物質主義に走るインドの子どもたち

中山 実生

 私たちの会とはふだん関わりの薄いインド。しかし、路上に生きる子どもたち、児童労働の問題では見逃すことのできないこの国で、長年活動を続けている「子どもの権利活動家」・中山実生さんが書いたレポート(出典 Puri Report)を、数回に分けてご紹介します。

 ブーミカ・ワッツ(9歳、ニューデリー)はジーンズ、Tシャツ、香水、ヒールのついた靴が欲しい。「私の友達はウォークマンを一日で手に入れたの。私も今日にでも買いたいな」

 アールニッシュ・オベロイ(13歳、チェンナイ)はプレイステーション、ブランドものの服、携帯電話を買いたい。「プレイステーションを買ってよ、そしたら勉強とスポーツもっとがんばるから。」

 シュウェッタ・チャーブリア(15歳、ムンバイ)はカプリズボン[注1]、Tシャツ、ボディ&ヘアグリッター,スキンケアクリームが欲しい。「自分の欲しいものが手に入らないと、何かを失ったような気持ちになるの。」

 インドは貧しい−そんなイメージがお決まりの国。しかし、ここで目の当たりにする現実はそんな私たちの単純な想像力を見事に打ち壊していく。最新型の携帯電話を持つ若者、金や銀のアクセサリーとシルクのサリーをまとう婦人、バルコニーと庭付きの家に住む家族。インドには最低貧困ライン以下(一日1ドル以下)で暮らす人は人口の44%に上る一方で[注2]、1990年代の経済成長とともにいわゆる「ミドルクラス(中間層)」も登場して来た。グローバル化が国内での所得格差を広げているが、子どもたちの世界にもその波が押し寄せている。

 「物質主義の子どもたち(Material Children)」と題された記事(India Today、2002年10月28日付)を紹介しよう−−−

「都会で暮らす子どもたちは、買うものによって自分のアイデンティティを見つけ出している。露骨な消費主義が子どもたちの新たな信仰となりつつあるのだ」

 子どもたちに夢を売れ!子どもたちは、ものを持つためにものを買うのではない。希望を彼らは買うのだ。彼らに希望を売れば、売り上げを心配する必要はないだろう。“物質主義に対する社会の祝いの賛美は、現代の都会生活を集約したものだ!”物質主義の傾向が強くなっている都会では、青少年こそが重要な市場の消費者となっている。親に常に頼る幼少時代から抜け出した青少年たちは、携帯電話からブランド品に至るすべてを誇らしげに見せびらかしている。ブランド志向=子どもたちの間で急速に広がっているこの傾向は、あるものに所属したいという願望、科学者のエリック・フロムの言葉を借りれば、「群れの近いところに集まる」を示している。

 チェンナイのある学校に通う13歳のアールニッシュ・オベロイは何の疑問も持たずブランド品が重要だと信じている。「流行のブランドをつけていたら、人気でいられるし、受け入れてもらえるんだ」。ワニ・アガルバール(13歳)はタブロイド誌に対して、GUESSとベルサーチの服だけを好んで着ていると語っている。彼女は全くの例外ではない。つまり、これはインドの都会生活の中で再び浮かび上がっているメッセージである。子どもたちは自分が持っているものにより自分自身を見出しているのである。「買うものが、イコール私そのもの」というのが今日の10代のマントラである。

 子どもたちが“所有する物”はブランド品を意味し、彼らのステータスと人気はそれらによって生まれる。安物のキャンバスシューズや母親による手縫いのフリルがついたワンピースの時代は終わったのだ。女の子たちはMANGOのTシャツやはやりのジーンズを欲しがる。小さいころはインクの染みがついたシャツやすり減った靴を誇りに思っていた男の子たちも、今ではどんなジェルが自分の髪に一番よくあうのかとか、どんな携帯電話のモデルが良いのかに関心がある。彼らの「持たなければならないもの」リストは、洗練されたショッピングモールのカタログのようだ。流行りの服に時計、化粧品、アクセサリー、シューズ、携帯電話、CD、音楽器材、コンパクトなパソコン、スポーツ用品、ヘアドライアーなど、すべては「身につける」ライフスタイルとなりつつある。最近では「必需品」として、外出用や美容院などのためのお小遣いに加え、クレジットカードが子どもたちの間に登場している。

 このようなブランド志向の子どもたちの購買力は膨れ上がり、市場は小さな王様と女王様を生み出している。不景気にも関わらず、親が最後に妥協するのは子どものためにお金を使うことである。子どものための商品におよそ500億ルピー(約1350億円)が費やされている。お菓子市場だけでも約140億ルピー(約378億円)が、アパレル産業においては50億ルピー(約135億円)の消費だそうだ。子ども靴市場においては、100億ルピー(約270億円)が、ボディケア商品には30億ルピー(約81億円)が消費されている。

 「多くの子どもたちはマニキュア、シャイン・コントロール・ローションや日焼け止めのクリームを探しに来ます」と語るのは、デリー・ショッパーズ・ストップのビューティアドバイザー、S・アムテさん。「子どもたちは美容事情に非常に詳しく、親の方が逆に子どもたちに対してアドバイスを求めたりしていますよ」と言及する。

 シュウェッタ・チャーブリアの希望もかなえられた。ムンバイのセイント・ジョーセフ・コンベント・ガールズ・スクールに通う15歳の彼女は最近、両親にEVERYOUTHのアーモンド・アプリコットクリームを買ってもらった。彼女は毎日香水をつけ、トレンディーな西洋服とじゃらじゃらとしたアクセサリーを身につけることで幸せを感じるという。小さな子どもでさえ、お化粧に夢中だ。いまだお人形を相手に遊ぶブーミカ・ワッツ(9歳、デリー在住)は、香水が好きだという。また、今や化粧品は女の子だけが夢中になるものではない。「アーミール・カーン[注3]のような髪型にしたいから、僕はBrylcreemとL’Orealのジェルで、髪を尖らせているんだ」と13歳になるデリー・パブリック・スクールに通うニックヒルは言う。

 すべてそれらを支払うのは、甘やかし過ぎている親だ。もちろん多少ませた子どももいて、彼らは欲しいものを手にいれるため、“感情的なゆすり”をつかう。13歳のアールニッシュと15歳の兄アディッシュは、高価なビデオゲームや服、靴を買ってもらうため、学校でよりよい成績をとるという“取引”を親とする。アールニッシュは最近、18000ルピー(約48600円)するプレイステーションが欲しい。

 一方で、子どもたちは同世代のプレッシャーにさらされている。多くの十代は友達から拒絶されるのを恐れている。「クラブに行くとき、友達からはやりの服を借りるの。そうじゃないと、自分が劣っているように感じるもの」と13歳のスシュミータ・ガルグは、深夜前からダンスパーティーが開かれるCJ’sというクラブへ行くため、デリーのLe Meridienの女性着替え室で借りた刺繍入りのパンツとベネトンのトップに着替えながら語る。

 顕著な消費レースは子どもたちの間にヒビを生んでいる。そのようなレースに加わるのを親により止められる子どもたちと、一方で歯止めが利かず物質主義に走る子どもたち。「お金の使い方によってクラスでもグループが分かれています」とデリーのヴァサント・ヴァリー・スクールに通う12歳のワイシャナビ・タニールは語る。

「ファッショナブルなブランドものを気にしない“うといグループ”と着ているもので人を判断する“イケてるグループ”とに分かれています[注4]」と彼女は説明する。

 子どもたちが持っている市場トレンドの情報量に、おとなは困惑している。

 「サムシカ・マーケティング・コンサルタント」のジャグディープ・カプールは、1999年から2002年に9都市の9〜14歳の1344人の子どもを対象にして調査をおこなった。その結果、9つの特徴が浮かび上がった。インフォーマル、インテリ、アイデンティティ志向、新しいトレンドに適応しやすい、というこれまでの特徴に加えて、2002年には情報、好奇心旺盛、収入、が新たに加わった。

 マーケットの達人はトレンドの趣向を変えて行く一方で、親は非常に困惑している。高価なものを買うことが子どもにとっては癖になり、それを容認している親がいる一方で、どこで線を引いてよいのか分からないという親もいる。女性たちの中には自分の子どもを通して、自分の希望を実現させている人も。「私の母は私が子どものころに化粧をするのを許してくれませんでした。ですから、私の娘が(昔の私のような)“普通の女の子”に見えないように、気を遣っています」とムンバイ在住のプージャ・チャーブリア(シュウェッタの母親)は言う。主婦である彼女は、誰かから注目されたいがためにこのような“飾り”[注5]があるのではないと強調する。しかし、これは単なる古い形の甘やかしの一部である。シュウェッタの父親、アニール・チャーブリアは言う。「私が娘に服や化粧品を買ってあげると、彼女は目を輝かせます。それを見るのが好きなんです」。

 子どもたちと一緒に過ごす時間が少ない忙しい親たちは、その罪悪感に駆られて、子どもたちに高価なプレゼントを買ったり、沢山のお小遣いを少しずつ渡したりすることで、子どもたちとのギャップを埋めようとしている。しかし、より深刻なのは“親が子どもたちの欲求を奪う”ということを、彼ら自身が恐れていることだ。「自分の子どもが自分の欲しいものを得られないがゆえに自尊心を低くして苦しんで欲しくありません」と、チェンナイ在住、行動に関してのコンサルタントでアディッシュとアールニッシュの母親でもあるアヌラダ・オベロイは述べる。「自尊心を低くすることで子どもにもたらす悪影響を知ってからは、私の考え方も変わりました」と彼女は説明する。

 家族関係も消費主義の波に巻き込まれている。親が子どもたちの要求に反対したとき、冷戦は始まる。「子どもたちは自分たちの欲しいファンシーグッズを得るために親の罪悪感を利用しています」と述べるのは、デリーでカンセリングセンターを運営している心理学者のサンジェイ・チャウである。「家族から離れていくのは十代の特徴の一つです。子どもたちはロールモデルを親ではなく、同世代に探そうとするものです」と彼は説明する。

 多くの親たちは、消費主義が子どもたちを自己中心主義に陥らせるのではないかと心配している。しかし、デリーのジャワハールラール・ネルー大学の社会学者スーザン・ヴィシュワナータンは、消費主義はグローバル化した資本主義社会の基本原理の一つだとみる。「親にものを買わせる子どもたちは、社会システムの犠牲者でしかありません。社会システムは殉教者ではなく、この世の生存者の見方をします。生存者たちは、現代社会の状況を見過ごしたまま、ただ楽しむことを一番としているのです」と思い巡らしたように言う。

 ロールモデルも変わりつつある。マハトマ・ガンジー、イエス・キリストあるいはマザー・テレサは子どもたちにとっての理想の人では、もはやない。テレビ番組や映画、広告に出てくる派手なポップアーティストや映画スターが、子どもたちの理想である。若者は広告に載っている物質主義を信条とする傾向にある。広告会社は“おとな”の物、例えば車やクレジットカードを宣伝するためでさえも、子どもを使う。LG社[注6]もテレビや冷蔵庫の広告に子どもを使う傾向がある。   −−−−以上、記事の翻訳

 この記事を初めて読んだとき、とても信じがたい思いがした。しかし、時が経つに連れて、様々な社会階層の人と出会うようになり、インドの“ミドルクラス”がどのように社会に位置づけられているのかを知るようになった。私のいるバンガロールは一般に“インドらしくない”インドの街と言われており、西洋化が進んでいる。一番の繁華街にはベネトンやピザ・ハット、コーヒーディなど西洋的な店が立ち並び、その数は次第に増えてきている。

 インドの中間層に関して、小川忠の『インド 多様性大国の最新事情』(角川選書)に詳細が載っているので、それを紹介しよう。

 それによると、インドは1990年代初頭に経済政策を大転換した。つまり、これまでの国産産業振興路線から、外国からの投資による経済成長の加速化政策に重点を置くようになった。インド政府が発表した「中間層」人口は、2億から5億と推定されており、インドの消費市場を支えている。政府系経済シンクタンク・応用経済研究所カウンシルが1994年に提出した「消費諸階層」と題する分析によれば、「富裕層」は約600万人(100万世帯)、その下の「中流層」は3つのレベルに分けられ、「消費層」が1億5000万人(3千万世帯)、「消費層に近づきつつある層」が2億7500万人(5千万世帯)、「消費層になる望みを抱く層」を2億7500万人としている。90年代以降、国家や企業は「消費は美徳」と説いてきたが、それは中間層にとっては革命的だった。国父ガンディーは物質的欲望からの解脱を説き、ガンディーの跡を継いだネルーは、貧困の撲滅を掲げ、貧困層を中産階級に引き上げることを国家目標と定めて、社会主義的な経済政策をとってきた。社会主義経済体制にあたって、国家は、過度の消費は西洋資本主義の道徳的退廃である、と国民を戒めてきた。それが、一夜にして経済を活性化する消費は美徳である、と説き始めたのである[注7]。

 以上のような社会的背景が、じかに子どもたちの生活にも反映され、消費主義・物質主義が浸透している。興味深いのが、それらのイズムが、子どもたちの持つもの、着るものだけでなく、食べるもの、言葉にまで反映していることだ。ミドルクラス以上の子の多くは、女の子の場合、インドの伝統的な服、サルワカミーズ(パンジャービドレス)よりも西洋の服をより好んで着たり、短いスカートやキャミソールを抵抗なく着ている。ベルボトムのジーンズに、体のラインが出るぴったりとしたトップは定番だ。この一年で莫大的に広がっている携帯電話も、当然のように首からぶら下げるのが、お決まりのスタイルだ。食べるものでも、ピザやサンドイッチなどの西洋のものも好んで食べる。共通語は、当然英語だ。小学校の1年生、あるいは幼稚園から英語の学校へ行っているし、親子同士の会話も、地元の言葉ではなく、英語である場合も少なくない。逆を言えば、言葉によりその人の教育水準が分かり、経済ステータスも顕著に分かる、とも言える。もちろん、すべての人にではないが、ミドルクラスの顕著な特徴だ。

 インド人口の80%は農村に住んでいるのが現状で、物質主義の蔓延は都会特有のことだ。物質主義に走るインドの子どもたちの状況は、日本の子どもも含めた先進諸国の子どもたちと酷似している。

 自分のアイデンティティを自分が持っているものによってしか見つけ出せない子どもたちの将来は、どうなるのだろう。子どもたちの生きている環境は知らずとメディアのコントロール下にあり、歯止めのきかないグローバル化していく世界の波に巻き込まれている。そのような状況下にある子どもたちが物質主義に走るのを、誰がどのように止めることができるのだろうか。

 まず、子どもたち自身がそのようなイズムに巻き込まれていること、グローバル化された社会に生きていることに気づかなければならない。彫刻家のジョン・デバラジは、以下のように、インドの子どもたちにグローバル化と私たちの生活の関係を分かりやすく説明する。「10ルピーするコカ・コーラ1本の利益の半分はアメリカに流れるが、インド産のココナッツジュース8ルピーの利益の半分はこの国の農民に返っていきます。ココナッツジュースを飲む方がずっと健康的で、しかも国の経済を支えていくことにもつながります」。この話を聞いた多くの人は、地元の果物ジュースを飲むようになる。このように、まずは自分の生活を振り返ってみることが大切だ。

 また、自分のアイデンティティを見つけだすのは、個々人の想像力であり、創造力によってではないだろうか。それを育てるためには、価値や道徳を身につける教育(バリューエジュケーション)が必要ではないだろうか。学校での授業だけでなく、コミュニティでの活動、家庭など、その機会と場は、公から私的な範囲にまで広がる必要がある。子どもたちの力を開拓する場と機会を取り戻し、教育を子どもたちに浸透させること、また伝統文化を尊重した活動や授業を取り入れることが重要ではないだろうか。

(なかやま みお/子どもの権利活動家)

[中山さんの簡単なプロフィール]

子どもの権利活動家。南インドのバンガロールを拠点に、インドの児童労働、ストリートチルドレン、子ども買春、子どものエンパワーメントに焦点を当てて取材活動を行なっている。その他、フォトエキシビション「働く子どもの『遺産と伝説』キャンペーン」のコーディネーターを務める。子どもたちにカメラを渡して、彼らのアングルで世界を撮るプロジェクト。詳しくは、「働く子どもの『遺産と伝説』キャンペーン」実行委員会事務局 olaljp@yahoo.co.jpへ。

注:

[1] 女性用の先細りのズボン

[2] UNICEF, “The State of the World’s Children 2003”, 2003, p.105

(Statistical Tables, Table 6. Economic Indicators )

[3] ボリウッドスター(インド映画スター)。

[4] クオーテーションマークは筆者による強調。

[5] クオーテーションマークは筆者による強調。

[6] 電気会社

[7] 小川忠『インド多様性大国の最新事情「第2章グローバリゼーションの衝撃一拡大する中間層」』、p 56-62, 角川選書

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