証明を首からぶら下げていて、しかも、子どもたちに自分の名前を名乗ることも禁止されているといっていた。自分の名前は「カサ・アリアンサ」だと。まあ、同じ目的で働いている施設でも、やり方はいろいろあるということである。
子どもたちと遊んでいる間、私たちもただ楽しんで遊んでいる訳ではない。彼らにお願いするのは、私たち、つまり自分以外の人を尊重すること。これは、メキシコにある無数のグロセリア(スラング)を使わない、遊んでいる間はドラックをやらない、ということである。そして、遊びは最後まで終わらせること。途中で放棄してはいけない。このことがきちんと守れて、積極的に私たちの提示する遊びに参加してくる子を、次の段階であるセントロ・デ・ディアに誘う。
セントロ・デ・ディア(デイ・センター)とは、朝9時から夕方の5時まで、ストリートチルドレンに開放している施設である。朝食と昼食、シャワーを提供し、毎日子どもたちが飽きることのないような様々な活動を準備している。
こんな夢みたいな施設にもかかわらず、多くの子どもたちはセントロ・デ・ディアに行くことを拒む。そう、子どもたちを説得するのは大変難しい。なぜか?やはり、一番大きな理由は、子供どもたちはストリートで生きていけてしまうからだろう。友達もいる。食べ物をくれる心やさしい??大人もいる。もちろん、ドラックだってやりたい放題。規則も自分を縛るものも何もない。
実際、食べ物やお金を子どもたちに与えている大人に会うことがある。その時は、彼らと話し合い、もう子どもたちに何もあげないようにお願いする。なぜって、彼らの親切心が子どもたちにとってストリートにいることを容易にしているからである。もらったお金で買いに走るのは多くの場合、食べ物ではない。ドラッグだ。最近はピエドラといって(スペイン語では石という意味)コカインのゲテモノドラッグがシンナーと同様、流通している。ゲテモノとはいえハードドラッグ。一気に幸福感をもたらし、5分くらいでその効果は消える。一瞬の幸福感のために再び吸引。中毒になるのは目に見えている。
セントロ・デ・ディアに通う子どもたちでも、急に来なくなるのはドラッグが関係している場合が多い。ストリートエデュケイターの仕事には、セントロ・デ・ディアに来なくなった子どもたちを探して理由を聞く、というのもある。一度、アルベルトという男の子をガリバルディ広場まで探しに行ったときのこと。彼をそこで見つけることができなくて、あきらめて次の場所に移動するのに地下鉄に乗ったら、なんと、そこで彼が割れたガラスに裸の体を押し付けるショウをやって乗客からお金をもらっていた。思わず苦笑い。ダニエルという別の男の子は、ピノ・スワレス駅構内のドミノ・ピザでボーと突っ立て、ピザをくれるのを待っていた。セルヒオはソカロの路上でシンナー片手に鍋を売っていた。みんな一様にいうのは、「セントロ・デ・ディアは楽しいよ。でも・・・。」本当のことはいわない。悲しい現実。
話はもどるが、「プロ・ニーニョス」のストリートでの仕事の特徴。同じ場所で3ヶ月以上は働かない。なぜなら、子どもたちにインパクトを与えることを大切にしているからである。私たちが彼らの日常になってはならない。常に新鮮な存在となり、彼らに刺激を与える。その間にセントロ・デ・ディアに誘うのである。もし、一度イヤだといったら、しつこく食い下がらない。それは彼らが決めること。この方法で他の施設より成功を収めている。
ボランティアをしていて正直思うのは、一人でも多くの子どもたちをストリートから救いたいということ。なぜ、彼らのような子どもたちが存在するのか、考えるだけむだなような気がしてくる。子どもが家に帰ってこなくても探しもしない親たち。彼らは彼ら自身の問題を抱えていて、子どもにかまっている暇もない。飲んだくれて母親に暴力をふるう父親。居場所のない子どもたちは自分の居場所を求めてストリートに飛び出す。そこでは、同じような境遇に育った仲間たちとドラッグがある。ドラッグの消費理由は、つらい過去を忘れるため?おなかがへっているのを紛らわすため?それとも、そこにドラッグがあるから?ドラッグの過剰消費で目をつぶした男の子に会った。彼は一度施設に入り、学校にも入学して順調にいっているように思えたのに、ドラッグ欲しさに何もかも投げ捨てて、結局、視力を失ってしまったそうだ。こういう事実は、本当に私たちを落ち込ませる。
これからの課題。ストリートチルドレンが存在する根本的な原因は、家庭環境にあるといっていいだろう。そして、崩壊した家庭の背後には、貧困という大きな社会問題がそびえ立っている。私たちがやっていることは、本当に草の根的な活動で、もっと根本的なことを改善しなければ、子どもたちの数なんて絶対減らないだろうし、問題も解決しないであろう。でも、ストリートで生活していた子どもがセントロ・デ・ディアで様々なことを学んで成長していく過程をみると、なんだか自分が救われた思いがする。きっと、スタッフの人は全員そうなのだろうな。
(ひがしやま めぐみ)