No.75
| 大宅由里子(会員・会社員) メキシコ・シティの空港に降り立った瞬間、私は3年前初めてメキシコへ行った時の事を思い出した。丁度クリスマスの時期で、私は友人と綺麗なクリスマスの電飾を見る為、ソカロ広場へ向かった。当時、メキシコについて、ほとんど何も知らなかった私が、そこで見たものは、何十という家族が、ソカロ広場から延びる大通りの両脇に座り、物乞いをしている光景。その数の多さもさることながら、親が子供に物乞いの仕方を教えているのを見た時は、何ともやりきれない気持ちになった。この子供達の将来は、一体どうなるのだろうかと。 それ以来私は、この時見た光景が頭から離れなかった。日本で何不自由なくぬくぬくと暮らしてきた私。一方では、寒さや空腹感に耐えながら、今日や明日をどう食いつなぐかを考えなければならない子供達。生まれる国が違うだけで、こんなにも状況が変わるのかと、胸が締め付けられる思いだった。 そんな子供達と是非直接話をし、彼らが何を考え、何を必要としているのか、本やインターネットからの情報ではなく、実際に肌で感じ取りたかった。そして、彼らが少しでも自分たちの将来に、希望を持つ事が出来るような手助けが出来たらいいなと思った。 このツアーに参加して、結果的に私にとって大変意義のあるツアーとなった。ストリートチルドレンについて知るには、十日間では余りにも短すぎるが、自分の生活を見直す良いきっかけとなった。 ツアー中に訪問したNGOの中で、特に印象に残っているのは、「ダヤ」だった。まだ自分の母親に甘えたいはずの年頃の少女達が、子供を産み、母親としてしっかりと自分の子供の面倒をみている。すごいなと思った。その少女達も、子供が出来てしまった以上、しっかりと母親としての自覚をもたなければならなかったのかもしれないが、その自覚をもつまでには、激しい葛藤があったに違いない。彼女達を見て、私は日本で何て恵まれた生活をし、親にどれだけ頼って生きているかを思い知らされた。 それにしても、私がメキシコで出会ったどのストリートチルドレンも、私の想像よりも遥かに素直で純粋だった。もっと多くのストリートチルドレンと出会い、彼らの事を深く知ったら、また違う感想が出てくるかもしれないが、少なくとも今の感想はこれだ。私は、もっと複雑で扱いにくい子供達を想像していた。しかし、悲しみを背負いながら、必死で生きようとしている可愛い子供達だった。彼らは、自ら家を出ることを選び、自分の人生を歩んでいる。もっと深刻なのは、親の過度の期待を背負い、言いたい事も言えずに我慢し続け、遂にはキレて大人をいとも簡単に殺してしまう日本の青少年達なのではないだろうか。 野口 博志(会員・会社員) 私にとってこのツアーの楽しみは、何と言っても誰かと一緒に食卓を囲むことである。普段一人で食べることが多いので今回も大変おいしいごはん、それもメキシコ料理、をいただく事ができた。ごちそうではないけれど、仲間と楽しい時間を共有出来るというのはとても幸せな事である。 近頃、「孤食の風景」というのを耳にする。どんどんスピード化する社会の中で、子どもたちがおいしい食卓を囲む機会が減っているらしい。心の成長に大変重要な場が失われているのは悲しい事だ。ましてストリート暮らしの子どもたちにとってはなおさらである。心に傷を負った者同志が寄り添って暮らし、空腹や不安をまぎらわす為にシンナーを吸っている。それが現実。そろそろ大人が真剣に考えなければ゛ならない時なんじゃないだろうか?加速していく世の中のを止める事は出来ないけれど、たまにはおいし食卓を囲む生活を、まず自分のまわりから、そしてそこから世界中へ広がっていく事を願わずにいられないのである。 鷲尾 絵美(非会員) 私は大学の授業でストリートチルドレンのドキュメンタリービデオを見た。その瞬間、実際に自分の目でストリートチルドレンの実態を確かめたいと思った。はっきりいって、このビデオを見るまでストリートチルドレンのことはまったくといってよいほど、知らなかった。 15時間の飛行機の長旅で、ようやくメキシコシティに到着した。空港を見る限り、日本とそんなに変わらない。空港を一歩出ると、車の多さ、排気ガスで汚れた空気、あたりまえのように制限速度を超えて走っている車の多さに驚いた。しかし私がイメージしていたメキシコとは違っていた。この時点では、たくさんのストリートチルドレンが生活しているとは思えなかった。 翌日、NGO「カサ・アリアンサ・メヒコ」を訪ねた。子どもたちに対してどのようなケアをしているのか、細かいプログラムがあること、施設の職員の方々が心がけていることなどを教えてもらった。一番印象に残ったのは、エイズ教育、HIV感染者のためのケアプロジェクト「ルナ」である。日本の中学校・高校でもエイズに関することは習ったが「怖い病気だな」と思う程度で終わってしまった。しかし、ここでは子どもたちにエイズの怖さを絵などで教え、実際に検査をすすめる。しかし無理にはすすめずに、1回でも検査を拒否したら行なわない。子どもたちの97%が検査を受け、そのうち7?10%の子どもがHIVに感染しているという。感染している子どもに対し心のケアを行ない、エイズの症状が悪化したら死への準備をするという。私はこの時、自分がエイズに対する知識が少ないことに気づいた。 カサ・アリアンサ・メヒコにくる子どもたちの大半は、ドラッグ・性行動・暴力が原因でストリートチルドレンになったと聞いた。しかし、子どもたちを見ていると皆明るく、暗い過去があるようには見えなかった。ここでひとりの男の子に出会った。彼は腕を骨折していた。原因は義母からの暴力だった。 メキシコは今、経済の危機に陥っていて、貧富の差が拡大し、おとなはストレスを感じているだろう。そのストレスが本来なら一番愛すべき子どもに向けられる。そして私よりも小さな子どもたちは、それを子どもなりに受けとめ、自分の意志で家を出る。ここの施設の職員の方々は「物」ではなく子どもたちに一番必要な「愛情」を与えている。 メキシコの子どもたちはとても無邪気に思えた。習い事などで遊ぶ時間を失ってしまった日本の子どもたちよりも生き生きとしていた。カサ・アリアンサ他、NGO施設の方々が子どもたちに対して行っている教育は間違っていないんだと思った。 日本に帰ってきて、私はまた何不自由のない生活に戻った。今すぐストリートチルドレンに対して何かできるわけでもない。しかし自分の目で実状を確かめたことは、とても貴重で忘れられないものとなった。 下城貴義(非会員・学生) 夏休みも、もうすぐ終わりをむかえようとしている8月22日、メキシコに行きたいと思って参加したメキシコツアー。はじめは、メキシコに行ったことがなかったたので、ただ行ってみたいという思いで参加しました。 メキシコのストリートチルドレンのことは、行く前に、少しビデオで見ていたので、ストリートチルドレンがどういう子たちなのかは、大体わかりましたが、実際、メキシコに行き、見たり聞いたりしたことは、思った以上にひどかった。道で、暮らしている子どもの数や住んでいる場所の状況、それに、シンナーを吸っている子どもの数にもビックリしました。 ただ、このツアーで、実際にストリートにでて、子どもに会うと、みんないい子ばっかでした。しかし、ストリートチルドレンの心の中は、傷だらけだと思いました。一人ひとり、人に話せない傷があるためにシンナーに手をだし、生きて行くにはストリートチルドレンどうしでしか過ごせないようでもありました。 僕は、ストリートチルドレンと言われている子どもたちはかわいそうだと思っていますが、実際、子どもたちのためになることは、なかなかできません。僕も、まだ16歳なので、子どもたちの気持ちも、少し分かると思うから助けてあげたいけど、あの数の多さでは、ほとんどムリに近い状態です。 だけど、僕も、ストリートチルドレンをなくすため、できるだけ協力したいと思います。 ダヤでの下城君 利光 睦美 (非会員・団体専従) 「人間に大切なのは、どう生きていくかということよ!」。友だちのちょっとしたからかいに、彼女は大きな目をさらに大きくして叫んだ。 今、彼女は19歳。15歳のときに、ここ『オガーレス・プロピデンシア』(NGO定住ホーム)に来た。高校に通っており、日本語にも興味があるらしく、いくつかの単語を話す。その小さな憤慨の後、部屋に貼っていた『ピカチュウ』のポスターを見ながら、うれしそうにキャラクター名を教えてくれた。 「自分の力でどう生きていくか、人生を切り開いていくか」は、どこの国の若者にも共通課題といえる。わが国においては、迷える若者(若者でなくても、私なんぞはいまだに迷っている)だらけかもしれない。が、かつて、ストリートで暮らしていた彼女のことばは、とてつもなく重い。 「疲れているんじゃないの?」「今、何か他のこと考えてたでしょ?」と『オガーレス・プロピデンシア』で暮らす女の子たちは、人を気遣う。それは、たまたま私たちが客人だったからともいえるが、その気遣いというか「気づき」は鋭い。日本では、隣に座っていても気にしないようなことを、彼女たちはキャッチしそれを本人に問う。国民性や文化の違いもあるかもしれない。ただ、「人間にとって大切なのはどう生きるか」ということばや、他人に対して敏感であることが、彼女たちの10数年の暮らしを想起させる。といっても、彼女たちの言葉の背景を、ほんのわずかでも想像できているとは言えないが。 さて、私がこのツアーで知りたかったのは、NGO施設の職員が、子どもとその家族をどうサポートしているか、ということであった。今、日本では、子どもをめぐる問題が毎日のように報道されている。問題解決の方向として、厳罰主義や家庭でのしつけの強化などが言われている。果たして、大人と子どもの関係が「罰」を与える、与えられる関係でいいのか? 福祉や教育現場においても、いまだに体罰が横行していたりする。職員や教員が責任や課題を問われると、「仕事の大変さ」や「労働条件が悪いから」「家庭に問題がある」と専ら自身の責任を棚上げにし、結果的には子どもの処遇改善が遅々として進まない現実がある。たとえ、いじめられて子どもが死んでも、虐待死させられても。「援助者の方が、被援助者に対して“エラそー”なのはどういうこと?」という素朴な疑問を持ちつつ、福祉・教育労働のあり方、専門性とは何かを考えるヒントをもらえれば、と思いツアーに参加した。 メキシコで、各NGO施設のスタッフの話を聞いたり、子どもとのかかわりを見学させてもらった。とくに、援助者と被援助者の関係において学んだことは、「権利の尊重」である。具体的な実践として、
日本とメキシコでは、国の状況がまったく異なるため、具体的なサポートも異なると思う。しかし、「人間が生きるために大切なこと」は、どの国でも共通しているのではないか、と感じた。日本の子どもたちは無条件に愛されているだろうか。自己の存在に価値を見出せているだろうか。居場所がなく、心寂しく過ごしていないだろうか。「居場所」があったとしても、劣悪なベビーホテルだったり、ゲームセンターであったり?という現状をどう見たらいいのだろう。また、子どもの問題の背後にある、貧困、男女不平等、世代間連鎖?etcをどう断ち切ればいいのか。
最後になりましたが、篠田さん&工藤さん、受け入れてくださったNGO施設のスタッフのみなさま、まったく言葉がチンプンカンプンな私の通訳をしてくださったみなさま、そしてメキシコの子どもたち、本当にありがとうございました。 ストリートチルドレンと一緒に描いた絵を持って 武田 香利(会員・学生) 私は8月22日から8月31日まで「メキシコのストリートチルドレンを考える会」のスタディーツアーで2度目のメキシコへ行って来ました。去年は母と。今年は「お金無いから一人で行きなさい」と母に言われ、一人で行くのはさすがに不安で、やめようとも思い迷いました。親はいいというものの、周りからは「14だよ。よく親が許したね」と言われました。 しかし、去年会った子に会いたいということもあり、また自分自身の視野を広げたいという思いもありました。とくに、新聞でメキシコの政治が変わった(今夏、70数年ぶりに野党から大統領が誕生)ということを知り、ストリートチルドレンにとって、もしくは施設にとっては、良いか悪いか、どういう影響だったのか、とても興味があり、今年も行くことを決意しました。 この政治の影響というのは、私から見るかぎりはよいものだと思いました。なぜならば、去年までは、ストリートチルドレンを援助し、家に返すことが中心的な活動目的でしたが、今年は子どもたちがストリートチルドレンにならないための援助をするという方式に変わっていたからです。 メキシコの空港でまっていた工藤さんに、去年会った子の内の一人からの手紙をもらい、とても嬉しかったのが印象的でした。 向こうで一番印象に残ったのは「ダヤ」の子どもたちでした。去年も行ったのですが、場所が空気のいいところへ変わりました。26日のホームステイで、私を含め工藤さんたち4名で「ダヤ」に泊まりました。(「ダヤ」とは私と同い年前後の、子どものいる母親のための施設です。)夜中に何故かノックが聞こえ、戸を開けると足下に男の子が、一人で立っていたんです。その子にはどうも好かれているらしく昼も追い回されたのを覚えています。だっこだっこと両手を上げるので思わず抱き上げ、母親の所に連れていこうと、その子のベットへ行ったのですが母親がいず、寝かせると泣き出すもので、かれこれ20分以上も抱っこしていて、部活で痛めた腱鞘炎が悪化するなどとても大変でした。同じ地球で、毎日こんな事を同い年前後の子たちが、私が遊んでいる時やっているのだと思うと考えさせられます。 翌日「ダヤ」の子たちとともに、テオティワカン遺跡へ行きました。そこには月と太陽の二つのピラミットがありました。私は高所恐怖症のため月のピラミットしか登りませんでしたが、「ダヤ」のお母さんたちは自分の子どもを抱っこして月と太陽二つのピラミットに登っていたのには、さすがにビックリしました。と言うよりも、かっこいいなぁと思いました。 他に印象的だったのは、空港で受け取った手紙をくれた「ファン・カルロス」に、また会えたことです。去年も会ったのですが、去年はとても元気が良く明るい子だったのですか、今年会ったときは何か考えているというか、悩んでいるというか。工藤さんの話では、私がメキシコへ行く前から、私に来て欲しいとか、でも来ない方がいいとか言っていて、情緒不安定だったそうです。初めて会ったあの時みたいに、また元気になってくれることをただ祈るだけで、何の力にもなってあげることが出来ず、自分の無力さというものを感じました。日本に帰る前にまたここへ来てと言われたのですが、結局会うことが出来なかったのが心残りです。 他にも路上で、ペットボトルに紙を詰め、それをボール代わりに、日本チーム対メキシコチームのサッカー対決をしました。日本人は勝てず、メキ 行く前は不安でいっぱいでしたが、帰ってきてとても楽しかったと思いました。 私にできるのは、この自分自身で体験した経験を少しでも多くの人に伝えることです。この体験を私は一生忘れません。 |
||