大変な習慣とは、いったい何か。それは喫煙である。なーんだと思われるかも知れない。読者のなかにもタバコを吸われる方はかなりおられると思う。もちろんそれを責めるつもりはない。それならなぜ喫煙が問題なのだ、たとえラオスの山奥でもタバコぐらいはあるだろう、といわれるかも知れない。確かにそうである。ただ、彼らが吸うタバコは自分たちで栽培し、乾燥させたもので、それを直径7〜8cm、長さ50〜60mほどの竹製の水パイプを使って吸うのだ。もちろん、これとて"大変な"、とはいえない。大変な習慣の、大変たるゆえんは、その水パイプをかかえて、4〜5歳の小さな子どもまでもがタバコを吸っていることである。喫煙には、残念ながらというべきか、年令による差別も、男女の差別もない。まさに老若男女すべからく、太い水パイプをかかえて、ブクブクという音をたてながらタバコを吸っているのである。水というフィルターを通して吸うから大丈夫 、と村びとたちはいうが、普通のタバコと違って(実 際吸ってみないと分からないのだが)、煙りを口の中にためることができない。つまり、一気に肺の奥まで吸い込まなくてはならない。深呼吸をする要領でないと、吸えないのだ。すぐにでも、子どもに吸わせるのは止めさせた方がいいのだろうが、伝統という壁がある。
しかし、伝統といっても少なくとも500年以上前にはこのあたりには、タバコはなかった筈である。タバコはコロンブス以後、アメリカ大陸からヨーロッパを経由してアジアにもたらされた、けっこう新しい伝統である。だから、それ以前の伝統にもどればいいだけのことだ。少なくとも子どもは、できたら大人も。
われわれが泊めてもらった家に居候している、小学校の先生たちにこの習慣についてきいた。彼らは、この村の人間ではなく外の世界を知っている。だから、もちろん子どもが喫煙することは悪いと思っているし、少なくとも教室内では喫煙させないということにしている、という。少し安心した。確かに、子どもたちが太い竹のパイプを抱えながら、授業を受けているところを想像すると、ちょっと恐ろしい。
山奥の村にしては珍しく、ハッヴィ村には小学校がある。それには村びとたちの願いがこめられている。夜、村びとたちに集ってもらって、いろんな質問をした。そのひとつの「あなたたちは幸せですか?」という、抽象的ともいえる問いに、村びとは、「不幸です」と以外にも直接的に答えた。自然の流れのなかで、ゆったり、のんびりと暮らし、けっこう幸せそうに思えていただけにその答えは以外だった。理由は、お金がないくて、何も買えないから。身もふたもない答えだが、そういわれればそうで、実際にこの村の住民でもない、われわれには返す言葉がなかった。もちろん、彼らが欲しているのは、テレビ、ラジオとかいったものだけでなく、薬とか病院とかいうものも含めてのことである。だから、子どもたちには、ただ自給自足の農業をして暮らすのではなく、教育を受けて、お金を稼げる仕事をして欲しいと思っているのである。
夕方、6時半になるとドラがなる。子どもたちがいっせいに、出かけていく。あたりはすでに真っ暗闇だ。何ごとかと後をつけていく。どうも、5〜6人の子どもが近くの家に集まって何かをするようだ。家の中に入ると、床に置かれたランプのまわりに座り込んで、教科書を取り出した。ランプの明かりは、近くを照らすだけなので、炎のそばに頭をよせあう。腹ばいになっている子もいる。こうやってみんなで教科書を読むのだ。毎日2時間、近所の家に集って、自習するのだという。しかし、こんな暗い明かりの下で、目を悪くしなければと思う。この文章を、明かりの溢れる部屋の中でかきながら、この明かりの10分の1でも彼らにあげられたらと思う。(ただ思うだけではいけないとも思う)
世話になっている家の、クー君(10)に将来についてきいた。医者になって村の人をみてあげたい、という。10才の子にしては、出来過ぎの答えにも思えるが、本心なのだろう。一生懸命勉強して、ぜひ願いをかなえてほしい。ただ、とても感心なクー君だけど、ひとつだけ注文がある。それは、タバコの吸いすぎには注意してということ。それだけかな。